2011荒尾市議選 6期目挑戦19票差で落選 田中ひろはるブログ!

ひろげたい! みどりと 平和と みんなの笑顔を! 新社会党でがんばります!  

よっぽどだったんですね 22年度社明運動反省会

2010年08月31日 | 地域活動
本日の午後2時から、荒尾市総合福祉センター(旧四小校舎)で開催されました、平成22年度の社会を明るくする運動の反省会へ市高P連を代表して出席してきました。
代表と言っても、他の役員さんはそれぞれに仕事がありますので、ということです。
議題のうちの経過報告では、それぞれの活動に対して意見があり、その中で特に『第4回ヤングステージインあらお』について意見が集中。
ある小学校からの参加者が多かった。出演者は頑張っていた。口蹄疫問題で学生から寄付カンパを会場で取り組もうと、急な提案があったものの34887円のカンパがあり、荒尾市を通じて宮崎県に送ったなどの良かった面の発言もありました。その反面、『出演者の内容を事前に把握しておくべき』とか『子ども達には見せたくない格好であった』とか、とにかく批判の声の方が多かったですね。
私はその日、ちょうど同時刻に新社会党荒尾総支部定期大会がありましたので、参加することができず見ていないので分からないんですが、批判の声が多いことによっぽどの格好をして出演していたんですね。来年の反省として、一番に掲げられました。
他にも、出発式後の市内5ヵ所での啓発活動において、荒尾消防署前の鮮ど市場も加えるべき。ティッシュだけでなくチラシも配布すべき。イベントがマンネリ化している、などの意見もあり、少年指導センターを中心に検討をされることになりました。
この活動の中で特筆すべきは、金銭面から行動まで、保護司会の方々の多大なご協力があった事を紹介しておきます。
荒尾市社明運動は38団体で構成されており、市高P連もその一翼を担っていますが、一つのイベントの推進母体ではなく、参加できるイベントに参加する程度の取り組みしかありません。
私は来年度においては役が消滅してしまいますので、個人的な参加になってしまいますが、昭和25年から始まり今回で第60回を迎えた社明運動。
青少年の健全育成、非行防止、犯罪に巻き込まれないよう、私も行動をともにしていきたいと思っています。皆さん、お疲れ様でした。

9月議会開幕 質問者は8人?

2010年08月30日 | 荒尾市議会

第4回荒尾市議会定例会(9月議会)がスタートしました。
以下、議会日程と私の質問項目を報告しておきます。お時間があられる方は傍聴をよろしくお願いします。
第4回市議会定例会(9月議会)会期17日間
8月30日 開会・提案理由説明
9月6・7・8日 
質問戦(8人が登壇)
田中浩治の質問項目 ・・・・『続きを読む』でどうぞ
9・10日 常任委員会審査
15日 
常任委員長報告、討論、評決、閉会


先の6月議会では、13人が質問戦に登壇しましたが今回は8人。
私が議員になった頃は、与党・野党が競い合って登壇、閉会日での議案に対する討論もお互いに負けるかの想いで活発に論戦を繰り返していましたが、・・・・・。

発言通告書(  質疑    一般質問  <o:p></o:p>

件名<o:p></o:p>

要旨<o:p></o:p>

短期自主健全化計画、あり方検討会提言に基づく荒尾競馬事業について<o:p></o:p>

 市民の関心事ですが、事業運営や再建計画の進捗状況、収支決算の状況、将来等については競馬組合議会がありますので、質問することができないようになっているようです。<o:p></o:p>

1.        新聞等で出走手当の削減云々が取りざたされていますが、13億円の貸付金はどうなっているのでしょうか。収益事業。<o:p></o:p>

  監査委員としては、指摘すべきことはないのでしょうか。<o:p></o:p>

2.        出走手当の動向により、雇用問題が危惧されます。市としての特別な対策がなされるのでしょうか。雇用問題が絡むことから、市は競馬組合へ競馬運営を構成する方々への説明をするよう、求めても良いのではないでしょうか。<o:p></o:p>

