読み終わるのにかなり時間がかかってしまった。靖国神社に「英霊」として祀られている青年が現代にタイムスリップしたら、今の世の中をどう見るのか。武者中尉は夜間戦闘機「月光」でB29と戦闘中に負傷し、帰還中に現代にタイムスリップしてしまう。武者中尉には心を寄せる女学生がいた。沖有美子である。今は、根元有美子。ラストに至るストーリー展開はベタなものだが、本書を「靖国問題」の解説書として読むこともできる。靖国神社の存在意義に対する肯定・否定説の両方が言及されている。したがって、読者の思いにより、この小説から受ける印象は正反対のものになる可能性がある。
武者中尉の思いにも揺れが生じる。「月光」の整備担当の自衛隊員の木村の発言が防衛大出身の情感より的を得ていることが面白かった。たとえば「英霊は語らないものです。当事者である英霊が語ると、誰でも反論できないのでしょうか」。
単純明快に思えた武者の考え方に現れた揺れを見れば、本書が単なる靖国賛歌でないことが分かる。テレビ局のやらせの発言、その内容に含まれる戦病死や飢えで死んだ兵士の存在が無視できないものとなるのだから。実際に、南方前線では戦闘ではなく飢餓で死んだ兵士が多いのだから。
最後に、60年間、待つ者として描かれている有美子の発言がこの作品の救いとなっている。
「A級戦犯合祀のことです。すでに合祀された以上、いまさらどうすることもできませんけれど、わたくしは嫌い。とくに東条さんが大嫌いです」
「武者さんが一つだけ勘違いしていらっしゃることがあります」「靖国神社のことですけど。軍人さんが『死んだら靖国神社へ還る』っておっしゃってらした気持ち、とてもよく分かるんですけど、それはやはり男性の考えですわね。女のわたくしたちは、そうではなく、その方のご家族や恋人や愛する人の心の中に還って来て欲しかったのだと思います。心の中に、いつまでも消えることのない蝋燭のように、灯をともしていただきたかったわ」