トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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青少年白書

2008-11-25 02:12:19 | 社会
「平日に子と過ごす時間ない」父親4人に1人 内閣府(朝日新聞) - goo ニュース

 雇用者全体に占める非正規雇用者の割合は、10代後半(15~19歳)では、1992年の36%から2007年には72%に急増しています。内閣府の見解は「中卒や高卒の若者が正規雇用職員になれず、非正規雇用に流れるケースが増えたのが要因」としています。20~24歳では17%から43%に増加しています。(総務省就業構造基本調査)。
 今、自動車産業を中心に、派遣労働者に対する雇い止め(解雇)が、全国的に大規模に行われています。いわゆる「派遣切り」の広がりです。先行きも不安ですが、現在、寮を追い出されて失職している派遣労働者への対策が必要でしょう。セーフティー・ネットのない社会は、人間性を否定するものです。

 正規労働者にしても、長時間労働など労働条件の悪化で、子供と過ごす時間が減っています。父親の70%が我が子の悩みを知らないと回答しています。
 

テレビドラマ

2008-11-24 17:38:40 | アニメ・テレビ
 最近は、テレビ番組も前ほど見ません。特に、選んで見るようにしています。バラエティが多過ぎます。お笑い番組も、仲間内だけで笑えるようなネタばかりで、素直に笑えなくなりました。いじめや暴力に見える笑いは不快です。まあ、人それぞれの好みですから。見る方が観る力を付けること、マスコミリテラシーの問題になるのでしょう。

 最近見たドラマは、「ジャッジⅡ~島の裁判官奮闘記」最終回です。普段、触れることのない裁判と裁判官の姿を、鹿児島県大美島にある地方裁判所という特別の舞台を設定することで、うまく表現することができました。(この番組に出てくる大美島をはじめとする島は架空の島です。奄美大島を中心をした奄美諸島がモデルになっています)。たった一人の裁判官(三沢恭介)ですから、刑事・民事・家事・少年裁判ですべての事件を担当することになります。このセッティング故に、様々な人間ドラマが、恭介自身の生き方を含めて描くことができました。前回は、摂食障害の少女の少年審判について、ブログに書かてもらいました。

 最終回は、恭介の島での最後の事件です。彼は2年間、島の裁判官を務めました。与野島生まれの栄が、理髪店で散髪後に、店の主人に包丁を向けながら代金を払わないで逃げることから事件が始まります。また、以前、恭介が執行猶予を付けた男も強盗行為で逃げていました。彼らの犯罪の背景には、貧困化の問題がありました。今、日本は、格差社会から貧困化社会に向かっています。本土で働いていた栄も、本土の貧困化の波に襲われホームレスに転落していました。なんとか、金を工面して、亡くなったオバアの葬式のために島に帰ろうとします。しかし、大美島の人間に金を持ち逃げされます。執行猶予中に罪を犯し逃走中の男同様に、島にも貧困化の波が押し寄せていたのです。裁判の過程で、人を裁くという行為の意味が丁寧に問われています。また、このドラマでは、人間への信頼感があふれています。罪を犯した人間も構成し得るという人間に対する信頼です。(一般的には、性悪説をとる方が、現実的だ思う人の方が多数派かもしれません)。

 ドラマの中で、来年実施される裁判員制度を前にしての島での模擬裁判の様子が描かれます。そこでは、裁判員役になった梅津栄演じる老人から、終戦後の過酷な状況から刑務所に入れられた体験が語られます。だから、自分は被告人の意見をよく聴くのだという発言が討議の内容に影響を与えます。市民が裁くことにも、うまく機能し得る可能性が描かれていました。
 報道によると、裁判員制度に反対する、弁護士を初めとする市民の反対デモが、昨日東京で300人規模で行われたそうです。

 実際の裁判官は、映画「それでも僕はやっていない」で描かれたように、決して、社会人としての生活者としての実感を持つことなく裁判をする人が少なくないのかも知れません。官舎に住み、関係者以外とは交流を持つことなく、全国の裁判所を転任していく裁判官の生活は、ドラマのようにはいかないのかも知れません。

 今日から始まった「ラブレター」もしっかりと見せてもらいました。主人公の美波が小豆島の里親のもとに来るところから物語が始まりました。海司との出会いが描かれていましたが、まだ、手話は登場しませんでした。海司との会話は、小さなスケッチブックを使った筆談が用いられていました。手話は、これからの展開で登場するようです。明日からは、録画して見ようと思います。全60回なので、ドラマはまだまだ続きます。年を越すということですね。