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3.        市が行ったあり方検討会。その提言『計画の途中であっても廃止も視野に』の存廃判断は、競馬組合なのでしょうか。<o:p></o:p>

4.        市においても、財政上の負担は免れないことから対策についての検討状況は。20億円の基金積み立て。市としての全般的な対策は。<o:p></o:p>

5.        市長選挙において、市民への公約として競馬事業をどう考えられていられるのでしょうか。<o:p></o:p>

6.        別件にて、とも思いましたが、荒炎祭について、特に露店を出された方より不満の声が寄せられました。競馬組合へのメリットがあったのでしょうか。総括はどうでしょう。<o:p></o:p>

 産交バスへの補助金の動向、交通弱者対策について<o:p></o:p>

平成20年度決算が4000万円、そして21年度決算が4860万8000円。<o:p></o:p>

これは一過性のもの、あるいはバス離れなのでしょうか。<o:p></o:p>

5月にダイヤ改正に伴い路線の見直し、バス停設置の見直しがなされましたが、このことにより補助金削減への効果を図ることはできるのでしょうか。<o:p></o:p>

予算5000万円を22年度決算が超えた場合、交通弱者の『足』をどう守られるのでしょうか。特に、必要と言われる地域への対策は。<o:p></o:p>

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以上通告します<o:p></o:p>

平成 22  8  30 <o:p></o:p>

市議会議長  島田  <o:p></o:p>

市議会議員  田中浩治


完成しました 国労熊本闘争団史

2010年08月30日 | その他
『ああでもない。こうでもない』といった度重なる編集会議をおこない、そしてようやくこの度、国労熊本闘争団史が完成しました。
6月28日、最高裁判所において鉄建公団:鉄道運輸機構との和解協議が整い、すべてのかかる裁判を取り下げ金銭面での解決をみたことで、中間的な総括としての記録史を発刊することにより、これまでにご支持をいただいた政党や労働組合、民主団体などに対して、お礼の意味を込めて差し上げるものです。
まだ中間なのは、雇用問題が解決をしていないことからであり、希望する闘争団員は183名。前原国交省によるJR各会社への雇用をはたさなければなりません。
今後もご支援をお願いします。
闘争団史は56ページからなっており、当時の写真もふんだんに使い読みやすい、当事者でなくても理解しやすい内容となっています。
23年間(1987年~2010年)の記録を費用の関係から凝縮することは大変なことでしたが、そこは事務局長がしっかりしていたことが特筆です。お疲れ様でした。
皆さんの目に触れる機会があるかどうか分かりませんが、23年の闘いの意義や意味をご理解いただければ幸いです。

明日から9月議会が始まります。

2010年08月29日 | 議会活動
長かった夏休みも終わり、小中学生の子ども達は8月27日から学校に行っています。
そして、あと3日で9月。早いですね。私にとってこの夏の想いでというのは、例年と同じように大してありませんでしたが、皆さんはどうでした。
市議会は、明日から9月議会が始まります。日程(予定)では、8月30日~9月15日までの会期17日間。
こんなに早くになった理由を聞いていませんが、おそらく9月18日~19日が県民体育祭荒尾大会ですので、大会の諸準備が大詰めを迎えるに当たって、また当日には多くの方々による力が必要なことから、その大会前に議会を終わっておこうと言うことなのかもしれませんね。
ちなみに、熊本県議会は9月15日~10月8日のようです。
あわせて、気が早い話しですが12月末には荒尾市長選挙が執行される予定ですから、11月の末には12月議会が召集されるものと思います。よって、9月議会が早まったのかもしれませんね。
いずれにせよ、明日から始まる9月議会の準備をしなければなりません。質問戦での発言通告書や国へ送付したいと考える意見書の文案作成。
きょうも大変になりそうです。

