高野山・奥の院と金剛峯寺に無事結願の報告とお礼参りが終わったあと、
壇上伽藍へ行き、ここでも参拝をした。
伽藍と言うのはサンスクリットの音訳で、僧侶が集い修業をする閑静清浄な場所という意味らしい。
紅葉が始まった蛇腹路を入ると、右側に東堂、三昧堂、大会堂、愛染堂、根本大堂と続く。
流れてきた霧が徐々に境内を包み始め、その中に凛と建つ赤い根本大堂と金堂。
創建以来、焼失、再建を繰り返している壇上伽藍だが(不動堂だけは鎌倉時代の創建のまま)
中門が、現在は礎石のみが残るだけだった。
が、2015年の高野山開創1200年に向けて、現在再建工事が進められている。
壇上伽藍の近くでは、その木造部分を制作している様子を見ることが出来ると聞いたので行ってみたら、
宮大工さんが一人、黙々と仕事を続けていた。
2015年といえば、あと4年。
門だけなのに、何と大がかりで長い期間がかかるのかと驚いた。
1200年前の創建時には今ほどの建築機材はなかっただろうに、
一体どんな方法で、どれほどの期間で造り上げていたのだろうか。
この新しい中門に使われる木材の多くが高野山の木を使っているとのこと。
改めて、この高野山の豊かさを感じた。
そして、遍路の最後の宿泊は、高野山の宿坊《一乗院》で。
宿坊の玄関の間と、その横の部屋
ここ宿坊には、いい意味で宿坊の概念をガラッと変えられた。
部屋の設備も整っていて、心遣いが細かいところまで行き届いている。
なんだか、遍路結願のご褒美みたい。
手入れの行き届いた中庭を眺めていると、達成感と安堵感でいっぱいになる。
この遍路旅を無事に終えられたことに感謝。
そして、見守ってくれた大きな存在に、心からの「ありがとう!」
壇上伽藍へ行き、ここでも参拝をした。
伽藍と言うのはサンスクリットの音訳で、僧侶が集い修業をする閑静清浄な場所という意味らしい。
紅葉が始まった蛇腹路を入ると、右側に東堂、三昧堂、大会堂、愛染堂、根本大堂と続く。
流れてきた霧が徐々に境内を包み始め、その中に凛と建つ赤い根本大堂と金堂。
創建以来、焼失、再建を繰り返している壇上伽藍だが(不動堂だけは鎌倉時代の創建のまま)
中門が、現在は礎石のみが残るだけだった。
が、2015年の高野山開創1200年に向けて、現在再建工事が進められている。
壇上伽藍の近くでは、その木造部分を制作している様子を見ることが出来ると聞いたので行ってみたら、
宮大工さんが一人、黙々と仕事を続けていた。
2015年といえば、あと4年。
門だけなのに、何と大がかりで長い期間がかかるのかと驚いた。
1200年前の創建時には今ほどの建築機材はなかっただろうに、
一体どんな方法で、どれほどの期間で造り上げていたのだろうか。
この新しい中門に使われる木材の多くが高野山の木を使っているとのこと。
改めて、この高野山の豊かさを感じた。
そして、遍路の最後の宿泊は、高野山の宿坊《一乗院》で。
宿坊の玄関の間と、その横の部屋
ここ宿坊には、いい意味で宿坊の概念をガラッと変えられた。
部屋の設備も整っていて、心遣いが細かいところまで行き届いている。
なんだか、遍路結願のご褒美みたい。
手入れの行き届いた中庭を眺めていると、達成感と安堵感でいっぱいになる。
この遍路旅を無事に終えられたことに感謝。
そして、見守ってくれた大きな存在に、心からの「ありがとう!」