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おいらは、日本の古典も好きだ。でも、奈良時代末期に成立した日本最古の仏教説話集である「日本霊異記」は、どこかで雷を捕まえた話を読んだ以外に縁が無かった。今回、図書館から借りてきた。説話文学には興味を持っていたし、万葉集の頃の人々の暮らしも反映しているのかな、という気持ちで読もうと思った。日本最古の短編小説集になるわけだが、作者は薬師寺の僧、景戒(きょうかい)。妻子持ちで、馬小屋には馬2頭、自分の持仏堂を所有していた変わった人である。
この中に、この前調べた五日市憲法の発祥地、旧五日市町に関する説話が載っていた。内容も、奈良時代にこんな話があったのかと驚くような事件ものだった。
「悪逆の子の、妻(め)を愛(めぐ)みて母を殺さんと謀り、現報に悪死を被(かかふ)りし縁」というタイトル。なお、この説話集は仏教に関するものだから、因果応報の話が多い。この話もそうだ。
吉志火麻呂(きしのひまろ)は、多摩郡鴨の郷(旧五日市町)辺の人だった。火麻呂の母の名は日下部真刀自(くさかべのまとじ)。聖武天皇の御代に、彼は九州の防人に選ばれ任地に赴いて、3年の月日がたとうとしていた。この時に、母親は従者の資格で彼について行き息子の面倒を見ていた。彼には妻がいたが、法の定めで故郷の留守宅を守っていた。しかし、火麻呂はどうしても若妻に会いたくなり、道ならぬ考えを起こしてしまう。自分の母を殺し、喪に服すことによって軍役を逃れて帰り、妻とともに国元で暮らそうと思ってしまう。母親が信心深いことから、
母親に、東の山中で、7日間の法華経講義の集会があるから行って来いと勧める。母は、少しおかしいと感じながらも、お経の話を聞こうと思い立ち、湯で身を洗い清めて、息子と一緒に山中に入っていった。火麻呂は牛のような目つきで母をにらみ、「おい、地面にひざまずけ」と言った。母は、息子の顔を見つめ、「どうしてそのような事をいうのか。魔物にでも取り憑かれたのか」と言った。
火麻呂は太刀を抜いて母を切り殺そうとした。母は火麻呂の前にひざまずき「人々が木を植えるのは、木の実を採り、それに木陰に憩うがためです。子を養うのは、子の力を借り、さらに子に養ってもらうがためです。頼みとした木から雨が漏るように、何でお前は、思いもつかぬおかしな気を起こしたのです」と言った。
火麻呂は聞く耳を持たず、困り果てた母は着ていた着物を3か所に置き、彼の前にひざまずいて、遺言し、「わたしの気持ちを思って、この着物を包んでおくれ。一つは長男のお前が取りなさい。一つの着物は2番目の息子に送っておくれ。いま一つの着物は末の息子に渡しておくれ。」と頼んだ。
極道者の火麻呂が母の前に進み、首を斬ろうとするや、大地がたちまち避けて彼はそこに落ち込んだ。母はとっさに立ちあがり、落ち入る火麻呂の髪をつかみ、天を仰いで泣き叫び、許しを乞うたが、火麻呂は大地の裂け目から深く落ちてしまった。優しい母は息子の髪を持って家に帰り、法事を営んだ。
母の慈愛は深い。深いがために道ならぬ不孝な子にまで哀れみをかけ、子のために供養を行った。不孝の報いはてきめんに現れる、道ならぬ行いには必ず罪の報いがあることが、本当に分かるというものである。
なんだか、現代にも起こりそうな事件を取り扱っている。これが、奈良時代に書かれたというのが驚くべきことだ。古事記や万葉集とは違った世界が垣間見られた。古典の楽しみは、こうした発見にもある。
この中に、この前調べた五日市憲法の発祥地、旧五日市町に関する説話が載っていた。内容も、奈良時代にこんな話があったのかと驚くような事件ものだった。
「悪逆の子の、妻(め)を愛(めぐ)みて母を殺さんと謀り、現報に悪死を被(かかふ)りし縁」というタイトル。なお、この説話集は仏教に関するものだから、因果応報の話が多い。この話もそうだ。
吉志火麻呂(きしのひまろ)は、多摩郡鴨の郷(旧五日市町)辺の人だった。火麻呂の母の名は日下部真刀自(くさかべのまとじ)。聖武天皇の御代に、彼は九州の防人に選ばれ任地に赴いて、3年の月日がたとうとしていた。この時に、母親は従者の資格で彼について行き息子の面倒を見ていた。彼には妻がいたが、法の定めで故郷の留守宅を守っていた。しかし、火麻呂はどうしても若妻に会いたくなり、道ならぬ考えを起こしてしまう。自分の母を殺し、喪に服すことによって軍役を逃れて帰り、妻とともに国元で暮らそうと思ってしまう。母親が信心深いことから、
母親に、東の山中で、7日間の法華経講義の集会があるから行って来いと勧める。母は、少しおかしいと感じながらも、お経の話を聞こうと思い立ち、湯で身を洗い清めて、息子と一緒に山中に入っていった。火麻呂は牛のような目つきで母をにらみ、「おい、地面にひざまずけ」と言った。母は、息子の顔を見つめ、「どうしてそのような事をいうのか。魔物にでも取り憑かれたのか」と言った。
火麻呂は太刀を抜いて母を切り殺そうとした。母は火麻呂の前にひざまずき「人々が木を植えるのは、木の実を採り、それに木陰に憩うがためです。子を養うのは、子の力を借り、さらに子に養ってもらうがためです。頼みとした木から雨が漏るように、何でお前は、思いもつかぬおかしな気を起こしたのです」と言った。
火麻呂は聞く耳を持たず、困り果てた母は着ていた着物を3か所に置き、彼の前にひざまずいて、遺言し、「わたしの気持ちを思って、この着物を包んでおくれ。一つは長男のお前が取りなさい。一つの着物は2番目の息子に送っておくれ。いま一つの着物は末の息子に渡しておくれ。」と頼んだ。
極道者の火麻呂が母の前に進み、首を斬ろうとするや、大地がたちまち避けて彼はそこに落ち込んだ。母はとっさに立ちあがり、落ち入る火麻呂の髪をつかみ、天を仰いで泣き叫び、許しを乞うたが、火麻呂は大地の裂け目から深く落ちてしまった。優しい母は息子の髪を持って家に帰り、法事を営んだ。
母の慈愛は深い。深いがために道ならぬ不孝な子にまで哀れみをかけ、子のために供養を行った。不孝の報いはてきめんに現れる、道ならぬ行いには必ず罪の報いがあることが、本当に分かるというものである。
なんだか、現代にも起こりそうな事件を取り扱っている。これが、奈良時代に書かれたというのが驚くべきことだ。古事記や万葉集とは違った世界が垣間見られた。古典の楽しみは、こうした発見にもある。
昔も、こんな事件があったのかもしれません。でも、最近は嫌なニュースが多いですね。気をつけないと、慣れっこになってしまいそうです。
たけかなさん、
奈良時代の人の考えも、今に通じる所がありますね。変わらないところも、思ったよりもたくさんありそうですね。
芙蓉峰さん、
先人の残してくれたものは宝ですね。日本人の精神史を直接的に知ることが出来そうです。親の愛の深さも感じ入るものがありました。
親孝行が美徳とされるのも、昔から親不孝者が如何に多かったかという証拠ですね。
昔からこういうお話が書かれていたんですねぇ
驚きました