ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「利休の死」井上靖

2023-10-22 03:17:00 | 読書
中公文庫で20210125に発売されている。当然、何度目かの発行。何だか買った記憶があるが、記録にないし、実物も出てこない、何なんだろう?その頃は石川に引っ越しして間がない時期だ。そんな昔でもないような気がしたが。ただ収録作品を見てみると、講談社文芸文庫の2冊とほぼダブっている。だから買わなかったのかもしれない。そして今回はまた忘れていて買ってしまった。というところだ。
「桶狭間」
信長の話。よく知られる、若い頃のうつけの話で、父の葬儀に行きたくない。まっこうをぶっかける。それを嘆いて平手が自害する。自分の考えと、自分の上の世代との考えのギャップに違和感を感じている信長だが、桶狭間を機に帝王のような情熱が顕在化する。
「篝火」
多田新蔵は織田信長方に捉えられている。赤い褌一丁で捕らえられているという情けない状況。敵からは嘲笑の的だ。しかし当の本人は全く恥とも思っていない。この戦に馬鹿馬鹿しさを感じている。というのは、新蔵の感覚では戦とは、槍や刀で戦うもの。しかし今回の戦は鉄砲が登場した。一瞬で何の武士らしさもなく決着がつくことに馬鹿馬鹿しさを感じていたのだった。山県昌景を狙撃したという名もない下っぱの侍の話を耳にする。新蔵からすれば山県は崇拝する人物。それが一介の下っぱが暇だから命令を待たず撃ったという。その暇だったからというワードに怒りが沸騰する。敵の槍を奪って抵抗を試みる。万にひとつの勝ち目もない。それは承知だ。最後の瞬間を迎えようとしている。
「平蜘蛛の釜」
以前に読んだ。松永久秀が自爆した日は10月10日で、10年前に南都の大仏を焼いた日と同じ日と月だったという。
「信康自刃」
何とも暗くて悲しい話。丁度今年の大河ドラマは「どうする家康」で、信康自刃の話も出てきたところだ。大河が例外で、築山殿と信康は今川らと通じて理想郷を造ろうとしていたという話だったが、ここではやはり史実通り、築山殿は今川に重きを置き息子である信康も同じ考え、織田信長の娘である徳姫は信康母子と不和であり、徳姫は信康への讒言12項を信長に訴える。築山殿と信康は信長の命により自害させられる。徳川に徳姫を言ってみれば人質として送る信長の悔しさと、家康は信長から送られてきたあいくちのような徳姫、いつか自分に突きつけられはしまいかという予感を持っており、まさにそれが現実となった。
「天正十年元旦」
武田勝頼、織田信長、明智光秀、羽柴秀吉の元旦の様子を描写した、非常に短い短編。数ヵ月後にはこれらの登場人物の運命が一気に替わる。本人たちはそれを予感したりしてなかったり。短くそして静謐ながら味わい深い。山田風太郎の「同日同刻」のような感じ。
「天目山の雲」
武田勝頼の話。冒頭は血気にはやる勝頼だが、その衰退が凄まじい。敗戦が続き、味方も次々に去っていく。最後天目山に入るときには44名しか残っていなかった。信玄の子であるというプライド。それが空回りし敗戦、重臣たちを無くし、やがて次々と味方が去っていく。その寂しさ虚しさがよく伝わる。嫌な人物としては描かれておらず、それだけに悲劇的な主人公と映る。
「信松尼記」
以前に読んだ。
「森蘭丸」
蘭丸。弟は力丸、坊丸という。父は森可成で宇佐山城だった。浅井朝倉との戦で討たれた。ただ惟任光秀が加勢していれば助かったかもしれないところを、素通りし石山に向かった。これを蘭丸は恨みに思っている。だから光秀が好きになれない。信長が武田を破った際、蘭丸は美濃兼山城を与えられる。その時一人の女性と出会う。由弥という。初めて恋愛感情を持つ。しかし由弥は光秀の愛人だった。そして迎える本能寺。これは短編ながら読みごたえがある。蘭丸の気持ちが伝わってくる。
「佐治与九郎覚書」浅井長政とお市の娘三姉妹の一番末っ子の小督(こごう。井上靖はこう呼ぶことが多い。お江のこと)は3度結婚している。一人目が佐治与九郎一成だ。与九郎の母は信長の妹で市と姉妹なので、二人はいとこの関係になる。浅井三姉妹の2番目の娘の初と違って、勝ち気で知られるが、ここでは逆に穏やかな朗らかな性格だ。仲良く過ごすが、2年後、秀吉から小督を病気になった茶々の見舞いに来させるよう使いが来る。与九郎はこのまま小督を返してもらえないのではないかと予感する。案の定離婚させられ、秀吉の弟の秀勝と結婚させられる。これまた仲睦まじかったそうだが、秀勝は朝鮮出兵時に病没した。やがて小督は徳川秀忠と結婚する。与九郎は自分と小督がそうであったように、秀忠と仲良くやっているのだろうと思う。小督は誰とでもそれなりに仲良くできる性格なのだろう。
「利休の死」
切腹を言い渡される直前から始まる。何か自分の運命が替わるような知らせが来るような予感を感じている。辞世の句をもう書いている。秀吉との確執がいつ起こったのか想いを巡らす。それは秀吉と初めて言葉を交わしたときに、既に運命は決まっていたのだと思う。他の作品でもそうだが井上靖の考えでは、利休は秀吉に対しては見えない刀で斬っている。何度も何度も斬っている。その仕返しに切腹させようという。そんな解釈だ。
 