カップル誕生を願っています 結婚サポートセンター

2010年08月29日 | その他
6月に有明フェリー施設内に開設された、荒尾・玉名地域結婚サポートセンター。
現在の登録会員数は、男性51名、女性30名の合計81名のうち、荒尾市民が19名、玉名市民が30名であり、長洲町8名、南関町8名、和水町2名、玉東町2名。また、大牟田市、みやま市、柳川市、うきは市、熊本市からの管外から12名が登録されているようです。
さて本日、ホテルヴェルデにて第1回目となるお見合いパーティーが開催されるそうです。
私は、そういった類のパーティーには参加したことがありませんので、どういった内容なのか分かりませんが、ねるとんのような感じですかね。初めて会う方とお話しすることは、大変に緊張します。
いずれにせよ、今日の出会いの場がキッカケとなり、カップルが誕生すれば良いですね。
そうなるよう、サポートセンターの方々にはよろしくお願いします。期待しています。

人気ランキング結果

2010年08月28日 | インポート

日本ブログ村、8月28日の田中ひろはる人気ランキング結果

  今日 昨日 2日前 3日前 4日前 5日前 6日前 全参加数
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政治 354位 366位 377位 376位 418位 355位 419位 2586サイト
政治家(市区町村) 75位 76位 84位 86位 94位 83位 92位 279サイト
地方自治 25位 26位 26位 27位 33位 25位 32位 132サイト

ということでした。サイドバーをクリックしていただいていますので、お知らせということで・・・・・。
 

大牟田荒尾の再開発と浮揚を目指して 地域振興推進協議会総会

2010年08月28日 | 議会活動

昨日の午後4時から、荒尾市のホテルヴェルデにおいて開催されました、第30回大牟田・荒尾地域振興推進協議会総会。
私は、荒尾市よりの委員幹事として出席してきました。
この総会では、平成21年度の事業報告・収支決算報告、平成22年度の事業計画案・収支予算案などを議論し、両市共通課題としてある点について、お互いが手を取り合って再開発と浮揚を目指して取り組んでいくことを確認するものです。
共通課題については、新設浄水場の整備、JR鹿児島本線の利便性確保、国営諫早湾潮受け堤防での開門調査の取り組みなどの有明海の再生、大島地先への企業誘致、雇用対策の推進を含む産炭地域の振興、県を越えた市町村合併の研究、藩政の時代から端を発した飛び地問題、道路網整備などの都市間ネットワークの整備、ゴミ対策の推進、県境商店街の一体的振興、臨海部開発の推進などがあり、定住自立圏構想や九州山口の近代化産業遺産群が含まれ、あらたにポリテクセンターの存続に向けて活動することにもなりました。
それぞれに難問を抱えていますので、即座に解決と言う事にはなっていませんが、これまでに県境一帯の浸水解消対策などは、一つの成果として挙げられます。
総会は、数名の発言はありましたが、異議無く無事に終了しました。
その他で、JR九州に対しJR鹿児島本線での利便性の確保に向けた要望活動を、ここ長洲町をはじめ近隣市町で実施したことの報告がありました。
2011年に九州新幹線全線開通という流れの中で、鹿児島本線における特別急行電車は廃止と言われています。そうなれば、JR在来線利用において大変に不便となります。そうならないように、現在の利便性を確保していく取り組みを行っています。
JR側は、どうしますとの明言は避けられたそうですが、私たちの意向をキチンと聞いて対処してほしいものです。
これからも両市の発展を期して、課題解決に向けて大いに議論をいたしましょう。


昨日は、『ついで隊』のプレート?をいただきましてありがとうございました。大切に使わせていただきます。


『大橋かつみ』さんのH.P.

2010年08月28日 | その他
午後4時からの大牟田荒尾地域振興推進協議会による、第30回定期総会に委員として出席。その内容については後日にすることにします。
大牟田の市会議員さんとお会いする機会はあまりないのですが、今日はゆっくりと話す時間があって、中でも大橋かつみさんともお話しをさせていただきました。
大橋克己さんは、私の4歳年下ではありますが、そのお姿に風格を感じ、そしてとても好感が持てる方です。
『大橋かつみホームページをつくりましたので見てください』
そんなリーフをいただきましたので、いま早速に見ましたが、ウルトラマンのように飛び出てくる画面にビックリするやら、そして様々な活動の足跡が刻まれ奮闘されていることに、『お疲れ様です』というのと『頑張っているな』という想いですべて読みましたよ。
私も負けられませんね。
『訪問をした証明にコメントを書いておくからね』と約束したものの、書く場所が分からず失礼しました。
それで、この記事から見たという報告をしていますが、大橋さんのほうで、こちらのコメントに何か足跡を残しておいていただけたら幸いです。
チャンと見ましたからね。
皆さんも一度、ご覧になってみてはいかがですか。読みやすく、分かりやすい素敵な部屋に仕上げられています。訪問されてみてください。お願いします。

大橋かつみホームページ←ここをクリック

きょうだい3人目以降の保育料は無料化を!

