トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

八王子車人形と民族芸能の公演③

2008-11-19 16:55:16 | わが街と近隣
 Ⅲ 説教節の会 
  素語り 「三庄太夫」
 
 今回の公演では、車人形とは別に素語りという形で語られることになった。説教節(説教浄瑠璃)として単独で聴くことができるので、いい機会を持てたと思う。
 仏教には、古くから説教師が存在していた。国民のほとんどが文盲だった時代、人々は説教師による話から、道徳や倫理といったことを学んだ。もちろん、それらは仏教思想に基づいたものであったが。平安時代末期に浄土宗の登場により、「和讃」が生れ、これが説教と結びついて説教節が行われるようになったのだろう。

 初期は、辻に筵(むしろ)を引いて説教節が語られたのだろう。作家の水上勉氏が言うように、昔の人は、路傍で道徳を拾ったのである。やがて、説教節は内容的に仏教の色彩を残しながらも、大衆的な語り物に発展していった。江戸時代には、京都・大阪・江戸・名古屋などに説教座が出来て流行した。しかし、義太夫の登場により、次第に廃れていき、今では、佐渡の説教人形・秩父横瀬の袱紗(ふくさ)人形・八王子の車人形などに演目として残っている状態である。

 八王子では、車人形とともに大正から昭和初期に隆盛している。現在は説教節の会が保存伝承している。都指定無形文化財である。

 おいらが、学生の頃、公民館の和室で車人形の公演が行われた。車人形は、本来は座敷や土間や庭先で行われたのだろう。この時に、12代目の薩摩若大夫が説教節を語った。公演終了後に、大夫が舞台から観客に向かって、説教浄瑠璃の伝承に力を貸して欲しいとのお願いをした。その時に太夫は高齢で、後継者がいなかった。このままでは、薩摩派の伝承が途切れてしまうという危機感から、伝承者を募集したのである。初心者でも良いから、自分のもとに稽古に来てくれとの切実な願いだった。

 一昨年、今回の公演で語る太夫が、13代目の薩摩若大夫を襲名した。薩摩派の説教浄瑠璃は無事継承されていた事になる。喜ばしいことである。

 演目の「三庄大夫」は、「山椒大夫」「さんせう大夫」と表記されることもある。いわゆる安寿と厨子王丸の話で、森鴎外の小説が有名である。しかし、説教節は、仏教的色合いを強く残すもので、金焼(かなやき)地蔵の霊験を語ったものである。はじめに太夫が、客席に向かって簓(ささら)を摺る。これは、まさしく説教節の伝統なのだろう。「三庄大夫」をすべて語るのには、多くの時間がかかる。今回は、姉と弟の額の焼き印を地蔵が身代わりとなって引き受けるところと、一番の山場として厨子王と母親との対面の場を語った。全部で約45分間。事前に東洋文庫の説教節の山椒大夫を読んでいたが、やはり、実際の説教節を聴くことは「語りの文学」を知る上で大切なことである。太夫によって、限られた時間にうまくまとめられていたが、これもその場で語る自在さを示す「語りもの」の特徴であろう。先代の説教節は、景清ものだったように記憶している。今、「説教節の会」によって保存伝承されている。郷土に残った伝統芸能を大事にしなくてはならない。

 今回の公演のように、素語りで、現存する説教浄瑠璃をさらに聴いてみたい。また、車人形との共演も観てみたい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。