「桶狭間」
20230709読み始め
20230709読了
「篝火」
20231015読み始め
20231015読了
「信康自刃」
20231015読み始め
20231015読了
「天正十年元旦」
20231018読み始め
20231018読了
「天目山の雲」
20231019読み始め
20231019読了
「森蘭丸」
20231021読み始め
20231021読了
「佐治与九郎覚書」
20231021読み始め
20231021読了
「利休の死」
20231022読み始め
20231022読了

サッポロヱビスオランジュ

2023-10-11 20:25:40 | ビール

ファミリーマート藤江北で購入。

エビスも色々試してきている。

世の流れは、ブルワーの大小に関わらず、多様性を追求している。

数年前までは、小さなブルワーは、多種多様なビールを醸して、大手メーカーと差別化しようとしていた。

ところが、大手メーカーまでも、あくまでメインではなく、社内ベンチャー的にクラフトビールを専門にする部署を作ったようにして、その部署で実験的なビールを少量生産するという戦略をとっているように思える。

少量生産で、個性的なビールを作る。一方、大手メーカーの営業力を活かし、ホームページでは、それこそ小さなブルワーのホームページにあるような、「俺たちは本物のビールを造りたいんだ」「俺たちのこの想いを受け取ってくれ」的な暑苦しい情熱を、いとも簡単に表現してしまう。