2010年08月27日 | その他

荒尾市保育園保護者会連合会は、『第三子以降の三歳未満児の保育料無料化』の請願書を、市長と議長に提出されたようです。
熊本県では、きょうだい(その子と姉兄妹弟)がその保育園に在園しているかどうかに関係なく、第三子以降で3歳未満の子どもの保育料の無料化を推進しているとのこと。
しかし現在、中核市の熊本市を除く県内44市町村のうち、無料化が実施されていないのは荒尾市や長洲町などの6市町村だけとなっているらしいんですね。
荒尾市では、きょうだい3人以上が同時に在園している場合にのみ、3番目以降の子どもが無料になっています。
恥ずかしながら、熊本県の取り組みや状況などを承知していませんでした。
私には二子しかなく三子目がいなかったことから、また他の世帯においてもそんな三子をもつご家庭など、探さなければならないほどの少なさですから、そんな話しを聞いたことがなかったのが実情です。本当に、3人の子どもを抱えているご家庭を探すのは大変なほどなんですよ。
今回の申し入れは、請願書という形で議長にも提出されているようなので、9月議会に出てくるのではないかと思いますね。
子育て支援の充実は、私の願いでもありますので、充分に検討していきたいと思います。
ところで、これまでに荒尾市での取り組みで、どのくらい恩恵に預かった世帯があるのか、それと現在、3人の子どもさんを養育されている世帯がどのくらいあるのか、調査したいと思います。
役所の方は、もうすでに熊本県がいうところの試算はされていると思います。



成果発揮し荒尾市優勝 県消防操法大会

2010年08月27日 | その他

8月22日に開催されました、第28回熊本県消防操法大会において、競技であるポンプ車と小型ポンプ車のうち、18チームが出場したポンプ車の部で荒尾市消防団選抜チームが優勝しました。

おめでとうございます。

日頃の練習の成果を充分に発揮されたことが、勝利の最大の要因であると思います。全国大会でも、荒尾市の名前を全国に轟かせられますよう、祈念いたします。

その全国大会は、11月12日に愛知県蒲郡市で開催されるとのことです。

11月12日は、平日の金曜日ですよね。前日から宿泊しなければならないでしょうから、休みを取っての参加は大変でしょうが、選手の皆さんは万難を排して頑張ってください。




リーフ作成に悩んでいます

2010年08月27日 | 後援会
いよいよ来年4月に、荒尾市議会議員選挙が執行される事から、立候補しようと考えられている方たちの行動がさらに活発化しています。
未だに噂の域を脱していませんが、定数22名に対して25名とも言われています。
各自が、名刺やリーフ(後援会へのご案内チラシ)を持って行動されていますが、私も遅ればせながらその準備を始めているところです。
私たち新社会党では、統一してつくる事にしていますので、リーフの大きさが決まっています。B6サイズ。ですから書ける内容というのが制限されているんですよね。
読まれた方が『こんな事をしているのか』と関心を持たれ、そして『後援会に加入して応援しようか』というぐらいの内容にしなければなりません。でも、あれもこれもと載せたら字は小さくなるしで、難しいですね。
それと写真。自分の顔を前面に出しますが、少しでも良い表情の写真をとおもって撮っていますが、なかなか気に入るのがなく・・・・・。これも難しいですね。アップをして、どの写真が良いか募ろうかとも思いましたが、やはりそこまでするほどのもんではないということですね。
今月末を原稿の締め切りにしています。
他の4名の同志は、準備が進んでいるのかしら。私も急がなければなりません。


