![]() | 罪と罰と精神鑑定―「心の闇」をどう裁くか影山 任佐集英社インターナショナルこのアイテムの詳細を見る |
新訳が出て、ドストエフスキーの作品が多くの読者を獲得している。てんかんという精神疾患を持ったドストエフスキーが描いた犯罪の世界も、現代の読者の心をとらえている。『罪と罰』は、本書の著者にとっても、精神鑑定に深く関わる作品であった。人間にとって、罪とは何か?又、ばつの意味は? 人間の「心の闇」にどれだけ迫ることができるか、ドストエフスキーは、作品を通して、自己の精神疾患も深く影響しながら、著者に多くの示唆を与え続けている。
精神鑑定に関しては、鑑定する医師により、鑑定内容が真っ向から対立するような判断がなされることもあり、「科学」「医学」としての信頼性は、国民には十分な理解を得ていないというのが現実化も知れない。しかし、犯罪を犯したとされる者の「心の闇」に迫る一つの有効な手段であることは事実であろう。信頼性の獲得には必ずしも成功していなくても。
精神鑑定は、治療行為ではない。また、この結果に関しては、裁判官は拘束されることはない。あくまでも裁判官の自由裁量の範囲に置かれていた。しかし、2003年に成立した「医療観察法」と、今年から始まった裁判員制度のもと、最高裁では、精神鑑定の結果を尊重すべきとの判決が2008年4月25日に出ている。2005年に施行された「医療観察法」によれば、殺人などの重罪犯罪者が、裁判所で心神喪失・耗弱と判断されても、裁判所の審判を経て、特定の精神科病院で強制的な治療を受けなければならない。そうした事情からも、今後は精神鑑定の重要性が増すというのが著者の考えである。
また、裁判員制度では、「素人」としての裁判員の前に提示される精神鑑定に関しても今後は問題となるであろう点が指摘されている。今後は、精神鑑定は、非公開の「公判前整理手続き」の中でなされることの問題点等である。簡素化される裁判という視点からの問題点である。
本書では、最近起こった犯罪を例に、精神鑑定についての方法が示されている。最近は、動機なき犯罪といわれるケースがマスコミを中心に喧伝されているが、著者の立場は、「動機不明な犯罪なほとんどない」である。
国による教育予算の減額により、精神医学においても、基礎研究の衰退が懸念されていることも付け加えておく。
女性の子殺し、時代により変遷する犯罪の性格等、本書には、多くの興味ある論点が展開されている。裁判員制度においては、裁判員向けに精神鑑定の姿も変わる、あるいは変えていかなくてはならないのであろう。その意味でも、本書は、裁判員になりうる国民が読むのにふさわしい精神鑑定に関する本なのかも知れない。
精神鑑定書が、社会に出まわるということは、その性質上ほとんどない。
今、本棚にある『日本の精神鑑定』(みすず書房)は、16件の歴史上有名な事件における精神鑑定書を収めた珍しい書物である。大学生の時に求めた蔵書である。戦時下の大本教事件、阿部定事件、東京裁判のA級戦犯大川周明、金閣寺放火事件などが取り上げられている。大方、記憶の彼方に消えてしまったが、その時は、今一つ、精神鑑定に対する不信感を覚えた事は印象に残っている。他に、ろうあ者の大量殺人事件、杉並の「通り魔」事件に関する鑑定書も見られる。もう一度、再読して、感想をブログに投稿したいと思っている。
![]() | 日本の精神鑑定内村 祐之,吉益 脩夫みすず書房このアイテムの詳細を見る |
ロールシャッハテストや、ユングの精神分析など、疑似科学の要素も多く含んでいます。
こうした非合理主義もはらんでいることは注意する必要があると思っています。
精神鑑定…この言葉を聞くと、体が震えます。
医者が本人の生活や人となりを、知らずにいても裁けるという発想が、とても怖いからです。
当人にも思いがけない感情の動きを、限られた時間の中で推論したり、分析してもどんな意味があるのかを、問い続けない事には、過ちが大きくなる事があります。
偏見や差別がついて回る事を、どうしても思ってしまいます。