小さなブルワーはたまったもんではないだろう。

つまり、小さなブルワーが(それしか大手に対抗できないので)やっていることを、大手が簡単に、そしてより派手にマネしている。

大手メーカーはそんな小さなブルワーを潰して何になるのだろうか。全く無意味に思う。

まあ、大手メーカーのマーケティングは、消費者にそんなニーズがあると分析したのだろう。

さて、

注ぐと、茶色寄りの色。

オレンジにも見える。

飲む。

オレンジピールを含むため、わずかではあるがオレンジの風味。そして苦味はある。

コクは少な目な気がする。

味の傾向としては、先ほどのキリン一番搾りやわらか仕立てと似ている。

角がとれてまろやかでスムース。

強いて比べるなら、

苦味はある、これはホップや麦芽由来ではない。オレンジピール由来だ。

そして、ミルキーさが感じられる。


キリン一番搾り「やわらか仕立て」

2023-10-11 20:02:23 | ビール

ファミリーマート藤江北で購入。

缶の色は珍しい色。ターコイズ的。

小麦が入っているらしい。

確かにまろやか。軟らかい。

一番搾りは様々な味覚があり、荒々しいイメージ。

これはフレッシュという味覚は残しつつ、ノーマルの荒々しさがマスクされている。まろやか。

缶の色の緑系から来るイメージのホップの青々しさが感じられる。

そして缶の色の緑をペールトーン、ターコイズにしたイメージのまま、青々としたホップの風味をまろやかにしている。

ノーマルの一番搾りに飲み疲れたときにまさにピッタリ。

20231105追記。

本当に、味はしっかりあるが、全体的にまろやかにしているので、一番搾りに限らず、各メーカーのレギュラービールに飲み疲れたときにいいかもしれない。


「額田女王」井上靖

2023-10-10 20:41:29 | 読書
大化の改新は専横する蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺されるという事件。中大兄皇子はすぐに即位せず、叔父で皇族中の長老である、軽皇子(かるのみこ)が孝徳天皇に即位。弟は大海人皇子、後の天武天皇。
大化の改新以前には蘇我入鹿によって聖徳太子の御子である山背大兄王(やましろのおおえのみこ)が暗殺された。聖徳太子とは大化の改新に近い時代の人物だったのか。
まだ読み始めたところだが、木下昌輝や天野純希などの、戦闘シーンが多かったり多少強い表現のある小説を読んでいるところからすると、さらっとした雰囲気で安心できそうだ。ただ飛鳥時代という馴染みのない時代設定や人物の読み方が難しい。
額田王は神の声を聞く巫女であり、その声を歌にする。つまり人の声を聞くのではない。ある夜に大海人皇子は額田王を見つけ声をかけようとするが、他者の殺気を感じ、できないでいた。それは誰かはわからない。後の場面では額田王から見た場面がある。姿を見せない2人の人物がつけてきている。そしてその1人が大海人皇子ではないかという気はしている。過去に何度か仲介の人物を通じてお誘いがあったが、全て返事はしなかった。と言うのも自分は神の声を聞くのであって、人の声を聞くのではないからだ。
遣唐使の話。第二回のようで史実通り、2艘で出発するが1艘は遭難する。鎌足は直ぐに次の遣唐使を計画する。通常人員を指名して出発まで1年以上間を置くのだが、そうしているうちに辞退するものが出るため、次回は派遣人員を発表してから速やかに出発することにする。
3回遣唐使までの間に都を難波津から大和へ移すという話が持ち上がる。天皇は残るといい、政治の中枢は大和へ移ることになる。
孝徳天皇は崩御。中大兄皇子は即位せず、母である斉明天皇が即位、斉明天皇は前の皇極天皇であり、重祚(ちょうそ、二度即位)する。孝徳天皇の皇子の有間皇子は17歳ながら歌がうまい。額田は興味を持つ。有間皇子は悲しいときにしか歌が作れないという。
有間皇子は中大兄皇子や鎌足から目をつけられる。それを避けるために心の病を装う。しかし、蘇我赤兄の密告により捕えられる。額田が最後に目にしたときには、目に狂気は宿っていなかった。討たれたあと2首の歌を知り、額田は美しい歌と感じた。これを詠むため討たれたのではないか。
豊璋(ほうしょう)は百済の王。預かっていたわけだが返せと言われる。
額田女王の姉の鏡女王は小さい館を賜った。それは中大兄の寵を受けない立場に立ったことを意味するのだ。
百済は存亡の危機に貧している。日本に助けを求めてきた。中大兄皇子は手助けするか判断に迫られる。
建設中の屋敷に額田は迎えられる。中大兄皇子は現れるが用事ですぐにいなくなり、何のためにこの屋敷に留め置かれるのかわからない。そとは雪。一人で湯を浴びせられ、何も発しない四人の侍女に見つめられながら未完成の、突貫でしつらえられた部屋で過ごす。夜中に中大兄皇子が雪にまみれて訪れる。この場面は叙情的。
