宮沢賢治とはどんな人だったのだろう。伝記も変わった視点から書かれたものを読んだことがある。彼の信奉者は、それぞれに自分の賢治像を持っている。でも、神様にはして欲しくはない。勘違いをしている人もいるようだ。賢治は万能薬ではないのに。人間としての賢治を感じ取りたい。
とはいえ、神格化とは違う所で、つながっていたい気持ちから、彼の本の復刻版を求めた。いずれもほるぷが復刻したものである。
大学生の時に、生協に出版社から売りに来ていた日本の文学の復刻版のセット。全部で3つのセットに分かれていたのか。本当は、全部を求めたかったが、学生にとっては高い買い物であった。それぞれのセットの内容をじっくり考えながら、1つを選んだ。始めて、ローンを組んで買い物をした。その中に、「春と修羅」が含まれていた。
その後、折を見ては古本屋で、そのセットの中の本が分売されているものを見つけた。
「注文の多い料理店」は、新宿に行く途中に、わざわざ、三鷹で下車して、古本屋で買った。当時はそんなに安くは買えなかった。でも、どうしても欲しかった。「春と修羅」は、2冊目をどこかの古本屋で買った。賢治がまだ生きていた時に、出版された本である。
坪田譲治が昭和14年に、賢治の童話から子ども向けの作品を集めて、出版された「風の又三郎」が存在する。これも、古本屋で求めた。出版のいきさつや、坪田譲二の子どもに向けた賢治の作品についての説明をあとがきの「この本を読まれた方々に」で読むことができる。これも、ある意味、貴重な文章である。その中に触れられているが、賢治の本がたくさん読まれるようになったのは、昭和9年頃。横光利一の勧めで、文圃堂から4冊の宮沢賢治全集が出版されてからだという。しかし、子ども向けの本が出版されていなかったことから、書店などから坪田譲治に賢治の作品からの選出が依頼された。小沢隆一という人が、本の箱から、表紙、さし絵までを、東京から岩手県へ出かけてまで描いている事を、坪田は評価している。
「童話というものは、讀むと面白くつて、ためになるものでなければなりません。ホンタウの童話、よい童話といふものは、さういうものであります」
坪田が選んだ作品は、「貝の火」「風の又三郎」「蟻ときのこ」「セロひきのゴーシュ」「やまなし」「オッペルと象」の7編である。あとがきでは、「風の又三郎」は、他と違った作風の作品であると述べている。現実の岩手の村を描き、その中に「風の又三郎」という超自然的な存在が、村の子どもたちの心の中の心象として登場している。現実の高田三郎は、そうした事情を知らないで、また、転校していく。
「風の又三郎」といえば、1940年に日活で作られた映画があった。幼い頃、テレビで見た記憶があり、あの歌がずっと染みついていた。大学生になってからであろうか、小金井の公会堂で上映会があった。電車に乗って観に行った。俳優の故大泉滉氏が村の子どもの役で出ていたのも印象に残っている。これは、おまけの話。
復刻版を持っているのは、一種のお守りのようなものなのかもしれない。
宮沢賢治 風の又三郎 ...ガラスのマント...
とはいえ、神格化とは違う所で、つながっていたい気持ちから、彼の本の復刻版を求めた。いずれもほるぷが復刻したものである。
大学生の時に、生協に出版社から売りに来ていた日本の文学の復刻版のセット。全部で3つのセットに分かれていたのか。本当は、全部を求めたかったが、学生にとっては高い買い物であった。それぞれのセットの内容をじっくり考えながら、1つを選んだ。始めて、ローンを組んで買い物をした。その中に、「春と修羅」が含まれていた。
その後、折を見ては古本屋で、そのセットの中の本が分売されているものを見つけた。
「注文の多い料理店」は、新宿に行く途中に、わざわざ、三鷹で下車して、古本屋で買った。当時はそんなに安くは買えなかった。でも、どうしても欲しかった。「春と修羅」は、2冊目をどこかの古本屋で買った。賢治がまだ生きていた時に、出版された本である。
坪田譲治が昭和14年に、賢治の童話から子ども向けの作品を集めて、出版された「風の又三郎」が存在する。これも、古本屋で求めた。出版のいきさつや、坪田譲二の子どもに向けた賢治の作品についての説明をあとがきの「この本を読まれた方々に」で読むことができる。これも、ある意味、貴重な文章である。その中に触れられているが、賢治の本がたくさん読まれるようになったのは、昭和9年頃。横光利一の勧めで、文圃堂から4冊の宮沢賢治全集が出版されてからだという。しかし、子ども向けの本が出版されていなかったことから、書店などから坪田譲治に賢治の作品からの選出が依頼された。小沢隆一という人が、本の箱から、表紙、さし絵までを、東京から岩手県へ出かけてまで描いている事を、坪田は評価している。
「童話というものは、讀むと面白くつて、ためになるものでなければなりません。ホンタウの童話、よい童話といふものは、さういうものであります」
坪田が選んだ作品は、「貝の火」「風の又三郎」「蟻ときのこ」「セロひきのゴーシュ」「やまなし」「オッペルと象」の7編である。あとがきでは、「風の又三郎」は、他と違った作風の作品であると述べている。現実の岩手の村を描き、その中に「風の又三郎」という超自然的な存在が、村の子どもたちの心の中の心象として登場している。現実の高田三郎は、そうした事情を知らないで、また、転校していく。
「風の又三郎」といえば、1940年に日活で作られた映画があった。幼い頃、テレビで見た記憶があり、あの歌がずっと染みついていた。大学生になってからであろうか、小金井の公会堂で上映会があった。電車に乗って観に行った。俳優の故大泉滉氏が村の子どもの役で出ていたのも印象に残っている。これは、おまけの話。
復刻版を持っているのは、一種のお守りのようなものなのかもしれない。
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