ねんどの神さま (えほんはともだち (27))那須 正幹ポプラ社このアイテムの詳細を見る |
とても不思議で、とても悲しい物語。
太平洋戦争が終わって、一年目の九月のこと、山の奥の小さな小学校での出来事が物語の発端である。教室の中には、5年生と6年生の合わせて10人の子ども達が、粘土細工を作っていた。
大迫健一(おおさこけんいち)こと、ケンちゃんが、とても奇妙な者を作っていた。子どもたちも、それを見て、大騒ぎ。先生が何を作ったのかを聴いてみた。神さまだという。「戦争を起こしたり、戦争で金儲けするような、わるいやつをやっつけます」。人間のように立っている神さまは、鬼のように頭に角が生えていた。口からは、牙が出ていた。
ケンちゃんの父親は、5年前の中国で戦死していた。ケンちゃんは、戦局が厳しくなった時に、1人、この村の祖母のもとへ疎開していたのだ。その年の前年に、ケンちゃんの家のあった町は、空襲で焼け、母親も兄弟も全員死んでしまっていた。そんな気持ちが、健一に「神さま」を作らせたようだった。
当時は、進駐軍により、戦犯が裁かれたいた。そんな時代の空気を反映して、神さまは校長室へ飾られた。健一は、翌春、都会のおじの家に引き取られていった。神さまは、校長室に飾られたままであった。しかし、朝鮮戦争の起こったとし、社会の空気も変わった。校長は、もう、粘土細工について話すことはなくなり、神さまは、倉庫の隅に追いやられた。やがて20年が経ち、村の学校は廃校となった。しかし、神さまは、廃校の倉庫の中にしまわれたままだった。朽ちていく廃校の中、ガラクタと一緒にずっといた神様。
それから、健一が村を去ってから50年目のある春の晩、倉庫のすみっこに転がっていた神さまの身体が、少しずつ大きくなり、あっという間に、倉庫の屋根を突き抜けてしまった。身体に毛が生えていた。
命を宿し、大きな体となった神さまは、身長百メートルとなり、廃村を出発して、集落の方へ移動していった。
自衛隊が出動した。ロケット弾も効果がなかった。都心を目指す神さまは、人間達には怪物でしかなかった。
兵器産業の会社の社長室。その会社で開発された兵器は、ことごとく無力であった。立腹する社長。防衛庁へも強い影響力を持っていた。神経ガスなどの化学兵器の使用を防衛庁の役人に電話で進めている。部下たちは、その使用で、道路沿いの人間達が死ぬことで、その使用を躊躇していたのに。
化学兵器の使用で、多くの人命が失われた。しかし、社長にとっては、都会の多くの人命を救うという大義を振りかざしていた。次に使用したのは、小形の核爆弾であった。多くの人命が失われたが、神さまは相変わらず打撃も受けずに、都会への歩みを進めていた。
神さまは、社長のいるビルの前に到着した。そして「ケンちゃん」と呼んだ。社長は、あれほど戦争を憎んでいた健一の成長した姿だった。
健一は、神さまが自分を殺しに来たと思った。しかし、神さまは、あのケンちゃんに聴きに来たのだ。健一が昔と違って戦争が嫌いで亡くなった今、自分はどうしたら良いのかと。
健一は、抑止力ということを力説した。戦争を防ぐために、武器を持ち、より効果のある武器を開発することの大切さを。
神さまは、元も粘土の神さまに戻った。健一は、道路の破片で、神様を粉々に壊した。
このことは誰も知らないことだ。
健一は、今まで、兵器を売る商売をする上で、心の隅に引っかかるものがあった。でも、もうそれは存在しない。これからは、思う存分、より破壊力のある兵器を開発し、国に売り込めるのだ。
そう、「抑止力」は大事だからね。
そして、現実の日本では……。
サンゴの森 (そうえん社・写真のえほん)キャサリン ミュジック,なかむら こうじ草炎社このアイテムの詳細を見る |
海の中のサンゴの森での生物の食物連鎖と、多様性の世界が、美しい海中写真と文章で紹介されています。
サンゴは、ポリプという小さな生き物が作り出すもの。ポリプには、小さな触手が生えていて、その中心の口で潮に乗って流れてくるプランクトンを食べている。また、ポリプの中には、褐虫藻(かっちゅうそう)という海藻が共生していて、光合成をおこなうことで、ポリプの生育を助けている。
いろいろな形と色のサンゴの存在。サンゴ礁は、また、多種多様な生き物たちが共存して生きていく場所でもある。
神秘的なサンゴの産卵。太陽ときれいな水がサンゴを育てている。
でも、今、サンゴの森は、人間の手によりその面積を狭めている。枯れていくサンゴの森。それは、海の生物の多様性を失わせることでもある。
二酸化炭素の固定という働きもあるようだ。
沖縄の海、ジュゴンの海に、今、破壊の波が押し寄せようとしている。
生活保護の老齢加算廃止は違法 高裁、原告請求を初認定(朝日新聞) - goo ニュース