斉明天皇一行は百済救出のため筑紫へ船で向かう。その際立ちよったのが熟田津。湯の出るところだが作者は道後温泉とは記していない。そこから出向する際に額田がよんだ歌が残っている。これは額田自身であったり、斉明天皇がうたった、または斉明天皇の心を額田がうたったとも言われている。しかしここでは中大兄皇子の心を額田がうたったとしている。
半島出兵の準備の最中、老女帝は崩じる。出兵を望まない民衆の中では暗い雰囲気が漂う。
中大兄皇子、大海人皇子の関係者が集まり観月の宴。そこに、額田と大海人皇子娘である十市皇女の参加。年に数回しか顔を合わせることがない。久々に面と向かった十市皇女は額田の顔を見るなり、あっと言って逃げるように去る。
豊璋は百済の再興を図るが、何を思ったか一番の貢献者である福信を謀反の疑いで処罰してしまう。そこから全てが狂いはじめる。
鬼火の話が出てくる。これはすごい。幻想的であるし、過去もそして現在も正体のわからないものだ。これを登場させる作者はすごい。
中大兄皇子は鬼火に苦しめられ夜を歩いている。それを額田は見つける、はじめなにも見えなかったが中大兄皇子と同じように鬼火が見えるようになる。苦しめられる2人。これは白村江の戦いが始まったのだと悟る。
白村江は敗戦となる。中大兄皇子が指揮を取っていたため民衆や豪族たちから信頼を失っている。鎌足は中大兄皇子もそう思っていたが、自分はそれを甘んじて受けつつ、今後は大海人皇子を全面に押し出すのがいいと言う。
それから近江への遷都。民衆はまたもや不安を感じはじめる。そうすると鬼火が現れはじめる。
以降も世の中に不安感が増すと鬼火が現れる。ここで言う鬼火とは墓のそばで現れる火の玉のことではないようだ、この時代同じ意味ではあるが、鬼火、ひいてはそれが火災の原因となる。恐らく、世の中に不安と言うより、中枢に不満をもった時、と言い換えられる。そして、不満をもった何者かがそのはけ口に放火をしているといえるのだ。
大海人皇子の館での宴席に額田は招かれる。娘である十市皇女に会えるとのこと。十市皇女は高市皇子と遊んでおり、一瞬まみえただけ。その席で、大海人皇子から十市皇女を大友皇子の妃とする話を聞かされる。大友皇子は天智天皇の皇子なのでいとこどうしになるのか。複雑だ。額田にどうすべきか意見を求めるが、そうすべきと答える。
数日後額田は投石に会う、投げたのは高市皇子であることがわかり、そこで高市皇子の十市皇女に対する気持ちを知る。
大化の改新から白村江の戦いなど歴史の大きな事件がバックにありつつ、これはやはり、中大兄皇子、大海人皇子という2人から愛され。さらに大海人皇子との皇女である高市皇子に対する母としての立場、そして中大兄皇子の皇子である大友皇子の妃とする。その気持ちを描いたものだ。額田の立場はなかなかないもので、また実際どう思っていたなど想像もできない。それを作者は物語としたのだ。もっとも、その時代の考え方は現在と全くことなっているに違いない。その意味では、現代的な男女の関係であったり、母と娘の関係に置き換えられてはいる。
天智天皇と大海人皇子の関係が不穏になる。天智天皇は後継に弟の大海人皇子ではなく、皇子の大友皇子にしようと考え始めているから。それから、大海人皇子が根に持って天智天皇に反発しているような状態や描写が続く。読者は不安になる。
天智天皇が病にかかる。そんな中、不和と思われる大海人皇子が天智天皇を訪れる。何かあるのでは?我々が思うのは、大海人皇子が天智天皇に何かするのではないかと思うのだが、物語では、大海人皇子が兄から何かされるのではと額田は心配しているのだった。しかし、出てきた大海人皇子から告げられたのは、額田と会うのはこれきりということ。つまり大海人皇子は出家するという。その許しを天智天皇にうかがいに来たところだったのだ。恐らくそれは認められるだろうとのこと。大海人皇子は額田に十市皇女のことを頼むと託される。額田がそうであったように(中大兄皇子と大海人皇子を愛したように)、その額田と自分の皇女である十市皇女が似た境遇で、二人(大友皇子、高市皇子)を愛することのないよう託す。
壬申の乱がクライマックス。この緊迫感。そして、緩やかに終息。最後は高市皇子が十市皇女に詠んだと思われる3首で結ぶ。
よく考えたら、高市皇子と十市皇女の父親は大海人皇子ではないか?姉弟?
中大兄皇子、大海人皇子という兄弟から愛された額田。そして自分の皇女である十市皇女(と、大友皇子、高市皇子の関係)今から思えば想像しがたい関係性。ではあるが作者によって額田の心情から、その関係性を表現したともいえる。
登場人物が登場人物だけに。文章が固いように思える。なかなか直接的な表現はできない。だが逆に奥ゆかしく格式のある文体ともいえる。
 
20230520読み始め
20231010読了