ジャッジED「路の途中」



路の途中 - 中 孝介



日記風に 「秋葉原無差別テロ事件書き込み」

2008-11-24 02:28:52 | 格差社会・貧困化社会
 今日(11月24日)から、久しぶりに手話が登場する番組が始まります。TBSテレビの愛の劇場「ラブレター」です。鈴木亜美が成長してからの主人公を演じるということでも話題になっています。昼の1時から始まりますが、多くの人に見てもらいたいです。手話サークルでも、期待している人がいます。手話がドラマで使われると、手話に関心をもったり、手話を学びたいという人が増えるからです。
 聞こえない人には、簡単な手話でも使える人が自分の周りに増えることは、安心して地域に暮らす第一歩となるからです。内容や出演者についての情報は、トラックバックしてくれた人がいるので、おいらのトラックバックの欄からアクセスしてみたください。

 今年は、無差別殺人事件の続いた嫌な年でした。八王子でも、女子大生が犠牲になっています。6月8日に起こった秋葉原無差別テロ事件が初めの事件でした。おいらは、アキバと八王子で、被害者の方のための祭壇を見ることになってしまいました。アキバでは、冥福をお祈りさせていただきました。

 秋葉原の事件の加藤智大容疑者の犯行直前のネット掲示板の書き込み全文が載った雑誌が出ています。超左翼マガジン「ロスジェネ」別冊2008です。(事件の背景を分析する雨宮処凛さんや赤木智弘氏らによる対談ものっています)。

 この書き込み文を読んでいて、派遣労働者だった容疑者の恐ろしいまでの自分の周囲への怨念と自己に対する不満感に、恐怖しました。外に開くことのない閉塞した孤独感。自分の容姿への執拗なこだわり。女性との交際を求めながらも、自分の顔の醜さ(自身の思い込みなのだろう)を原因と考えての失望感、疎外感。何故、ここまで追い込まれたか、あるいは自分で追い込んでいったのか。

 決して許されることのできない容疑者の行為に、犯行に至る前に別の選択肢が無かったのかと思ってしまいました。雨宮さんのもとには、事件が起きるかなり前から、不安定雇用に従事している労働者や30代、40代のフリーターから「無差別殺人をしたい」「通り魔になりたい」とかの「自爆テロ願望」「殺人願望」と表現せざるを得ないようなメールが届いていたと言います。

 何度も加藤容疑者の書き込みを読んで、考えなくてはいけない問題がたくさん存在しているようです。

五説教(水上勉訳・横山光子脚色)

2008-11-23 19:01:31 | 文学
 先日、第6回八王子車人形と民族芸能の公演に行った時、休憩中にロビーでは、伝統芸能の継承団体のワークショップが行われていた。説教節の会では、説教浄瑠璃の床本も売られていた。、買い求めたかったが予算の都合で断念した。その傍らに置いてあったのが、「五説教」(水上勉訳・横山光子脚色・若州一滴文庫)であった。訳というのは東洋文庫版の「説教節」の訳である。

 中世、ほとんどの人間が文盲であった。筵(むしろ)に座り、ささらを摺りながら説教節は語られた。人々は、水上氏が言うように説教節を聴くことにより「路傍で道徳を拾ったのである」。仏教の思想が根底にある語り物には、日本人の精神に影響を与えた人間ドラマがあった。もちろん、勧善懲悪にしろ、人としての生き方などは当時の人々の考え方を反映したものだったが、後の日本文化にも影響を与えた。昔の人だったら、小栗判官と照手姫、石童丸、信徳丸という名前を聞けば、脳裏に一つの物語を思い浮かべることが出来たのだろう。現在の日本人には、一部の人にしか、そうした名前からイメージを浮かべる人がいない。

 安寿と厨子王丸の話は、少し前の子供なら知っていただろう。東映動画でも「安寿と厨子王丸」が1961年に製作されている。(内容はかなり改編されているが)。森鴎外は小説「山椒大夫」を執筆した。しかし、その内容は、元の話にあった残酷さなどを切り捨てた合理的なものであった。おいらが観た、ふじだあさや作の「さんしょう大夫」は印象的な劇であった。前進座で上演された。客席を通って僧侶の一団が登場する。説教僧を思い起こす。舞台で笠と衣を脱ぐと、それぞれの役の衣装を付けた役者が現れる。説教の世界というイメージで劇が進行する。山椒大夫には金焼地蔵の霊験や、山椒大夫の首引きといった残酷なかたき討ちの場面が出てくる。こうした現代のリアリズムに合わない当時の人々の思いを伝えるための優れた演出方法に思えた。この劇を観て、自然と涙が出たことを思い出した。やはり、説教節の世界は、今の人間の精神の根底に流れているのかも知れない。