政権交代とは何だったのだろうかという疑問が湧きだしているのが、最近の状況である。しかし、マスコミは、ジャーナリズムの批判精神をすっかり忘れて、新首相に関する幻想を振りまいている。
生活保護の分野で、母子加算が復活したのや善しとしなければなるまい。しかし、老齢加算は、おそらくは、福祉の観点というよりは、財政上の都合で廃止されたままであった。全国各地で、老齢加算廃止が、憲法25条の精神に反するものとして、その違法性の確認を求める訴訟が起こされていた。
国の裁量権というあいまいな判断を認める判決が相次ぐなか、今回は、まともな判断が高裁段階で出された。
裁判というと、上の段階に行くほど、権利が認められなくなるというイメージが先行していた。国の行為が、当然のように認められる傾向があるように、常日頃感じていた。しかし、今回は、高裁レベルで、妥当な結論が出された。
高齢者が、最低限の生活の保障の中で、結婚式やお葬式などの社会との接点を持つための費用など、老齢加算は、人間らしく生きるための最低限の尊厳を認めるものであった。
最高裁での判断は、予断を許さない。憲法25条の精神に帰って判断してほしいものである。そして、今回の高裁の判断は、大切に扱いたいものだ。
『70歳以上に上乗せ支給されていた生活保護の「老齢加算」を国が減額、廃止したことは憲法や生活保護法に違反するとして、北九州市の74~92歳の受給者39人が国の委託先の同市に処分取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が14日、福岡高裁であった。古賀寛裁判長は請求を棄却した一審・福岡地裁判決を取り消し、原告の訴えを認めて処分を取り消す判決を言い渡した。
老齢加算をめぐる訴訟は全国8地裁で起こされ、東京、広島、福岡、京都の4地裁と東京高裁で原告側の請求が退けられている。高裁判断は東京に次いで全国2例目で、原告の請求が認められたのは初めて。福岡高裁は処分について「生活保護法に違反する」と指摘した。
2009年6月の一審・福岡地裁判決は、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の認定判断について「厚生労働大臣の裁量に委ねられている」とした最高裁判決(1967年)の判断を踏襲。その上で老齢加算の減額、廃止について「著しく不合理な点は認められず、厚労相の判断に裁量の逸脱はない」と判断した。』
政権交代とは何だったのだろうかという疑問が湧きだしているのが、最近の状況である。しかし、マスコミは、ジャーナリズムの批判精神をすっかり忘れて、新首相に関する幻想を振りまいている。
生活保護の分野で、母子加算が復活したのや善しとしなければなるまい。しかし、老齢加算は、おそらくは、福祉の観点というよりは、財政上の都合で廃止されたままであった。全国各地で、老齢加算廃止が、憲法25条の精神に反するものとして、その違法性の確認を求める訴訟が起こされていた。
国の裁量権というあいまいな判断を認める判決が相次ぐなか、今回は、まともな判断が高裁段階で出された。
裁判というと、上の段階に行くほど、権利が認められなくなるというイメージが先行していた。国の行為が、当然のように認められる傾向があるように、常日頃感じていた。しかし、今回は、高裁レベルで、妥当な結論が出された。
高齢者が、最低限の生活の保障の中で、結婚式やお葬式などの社会との接点を持つための費用など、老齢加算は、人間らしく生きるための最低限の尊厳を認めるものであった。
最高裁での判断は、予断を許さない。憲法25条の精神に帰って判断してほしいものである。そして、今回の高裁の判断は、大切に扱いたいものだ。
『70歳以上に上乗せ支給されていた生活保護の「老齢加算」を国が減額、廃止したことは憲法や生活保護法に違反するとして、北九州市の74~92歳の受給者39人が国の委託先の同市に処分取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が14日、福岡高裁であった。古賀寛裁判長は請求を棄却した一審・福岡地裁判決を取り消し、原告の訴えを認めて処分を取り消す判決を言い渡した。
老齢加算をめぐる訴訟は全国8地裁で起こされ、東京、広島、福岡、京都の4地裁と東京高裁で原告側の請求が退けられている。高裁判断は東京に次いで全国2例目で、原告の請求が認められたのは初めて。福岡高裁は処分について「生活保護法に違反する」と指摘した。
2009年6月の一審・福岡地裁判決は、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の認定判断について「厚生労働大臣の裁量に委ねられている」とした最高裁判決(1967年)の判断を踏襲。その上で老齢加算の減額、廃止について「著しく不合理な点は認められず、厚労相の判断に裁量の逸脱はない」と判断した。』