トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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寝る前に一言

2009-01-09 01:37:15 | 日記
今年になって透析中に観たDVD。
「華氏451」は、以前に観たことがあるのだが、だいぶ記憶が薄れていたので、今回観て良かった。設定は近未来となっているのだが、最近の日本にも当てはまりそうに思えて仕方なかった。「小泉劇場」の時の、テレビを中心とした情報の偏りはこの作品世界につながっている。地デジが全面的に開始すれば、情報の双方向性ということでさらにこの傾向は進行するのだろう。視聴者参加と言いつつ、情報操作の中に踊らされる危険も出てくる。イラクの日本人捕虜に対する異常な「自己責任論」による個人攻撃も、また、つい最近までの非正規労働者に対する同様の「自己責任論」も実はこうした情報を操作ないしは利用したような気がしてならない。小泉政権は、そうした「声」?に助けられて、イラク戦争への関わりや格差社会の到来の指摘を「見事に」乗り切ったのだから。
 最近、街の本屋が次々に閉店していく状況も気になっている。本の売れ行きが落ちて、多くの雑誌も廃刊に追い込まれている。読書人口も減少しているようだ。新聞の購読量も減っているのだろう。テレビは、暮れから正月にかけて、どうでもいいような番組を垂れ流していた。新聞を含めて、広告の占める割合が大きいから、スポンサーの大企業に対しては大々的な批判など望むべくもない。映画とは別の意味で、悪い方向に進んでいるのかもしれない。
 映画では、最後に「本の人々」の登場により、未来への希望が表現される。

 最近、外国からのニュースとして「生きた本」の貸し出しという記事を読んだ。ホームレス・障害者・移民・性的マイノリティなどの偏見や誤解を受けやすい人々を「生きた本」として、彼らから直接話を聴きたい「読者」に貸し出そうというヨーロッパでの試みだ。映画の「本の人々」からこの話のことを思い出した。2000年からの取り組みだそうだ。アメリカ、オーストラリアにもこの運動が広がっている。日本でも、去年の12月に京都で企画されたそうだ。「生きている図書館」に出向いて、「いじめ」「シングルマザー」「性転換者」「うつ病患者」などの題目を選ぶ。
「生きている本」は、「読者」に自分の体験を語る。
 
 そう、われらも本となりて、自らを語らん。

華氏451(1966) - goo 映画華氏451(1966) - goo 映画

クイール - goo 映画クイール - goo 映画
 原作の「盲導犬クイールの一生」は、透析仲間から借りて読んだことがある。彼は、糖尿病により若い時に失明していた。彼は読みたい本を、市内にある点訳サークルで点字に直してもらって読んでいた。「1リットルの涙」も彼から借りた。もちろん原著の方だが。おいらは、点字は基礎的なことしか出来ない。点訳本を読むには時間がかかり過ぎる。
 映画では、クイールの主人となる渡辺さんが糖尿病を悪化させて透析を受けるシーンが出てきた。最近の傾向として、糖尿病から透析に至る人が増えているので、気になるシーンとなった。透析室で渡辺さんのベッドの傍らにいるクイールの姿、そして部屋からクイールが去っていくシーンは悲しいものだった。渡辺さんは、透析を受けていても病状が悪化して、3年後に亡くなってしまう。最後に訓練所にクイールに会いに来た時は、わずかな距離しかクイールと歩くことができなかった。

 クイールの12歳と25日で天国に旅立っていった。
 おいらに本を貸してくれた彼も、もうこの世にはいない。