 小栗判官については、市川猿之助の歌舞伎や、横浜ボートシアターの上演作品でその名前は知っていた。信徳丸については、文楽・歌舞伎の「摂州合邦辻」に影響を与えている。また、寺山修司の「信毒丸」もその流れでとらえてもいいのかもしれない。「信太妻」も文楽・歌舞伎に素材を提供している。「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森の恨み葛の葉」の歌は有名であろう。最近、ブームとなった陰陽師「安倍清明」の両親に関する物語だと言った方が分かりやすい人がいるかも知れない。夢枕獏氏の作品にも、清明は狐の子供だという噂があったとの記述があったと記憶している。

 説教節の世界は、後の日本文化にも多くの影響を及ぼしたのと同時に、日本人の精神の源流の一つとなっていると言っていいのかも知れない。

 子供の教育問題が叫ばれてから久しい。水上勉氏は説教節を現代語に訳して、母から子に語って欲しいと願っていた。そうした道徳教育があってもいいと思っていた。現代に説教節を残すことを切望していた。一方、「語り」を続けられていた横山光子さんは、説教節の「語り」を大人のために上演したいと思っていた。この2人の思いが合わさった時に出来たのが本書である。※東洋文庫版の編者の思いも、説教節を現代人に残すことだった。


 本書では、東洋文庫版と違い、五説教に、愛護若の代わりに付録の信太妻が入れられている。なお、訳は原文の一部が省略されている。語りの台本として理解できる。東洋文庫で原文を読む他に、本書を声を出して読むこともいい試みかも知れない。内容を、機会があったらブログで紹介したいと思う。

 説教節は、八王子の車人形や佐渡の説教人形と共に地方の芸能として残った。
佐渡の文弥人形は、明治時代に説教人形を改良した人形劇である。説教節の代わりに古浄瑠璃としての文弥節が用いられている。説教節の流れを汲むものとして参考にすることができるあろう。演目の山椒大夫はかなり筋が変わっている。
 


佐渡の文弥人形「山椒大夫」



日記風に 『「ここにアイヌ」の連載を読んで』③

2008-11-23 11:13:11 | 多様性
 連載6回目「みんな、神様の子だから」

 最近は、わが街でも外国人をよく見かける。生活している人も多いのだろう。平日は毎日、白人男性が子どもを乳母車に乗せて近くの保育園に送り迎えしている。老舗のうなぎ屋の奥さんはアメリカ人だ。面白いのは、ストリートファッションの店で雇っている黒人がアフリカ系であること。アメリカの黒人の代わりなのだろう。イスラム寺院も近くに存在する。金曜日には、色々な国のイスラム教徒が礼拝に来ている。近所の工場には外国人が働いている。年によって通ってくる人の出身国が違う。不法就労かどうかは分からない。地元の専門学校の漫画科にも韓国人の学生が通っている。
 
 同じような情景が日本の各地で見られるようになっていると思う。新大久保は韓国人やアジアの人が新しい住人として、生活し、働いている。秋葉原では、リトルインディアと呼ばれるインド人による一角が出来ている。南米からの労働者の多く住む街もある。最近は、不況の波をもろにかぶっている。

 一方、様々な問題も生じている。日本人との生活習慣の違いからの摩擦や、子供の教育の問題。しかし、共に生きていく試みも両者の方に見られる。外国人の犯罪も問題となる。最近の薬物汚染に、外国人の関与が伝えられている。府中刑務所も受刑者の国際色が豊かになっているという。また、研修生の名目で低賃金で働かされている外国人の問題もある。
 
 海外から、介護や看護に従事する人材を求めようとする試みも動き出している。

 外国人に対して、排斥の主張も見られるようになった。ネットの世界でも、かなりひどい書き込みが存在する。ヨーロッパのネオナチの主張に近いものがある。怖いのは、安易なナショナリズムである。日本単一民族説のような極端なものも含めてである。在日朝鮮・韓国人に対する吐き気を感じるような書き込みを見ることもある。われらが首相も、韓国における創氏改名は韓国側から望まれたことだという妄言をしている。麻生炭鉱は、戦時中、朝鮮人労働者に過酷な労働をさせることによって富を築いているからそんな発言も自然に出るのだろう。

 朝日新聞の「ここにアイヌ⑥」には、アイヌの山道康子さん(62)のやっているアイヌ文化を教える学校の事が書かれていた。北海道平取町の山すそにある山道さんの家の母屋の隣にいくつか並ぶ小屋が学校だ。ぜんそくや障害を持つ子、不登校児、親の不和から預けられた子がそこで暮らし、学び、成長していく。旅の若者たちもそこで生活することもある。山道さんは今までに、50人以上の母親代わりを務めてきたという。驚いたことに、和人の子どもの方が多いそうだ。そこでは、学校の勉強の他に、アイヌの歌や踊り、刺繍も教えている。
 
