トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

「遥かなる甲子園」その後 新聞から

2008-07-24 21:21:54 | 障害
 甲子園の季節がやってきた。今日の朝日新聞の夕刊に、旧沖縄県立北城ろう学校の記事が載っていた。「音を見て坂道走り続けよう」というタイトルが付いて。

 前に、「遥かなる甲子園」の事をブログに描いた。その部分を再録する。

 『高校野球といえば、「遥かなる甲子園」が思い起こされる。去年は、サークルでこの手話劇を行った。
 戸部良也氏のノンフィクションと、山本おさむ氏の漫画で有名になった話だ。大澤豊氏により映画化もされている。映画の方は見たことがある。手話劇の時は、漫画を参考にした。

1964(昭和39年)、アメリカで風疹が大流行した。基地問題を抱える沖縄では、軍事基地から風疹が県内に広がった。妊娠3か月以内の妊婦が感染すると、聴覚障害や先天性の心臓病を抱える子供が生まれることがある。県内では、翌年に多くの聴覚障害児が生まれた。彼らのための教育施設として、1978~1983年の6年間だけ存在する「北城ろう学校(中等部、高等部)」が設立される。野球の好きな生徒が硬式野球部を作り、甲子園を目指すも高野連への加入を認められなかった。日本学生野球憲章第16条に「それぞれ都道府県の高等学校野球連盟に加入することができる学校は「第四章」に定められるものに限る」と規定されていたからだ。ろう学校は「第六章」(特殊教育)に規定されていたからだ。しかし、生徒の思いは、全日本ろうあ連盟の新聞、地元紙、やがては全国紙に取り上げられ、高野連は県大会への参加を認めた。風疹児は虚弱体質が少なくなく、耳が聞こえないというハンディキャップを乗り越えて、野球の技術も上げていった。予選では敗れたものの、北城ろう学校野球部は、ろう者の歴史に大きな足跡を残した。
 聴者のように、発声器官を使う事の少ないろう者は、呼吸器官の機能の発達が聴者に比べて少ない。中学3年生の肺活量は、平均して聴者の小学4年生位と言われている。ろう者の市民マラソンランナーやトライアスロン選手の練習は、並大抵のものではない。』

 今日の夕刊の記事を読んだ内容から補足した。

 北城ろう学校は、1学年200人余りが中高の6年間通った後に廃校されることになっていた。大庭猛義さん(62)は、かつて高校球児だった。障害者教育を志して、このろう学校に赴任してきた。
 宮里博之(42)さんは、14歳の時に夏の甲子園に応援に行った。その時に、応援団の太鼓の鳴る音、メガホンのかち合う音を身体で感じた。聞こえるはずのない大歓声を聞いた。81年4月、高等部の入学式を終えたばかりの宮里さんは、仲間2人と大庭先生を職員室に訪ね、野球部の監督になって欲しいと頼んだ。主将になった宮里さんと監督の間での約束は「部員が1人でも辞めたら野球部を解散」だった。打球の音も、審判のジャッジも聞こえない。練習では、聞こえない分、工夫してみることにした。目で音を感じ取ること。でも、困難な事だった。
 公式戦では1勝もできなかった。最後の沖縄大会に臨んだ83年夏。初戦から強豪・宜野座にあたる。3-4と食い下がり、9回では代打・宮里の犠牲バンドで同点の好機を作るものの敗戦。球場の外で監督を胴上げして野球部は解散した。
 生徒達の卒業とともに、北城ろう学校は閉校。宮里先生は、障害者教育に専念するか、野球の指導者を続けるか悩むが、生徒達に励まされて普通高校で野球部監督を続けることに決めた。3つの高校で監督を19年務め、春、秋の県大会で準優勝を5回するものの、甲子園に出場することはできなかった。
 今年の4月から、沖縄本島北中城(なかぐすく)村にある社会福祉の専門学校長に就いた。校長室から、16人の野球部員と2年余り走り続けた坂道が見える。

 宮里さんは、卒業後上京して、職業訓練校に通い会社に就職した。しかし、02年暮れに、全身が突然しびれ、背中の靭帯が骨のように硬くなり、脊髄を圧迫する難病に罹ったことが判明する。大学病院で手術を受けるも、背中の痛みのために外出することはほとんどできなかった。
 大庭先生の退職を機に、野球部の同窓会が開かれることになった06年4月。宮里さんは、当初は病気の身体を見せたくなかったのだが、思い切って参加する。「悔いはない。みんなにもらった人生だった」。同窓会での最後にした挨拶。

 東京に戻った宮里さんは、、昨年の春から週に1回、都内の手話講習会で助手として教えているという。

 以上、新聞を読みながら、その後の「遥かなる甲子園」を知ることが出来た。ろう学校での体験が、生きる上での大切な財産になっていることが分かった。

 08年7月24日朝日新聞夕刊 「90年目の夏 私の甲子園 つないだ絆―きずな― 中」


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
甲子園はリニューアルしたよん (ななの小町)
2008-07-24 21:44:24
そんな背景があったんですねっ。

甲子園の管理は、阪神園芸さんが、トンボをひき引き、お手入れしてくれます。

泣けるお話です。。。ぐすん。
返信する
甲子園行ってみたいですね (トッペイ)
2008-07-25 00:24:14
 2年前に亡くなった、僕より若い透析仲間は関西人ではないのに、熱烈な阪神ファンでした。彼は、中途失明でしたが甲子園に又行きたがっていました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。