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「コズモポリス」ドン・デリーロ

2013-04-09 22:07:10 | 読書
コズモポリス (新潮文庫) コズモポリス (新潮文庫)
価格:¥ 620(税込)
発売日:2013-01-28
デリーロの小説がどう言う作風なのか全くわからないまま、何やら何度もノーベル賞候補に上がっているという興味から、手軽そうなものをということで読んで見た。手軽も何も評価は非常に高い作家でありながら、ほとんどの作品が絶版になっている。この小説も、クローネンバーグが映画化したことによって、文庫として再版されただけで。選択肢は限られていた。
そんな状態なので、代表作である「アンダーワールド」も今や絶版で、以前に図書館でさわりだけ読んだに過ぎない。その時の印象としては、長大な小説のごく導入のところしか読んでいないので何とも言えないが、話の流れがスローモーションである、という印象があった。しかし、これは不思議なリズム感だ。ほんの数秒のシーンの中に様々な物語が語られ、相対的に時間の進みが遅くなるのだろうか?
この「コズモポリス」も、話の雰囲気はまったく違うが、「アンダーワールド」と同じような時間の流れ方だと感じた。作風はパンキッシュで、バロウズやピンチョン的であるし、会話の内容は形而上的すぎて理解し辛い。しかし、時間の進みは緩慢で、数秒の事象の中に様々な物語が語られるのは同じだ。
それにしても、話の内容が全く把握できなかった。高度に情報化された世界にあって、世の中の事象が現実に起きているのか、それとも想像の産物なのか、境界が曖昧になってきている。主人公も実際一日のほとんどをハイテク装備したリムジンの中で過ごす。仕事は車中のモニタに映し出されるチャートで完結するし、自分の健康管理も車中でモニタリングされている。自分の存在自体までもが現実のものなのか、想像の産物なのかわからなくなっている。これは自分だという認識は、手を銃で撃ち抜いた、その痛みによって実感することがきた。ということだろうか。だとしたらありがちな題材のような気もするが。
情報化社会が進んでいくと、人間は思考だけになる。もはや肉体は存在意義がなくなってしまう。肉体だけでなく存在自体が希薄になる。究極には、自分というものはディスクの中であったり、コンピュータの中に存在することができるのではないか?機械の中のデジタル信号と何が違うのだ?ということだろうか。デリーロは人間の存在や思考というものをそういう風なものではないかと、提起してみたのだな。
ただもう一歩踏み込んで、そうやって機械の中に記録された人間の思考というのは、自らを意識したり認識したり、自発性を持ったりするのであろうか?そう言った疑問にも踏み込んで欲しかった。
しかしなんだかんだで、読者のレビューにあるように、現実感のない雰囲気というのは文章から感じられた。これは現実なのか、主人公の妄想なのか、今現在起きている事象なのか、過去の事象を思い出しているのか、正気で考えているのか、酩酊状態で考えているのか、その境界が曖昧で現実感のない、落ち着かない読みごこちを与えられた。
20130323あたりから読み始める。
20130409読了。