 山道さんの夫は、彼女が26歳の時に交通事故で亡くなっているが、朝鮮人だった。3歳の時に、平取町のアイヌの養子になった。「神様がくれた子だって大事にされたんだって。アイヌ語は私よりペラペラだったの」

 一部の日本人の在日の韓国・朝鮮人に対する偏見を考えざるを得ない。

 親の事情からアイヌの家庭で育てられた和人の子が、アイヌの儀式をつかさどるエカシ(長老)になることもあるという。

 山道さんのもとには、学校の卒業生が訪れる。結婚や出産の報告にだ。たくさんの子どもたちのお母さんとしての大きな存在。「みーんな私の後継者。アイヌはね、血じゃないの。子どもはみんな、神様の子だからね」

 和人の芦沢満さんが「僕もアイヌに受け入れられたらいいな」という思いがここではごく自然に実現している。

 この記事を読んで、偏狭なナショナリズムの愚かしさを考えずにはいられなかった。
 

 
 

日記風に 『「ここにアイヌ」の連載を読んで』②

2008-11-23 02:37:51 | 多様性
 連載6回目「みんな、神様の子だから」

 北海道で生まれ育った人には、当然そこが故郷だという意識があるのが普通なのだろう。帯広市近郊で理科の高校教師をする芦沢満さん(42)は、大学2年の時に、学生イベントでアイヌ女性に「あなた方のせいでアイヌは苦しんでいる。北海道から出て行って」と言われる。翌年、農業研修でカナダに渡った。先住民を除いて、カナダの国民の大部分は移民の末裔だ。先祖は、それぞれヨーロッパ各国から渡ってきた。彼が現地で会った若者は、皆自分のルーツを強く意識していたという。では、自分は何者であるのか。「僕は北海道生まれだけど、和人の僕が帰れば、アイヌの場所を奪う」。青年は悩んだ。この記事を読んだ時に、こうした考えをする人がいることに驚いた。自分の生き方に関わる重要な問題だと考えることができる青年がいることに希望を見た。北海道では、和人が今でもアイヌを差別することがある。
 解決策が見いだせないまま、研修が終了後もカナダ、米国を放浪したという。その間も悩み続けたのだろう。転機は5ヶ月後、日本人留学生の女性との出会いだった。アパルトヘイトを描いた映画「遠い夜明け」について、彼女と話し合った時に言った彼女の言葉、「南アフリカの黒人は、南アフリカ生まれの白人を受けいれなないといけないんじゃないのかな」。自分たち北海道生まれの和人と先住民族であるアイヌとの関係がダブったはずだ。彼女の言うように、自分もアイヌに受け入れられればいいと思った。彼の新しい生き方の出発点になった。2日後に、彼女がアイヌだということを知った。青年は、答えを求めてさすらった。人は真摯に求める時に、答えが自分の方に自然と寄ってくるのだろうか。おいらは、運命的なものを感じた。彼の思いが、答えを引き寄せたのかも知れない。

 北海道に帰った青年は、塾に通う余裕のない2人のアイヌの女子高生の家庭教師を無償で引き受けた。彼のもとには、次々と生徒が集まった。自然の成り行きのようだった。小学生から高校生まで10人を超える生徒が集まった。それがもととなり、アイヌの子供に無償で勉強を教える「とかちエテケカンパ」を彼は立ち上げる。20年ほど前の事だった。当時のアイヌの大学進学率は全体平均の3分の1だった。生活環境が劣悪だったことを反映しているのだろう。現在でも半分に満たないそうだ。「エテケカンパ」はアイヌ語で「手をつなぐ」という意味。会には、ボランティアの大学生や元教師も先生役を務めるようになった。アイヌのアイデンティティ確立のためにも、権利の向上のためにも教育は大切な手段だ。こうして、和人の青年の思いが一つ結実した。アイヌと和人の歩みはこれからも続いていく。

 「和人は出ていけ」と「和人を受け入れればよい」という言葉の重みを感じた。

今日の邦楽 ・ ブログパーツに合わせて

2008-11-23 01:16:53 | 音楽
 gooのブログパーツの「歌詞情報アクセスランキング」を貼り付けたので、それに合わせたプロモをアップしてみました。これだと、新しい曲が聴くことができますね。


flumpool 「Over the rain~ひかりの橋~」 PV


いきものがかり - 気まぐれロマンティック


UVERworld 「儚くも永久のカナシ」PV!!