平成21年度の会計決算の状況 9月議会

2010年08月26日 | 議会活動
昨日の記事で、市民病院の平成21年度の会計決算の状況をお知らせいたしましたが、荒尾市には一般会計、特別会計(介護保険・後期高齢者医療・下水道・国民健康保険・老人保健)、企業会計(水道局・市民病院)の3会計をもって運営しています。
下水道事業特別会計▲655,923,159円、老人保健特別会計▲2,355,589円の2会計だけが赤字で他はすべて黒字となっています。
下水道事業では、以前は19億円ほどの赤字(先行投資事業のため)でしたが、長期計画に基づき6億5000万円程度まで圧縮されました。計画では、平成27年度に黒字化になる予定です。
老人保健は、後期高齢者医療制度導入に伴い廃止となります。
一般会計は、歳入歳出差し引き額が666,344,653円の黒字ですが、公共工事などで翌年度に繰りこすべき財源204,220,182円を差し引いた実質の収支額は462,124,471円となっています。
この背景には、行財政改革の取り組みがあることは言うまでもありませんが、麻生内閣時でのバラマキ補正予算により、予定外の収入があったことも一因としてあります。
この中から、基金(貯金)へ2億3000万円が繰り入れられています。
今後に何が起こるか分からない自然災害等への備えもそうですが、荒尾競馬の動向により荒尾市に降りかかる金銭面での負担を最小限に抑えるために、20億円の基金は必要と今年から始まった第4次行政改革で謳われています。
一番のネックとなっているのが、国の財政健全化法に対する四つの指標(比率)への取り組みです。基準値をオーバーし財政破綻となれば、すべてのものにしわ寄せがきます。
そうならないがためにも行財政改革は必要でありますが、絞った雑巾をさらに絞る事では魅力のない街になってしまいますし、活気も薄れてきます。
そこのバランスが難しいところで、私からは市民負担の増あるいは市民サービスの低下はすべてではありませんが『反対』の意思表示をしています。
『この事業を廃止しないと負担が大きくなり赤字となっていく。それでも良いのか』と言われたら、言いづらくなっていきます。『財政破綻』となれば、市民に大変な負担を強いてしまう事になりますので、それだけは絶対に避けなければなりません。
平成21年度の決算は、実質赤字比率も連結実質赤字比率もクリアしています。
今年4月に税率の改正がされた、国民健康保険特別会計。決算では、2,868,475円の黒字でしたが、国保会計には予断を許さない状況が続いているのは間違いありません。

8年ぶりの黒字 累積赤字は40億円に 荒尾市民病院

2010年08月25日 | 議会活動

8月30日から始まります、9月の定例市議会。議案資料をいただきまして見ますと、下水道会計などは赤字ですが、一般会計や市民病院会計は黒字。大変に心配していました。国保会計は黒字であったものの少額であり、風邪などが流行していたら赤字となることは間違いありません。
さてここでは、荒尾市民病院会計について、おおまかにお知らせいたします。
★平成21年度の収支
 【収入】51億9874万4358円-【支出】50億2416万8393円=
1億7457万6000円(純利益)⇒前年度より3億2605万8000円の改善
★患者延べ総数
16万6775人(前年度より355人の増) 延べ外来は▲847人 救急外来1493人の増

このような黒字化の要因には、医師の増(28人⇒31人)、国からの借金(病院特例債 14億円を借金し7年間で返済。スタートの年)、荒尾市一般会計からの繰入金の増(病院再建計画に基づくもの。退職金を一定基準超えたら補助。その他にもあって合計約7億9000万円←前年度より約3億4000万円の増、)、そして公営企業法の全部適用(荒尾市長から院長へ事業管理者を移行)、病診連携、経費節減、人件費削減などの市民病院の関係者の努力と、市民の『市民病院を守らなければならない』意識の現われだと思います。
またボランティアで、図書室『けやき』を運営されたり、病院の外では花壇の手入れなど、多くの方が携わっている事も忘れてはなりません。
その結果、平成13年度以来の黒字化になったものと思われますが、まだまだ累積赤字は40億8092万4620円。これからです。
更なる医師の増で充実した病院経営、そして市民から信頼される病院作りに努めていかなければなりません。
市民誰もが病気にかからなければとも思いますが、それは無理な話であり、病気になったときには頭に真っ先に浮かぶのは市民病院となるぐらいに、市民から愛されるものになってほしいですね。一番の宣伝は口コミです。皆さんのご支援をお願いします。




