先週の4月29,30日のNHK教育テレビ「ハートをつなごう」は、依存症の第3弾目で、回復がテーマだった、1日目は、熊本在住のケンさん(28)のギャンブル依存症の場合の、依存症であることの受け入れ及び治療についての内容だった。依存症は、病気であるが、自分が病気であることの自覚から回復が始まる。依存症であることを受けいれる事ができなければ、治療することもできない。
ケンさんのギャンブル依存症が始まったのは、10年前に大学生になってからで、仕送りから教科書代まで、ギャンブルに費やしてしまった。学校は退学に至る。足りなくなった分は、サラ金で借り、総額100万円にも及んだ。結局は、この時の借金は、親が立て替えて払った。就職した後は、会社の金をギャンブルに使ってしまった。当初は借りるつもりだったのだろうが、運が悪いことに、その時は、儲けてしまったのだ。でも、ギャンブルでいつも儲かる方がおかしいのだから、会社の金の使い込みは続いた。
息子の行為がギャンブル依存症ではないかと思い始めた両親は、いろいろと息子に病院に行くように働きかけたが、本人に、依存症との自覚がないのだからどうしようもなかった。両親は、家族にギャンブル依存症がいる人たちの集まりの家族の会に入り、情報の交換に努めた。息子に対する働きかけを続けることにより、自助グループに参加するという段階に至った。地元熊本の、菊陽病院には、アルコール外来・ギャンブル外来・摂食障害外来があるが、そこへ3ヶ月間入院して治療を受けることができた。
回復の第1歩は、本人の依存症の自覚である。しかし、依存症は、完治する病気ではないという。治療後も、社会復帰してからもずっと、依存症の再発防止のために、病気と向き合っていかなくてはならない。2日目のテーマは、その点に関するものであった。
2日目は、岡山に住む木多さん(33)のアルコール依存症のケースだった。高校生の時から、アルコールを飲み始めてから、依存症の道を進んだ。社会人になってから、酒のせいで、職場を転々とすることになる。3年前に、両親に連れられて病院に入院。しかし、退院してからが大変だった。世の中は、酒が安易に買える状態だ。誘惑の真っ只中を生きていかなければならない。退院後3ヶ月後に、工場の派遣工になるが、日本の社会は、酒に対する許容性の高い国である。職場の同僚には、自分がアルコール依存症であることを言えず(普通の病気と違い、アルコール依存症に対する羞恥の気持ちが強い)、同僚から飲みに誘われることも多く、こうしたストレスが溜まり、うつ状態になり、仕事のミスの連発などから退職を余儀なくされた。立ち直りのきっかけになったのは、断酒会への参加であった。また、家族の協力もあった。家族も酒をやめ、料理の調味料もアルコールが含まれているものは避けた。1年後の再就職は、職場の人に、自分がアルコール依存症であることを告知した。それを承知した会社に就職することができた。今は、周りの人間が、自分のありのままを受け入れてくれている。
アルコール依存症は、一生、アルコールから遠ざからなければならない。飲みたい欲求を持ちながら、アルコールを一口でも飲めば、元の黙阿弥となる。本人の努力だけではなく、社会的なサポートも必要である。普通の病気と違い、「アル中」という言葉の持つ否定的な側面は、本人と社会の両方に、「恥ずかしい病気」という意識をもたらしている。依存症の再発を防ぐためにも、社会の依存症への理解が深まることが必要である。
ケンさんのギャンブル依存症が始まったのは、10年前に大学生になってからで、仕送りから教科書代まで、ギャンブルに費やしてしまった。学校は退学に至る。足りなくなった分は、サラ金で借り、総額100万円にも及んだ。結局は、この時の借金は、親が立て替えて払った。就職した後は、会社の金をギャンブルに使ってしまった。当初は借りるつもりだったのだろうが、運が悪いことに、その時は、儲けてしまったのだ。でも、ギャンブルでいつも儲かる方がおかしいのだから、会社の金の使い込みは続いた。
息子の行為がギャンブル依存症ではないかと思い始めた両親は、いろいろと息子に病院に行くように働きかけたが、本人に、依存症との自覚がないのだからどうしようもなかった。両親は、家族にギャンブル依存症がいる人たちの集まりの家族の会に入り、情報の交換に努めた。息子に対する働きかけを続けることにより、自助グループに参加するという段階に至った。地元熊本の、菊陽病院には、アルコール外来・ギャンブル外来・摂食障害外来があるが、そこへ3ヶ月間入院して治療を受けることができた。
回復の第1歩は、本人の依存症の自覚である。しかし、依存症は、完治する病気ではないという。治療後も、社会復帰してからもずっと、依存症の再発防止のために、病気と向き合っていかなくてはならない。2日目のテーマは、その点に関するものであった。
2日目は、岡山に住む木多さん(33)のアルコール依存症のケースだった。高校生の時から、アルコールを飲み始めてから、依存症の道を進んだ。社会人になってから、酒のせいで、職場を転々とすることになる。3年前に、両親に連れられて病院に入院。しかし、退院してからが大変だった。世の中は、酒が安易に買える状態だ。誘惑の真っ只中を生きていかなければならない。退院後3ヶ月後に、工場の派遣工になるが、日本の社会は、酒に対する許容性の高い国である。職場の同僚には、自分がアルコール依存症であることを言えず(普通の病気と違い、アルコール依存症に対する羞恥の気持ちが強い)、同僚から飲みに誘われることも多く、こうしたストレスが溜まり、うつ状態になり、仕事のミスの連発などから退職を余儀なくされた。立ち直りのきっかけになったのは、断酒会への参加であった。また、家族の協力もあった。家族も酒をやめ、料理の調味料もアルコールが含まれているものは避けた。1年後の再就職は、職場の人に、自分がアルコール依存症であることを告知した。それを承知した会社に就職することができた。今は、周りの人間が、自分のありのままを受け入れてくれている。
アルコール依存症は、一生、アルコールから遠ざからなければならない。飲みたい欲求を持ちながら、アルコールを一口でも飲めば、元の黙阿弥となる。本人の努力だけではなく、社会的なサポートも必要である。普通の病気と違い、「アル中」という言葉の持つ否定的な側面は、本人と社会の両方に、「恥ずかしい病気」という意識をもたらしている。依存症の再発を防ぐためにも、社会の依存症への理解が深まることが必要である。