トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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言葉にできない 障害者編

2008-11-19 18:32:51 | 障害
今日は、サークルの新聞の原稿のレイアウトの日でした。ワープロ原稿に、記事の内容に合ったイラストを張り付けていきます。いつもお世話になっているイラスト素材集に「バリアフリー・イラスト・カット素材集」(えすけっとくらぶ)があります。今日、YouTubeを見ていたら、この本のイラスト・カットをうまくまとめた作品を見つけました。制作した人は、元の絵に奇麗に彩色しています。

言葉にできない 障害者編



「SOSボード」

2008-11-19 18:15:45 | 障害
 11月19日朝日新聞多摩版「動転した知的障害者がいたら…街角掲示で安心対応 話し方や誘導法一枚に」」から

 パニック状態の知的障害者に街などで遭遇した場合にどう対処したら良いのか―その方法を書いた「SOSボード」が、町田市の市民団体の手により作成され、商店などに掲示されている。ボードを作ったのは、市内の作業所に通う障害児・親たちのネットワーク組織の「町田サファイア・クラブ」(田中洋子代表・昨年11月設立)で、既に500枚のSOSボードが配布された。作成のきっかけは、2007年に佐賀県で起こった知的障害者の警官による取り押さえによる死亡事件だった。同会では、問題の背景には一般の人の障害者に対する理解不足があると考えて、「最低限知ってほしい接し方」をA4版の紙にまとめて、市内の商店などに掲示を依頼した。親たちにとっては、事件は他人事ではないのである。
 ボードには、「簡単な質問が理解できなかったり、意味を取り違えたりすることが多く、コミュニケーションを取りにくい人」「パニックをおこしている人」という表現が使われており、知的障害者という言葉は使われていない。「この人たちは助けを求めています」と対処法を紹介している。
 声かけのポイントは、「肯定的な表現・態度」と「穏やかな口調」である。例としては、「走ってはダメ」という否定的な表現ではなく、「歩きましょう」のように肯定的な表現をすること。また、すでにパニック状態の場合は、「広すぎない、静かな場所で落ち着かせてください」とアドバイスしている。また、身体に「触れられることが苦手な人がいるので注意するよう」にとも記載されている。
 また、24時間対応の相談窓口として、市内2ヶ所の福祉施設の電話番号も併記されている。
 同会では、SOSボードを1千枚用意して、8月から市商店会連合会の加盟店などに掲示の依頼を始めており、同じ内容のマニュアルを交番や駐在所に用意してもらうなど、警察との連携にも配慮した。田中代表は「交通機関やコンビニなどへの働きかけをもっと進め、できれば市外にも掲示の動きを広めていきたい」と話している。今後、こうした取り組みが全国的に広がることが期待される。

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八王子車人形と民族芸能の公演③

2008-11-19 16:55:16 | わが街と近隣
 Ⅲ 説教節の会 
  素語り 「三庄太夫」
 
 今回の公演では、車人形とは別に素語りという形で語られることになった。説教節(説教浄瑠璃)として単独で聴くことができるので、いい機会を持てたと思う。
 仏教には、古くから説教師が存在していた。国民のほとんどが文盲だった時代、人々は説教師による話から、道徳や倫理といったことを学んだ。もちろん、それらは仏教思想に基づいたものであったが。平安時代末期に浄土宗の登場により、「和讃」が生れ、これが説教と結びついて説教節が行われるようになったのだろう。

 初期は、辻に筵(むしろ)を引いて説教節が語られたのだろう。作家の水上勉氏が言うように、昔の人は、路傍で道徳を拾ったのである。やがて、説教節は内容的に仏教の色彩を残しながらも、大衆的な語り物に発展していった。江戸時代には、京都・大阪・江戸・名古屋などに説教座が出来て流行した。しかし、義太夫の登場により、次第に廃れていき、今では、佐渡の説教人形・秩父横瀬の袱紗(ふくさ)人形・八王子の車人形などに演目として残っている状態である。

 八王子では、車人形とともに大正から昭和初期に隆盛している。現在は説教節の会が保存伝承している。都指定無形文化財である。

 おいらが、学生の頃、公民館の和室で車人形の公演が行われた。車人形は、本来は座敷や土間や庭先で行われたのだろう。この時に、12代目の薩摩若大夫が説教節を語った。公演終了後に、大夫が舞台から観客に向かって、説教浄瑠璃の伝承に力を貸して欲しいとのお願いをした。その時に太夫は高齢で、後継者がいなかった。このままでは、薩摩派の伝承が途切れてしまうという危機感から、伝承者を募集したのである。初心者でも良いから、自分のもとに稽古に来てくれとの切実な願いだった。

 一昨年、今回の公演で語る太夫が、13代目の薩摩若大夫を襲名した。薩摩派の説教浄瑠璃は無事継承されていた事になる。喜ばしいことである。

 演目の「三庄大夫」は、「山椒大夫」「さんせう大夫」と表記されることもある。いわゆる安寿と厨子王丸の話で、森鴎外の小説が有名である。しかし、説教節は、仏教的色合いを強く残すもので、金焼(かなやき)地蔵の霊験を語ったものである。はじめに太夫が、客席に向かって簓(ささら)を摺る。これは、まさしく説教節の伝統なのだろう。「三庄大夫」をすべて語るのには、多くの時間がかかる。今回は、姉と弟の額の焼き印を地蔵が身代わりとなって引き受けるところと、一番の山場として厨子王と母親との対面の場を語った。全部で約45分間。事前に東洋文庫の説教節の山椒大夫を読んでいたが、やはり、実際の説教節を聴くことは「語りの文学」を知る上で大切なことである。太夫によって、限られた時間にうまくまとめられていたが、これもその場で語る自在さを示す「語りもの」の特徴であろう。先代の説教節は、景清ものだったように記憶している。今、「説教節の会」によって保存伝承されている。郷土に残った伝統芸能を大事にしなくてはならない。

 今回の公演のように、素語りで、現存する説教浄瑠璃をさらに聴いてみたい。また、車人形との共演も観てみたい。