A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

弱点

2006-09-10 10:23:23 | ライディング
 自分のライディングの弱点のひとつに気づく。ひとつは交差点を小さく左折する際、クラッチを切っていること。教習所でも、いわゆる「ライディング教本」にもそんなことは教えられてはいない。何かの雑誌で同じ癖を指摘されたという記事を読んだ記憶がある。

 たぶんこれは「恐怖心」だ。低めのギアを使うとしても左折の際はスピードを落とさざるを得ない。エンジンはギクシャクとした挙動を示す。エンジンがブレーキの制動力に耐えきれずストップしてロック、そのまま内側に倒れ込むことが怖いのだ。

 キャリアの長い友人に相談してみた。
「それは、クラッチを切らない代わりに回転数を上げて、速度はフットブレーキで調整すればいい」
 もちろん彼は路上ではいろんな状況があり、クラッチを切ることすべてが悪いことではないよ、とフォローを入れてくれはしたのだが。

 低速を余儀なくされるタイトコーナー。ヘアピンのような峠道。Uターン。いずれも僕が苦手とする状況だ。僕はへたくそだ。こう思っているから速いスピードでコーナーを通過することが全ていいことであるとは思わない。とはいえ、コーナーはスムーズに安心して通過したい。またツーリング先などでほかのオートバイに迷惑はかけたくない。……いや、正直に言おう。『アイツは遅すぎるよな』とは思われたくない。
 だから本当に少しずつでもいいから上達したい。苦手を克服したい。

 僕は今、意識的にクラッチをつないだまま交差点を曲がれるように気をつけている。
 駆動力を損なわず、安全確実にコーナーを回れるならそれに越したことはない。
 とりあえずはもう少し頑張ってみようと思う。
 

次の楽しみへシフト!

2006-01-19 22:40:12 | ライディング
以前、「スピードからの解脱」が目標である旨を書いた。
今日たまたま走っていてそれに近い感覚を得ることができた。

 19:30。お台場から湾岸道路を東へ走る。
 途中の信号で追いついたスクーターは、黒い色で青いLEDをチカチカさせて下品な音のマフラーに改造してある。
 自分の走りに自信があるのか、こちらをチラチラ伺いながら猛然と(下品な音をたてて)加速する。そのスクーターは東雲交差点の手前の右折車線に入り、渋滞の一番前に飛び出すと、まだ目の前の信号が青になる前に爆音をあげて飛び出していった。

 マナーもルールもなっていない、お行儀の悪い、知性の欠落しているようなヤツだったかもしれないが、今日は全然、頭に来ることがなかった。逆に『馬鹿じゃねぇの?』と蔑む余裕が生まれた。少しずつ満足感がわいてきた。

 『俺は挑発に乗らずに、自分のペースを守ることができた』
 『オートバイの楽しみは、スピードだけではない。自分のペースを守って操っているという満足感を得るのも楽しみの一つだ』
 『誰も俺のペースを乱すことはできない。俺は俺の刻むビートで走る』

 多少ガキ臭い表現かもしれない。
 しかし、自分が自分のペースを守れたこと。自分の余裕を信じられたことが、ただ単純に嬉しかった。

 『次の楽しみへシフトする』

 それはスピードでは得られない、自分の心との一体感をライディングで味わおうとする試みだ。
 早さは必要ない。
 勝ち負けは必要ない。
 ただ俺が俺の走りを楽しもうとしているだけなのだ。

 ライダーで良かった。オートバイに出会って良かった。
 そんな幸福感を一人で味わいながら、また明日もオートバイに乗りたい。
 

スピードからの解脱

2005-06-18 23:45:11 | ライディング
 「(公道でも)速いライダーは偉い」……これはこの世界での神話である。 少し自分のことを考えてみればわかると思うが、誰しも、いつでも、速くあろうとして走っている訳ではない。
 気分が乗らなかったり、体調がすぐれなかったり、スタート前に黒猫が前を横切ったり……。
それは当たり前のことなのだ。速いことと偉いことは違うものなのだ。

 しかしライダーというものは、隣を猛スピードで追い越されれば、ついスロットルを開ける右手に力が入ったりするものである。
 都内をゆっくりと流していたり、帰りの通勤で疲れているときでも、半ヘルで爆音で、余計な青いLEDをチカチカさせているような馬鹿スクーター乗りの小僧が、これ見よがしに目の前を塞いでいようものなら、静かにすり寄って、一気に抜き去ってやろうかと考えてしまうものなのである。

 しかし待て。

 誰からも、何者からも、できるだけいつも自由でありたいと願うライダーが、たったひとつスピードからは自由になれないのはどうしたことだ。

 スピードの呪縛から、「速いものが偉い」という虚言から、自らの心を解き放つことでライダーはもっと自由になれるのではないだろうか?

 「セルフコントロール」

 これが現在、僕の公道での目標である。