第30回市同協レポート ③

2010年08月23日 | 地域活動
やっぱり、入りきれませんでした。ですので『続きを読む』でどうぞ 。この③で終わりです。

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『まちがったものさしが差別を生む。差別は今もある。各地で相次ぐ差別事件。世間体に縛られない生き方をしよう。迷信や風習へのこだわりを捨てよう。人間らしく生きてきた人々の生き方から学ぼう。人間は尊敬すべきもの』。子どもたちを車に例えて、『エンジンは学校でも塾でも大きくしてくれるが、ハンドルの切り方は学校が、家庭が、大人がしっかりと教えなければダメ。子ども達に間違ったハンドルの切り方を教えているのは大人』という講演も聞いてきました。<o:p></o:p>

2008年8月23日の新聞に掲載されていました。中学生8人が自分達よりも弱い立場にある知的障がい者を狙い、暴行・恐喝そして逮捕後に語った言葉が『障がい者をいじめて何が悪い』と。<o:p></o:p>

差別事象は、このような取り組みをしているにも関わらず、一向に消滅する気配がありません。結婚差別・就職差別・差別落書き・差別発言、インターネットを使った書き込みもされていると聞きます。被差別を作り上げたのは誰か!歯がゆい思いです。<o:p></o:p>

平等ではない事からねたみ、差別はこの社会の様々な場面にあり、そしてそれは生活環境の中から差別を助長しています。<o:p></o:p>

社会状況を問題とし、すべての差別を憎む仲間の輪を広めていくこと。職場を定年退職したから、差別問題に関わらない。組合を退会したから、関係ないでは真の差別の消滅はありません。<o:p></o:p>

あらゆるすべての差別を許さない取り組みを広範にしていきましょう。<o:p></o:p>

以上で、報告を終わります。<o:p></o:p>


第30回市同協レポートを公開します ②

2010年08月23日 | 地域活動
やっぱり、切れていました。A4の6枚は入りきれません。②で入りきれるかどうか分かりませんが、『続きを読む』でどうぞ 。

私の高校時代の経験談で大変申しわけありませんが、私はいじめを受けたと思っています。<o:p></o:p>

私は、学校生活3年間のうち、ほとんど学級委員長をしてきました。「してきました」というよりも、させられてきたというほうが当たっているかもしれません。<o:p></o:p>

学級委員長は、勉強ができる子、スポーツ万能の子、統率力があってクラスの人気者など目立った子がなるものと思われがちですが、実際のところ私もそう思っていました。<o:p></o:p>

ですから、1年生の2学期に初めて「田中さんにお願いします」という発言があったときは大変にうれしかったことを覚えています。先生が入ってくる授業の際に「起立、礼」と自分の言葉に全員が対応する、そして、一番に声を出すことに恥ずかしくもあり、うれしくもある、そんな思いでいました。<o:p></o:p>

ところが、その後に学級委員長はクラスの代表ではなく、クラスの雑用係としか見られず、だれもがなりたくない。言うなれば、クラスの中での嫌われ者がなるということを友達から聞かされたときには、大変ショックでありました。<o:p></o:p>

私は学生時代、まじめでおとなしくて騒ぐほうではなかったのですが、体がでかいことから教室のどこにいても目立ち、たたかれても抵抗しない、そんなタイプの人間で、学生時代にどんなにたたかれても、ののしられても一度も抵抗をしたことはありません。<o:p></o:p>

ですから学級委員長選出の際、だれもが顔も上げず手も挙げず、『早くだれかに決まればいいのに』、とのざわめきの中で「田中」という名前が出たことに私は喜びましたが、「自分にならなくてよかった」と思っていたのではないでしょうか。<o:p></o:p>

おとなしい、口数が少ない、消極的な者が学級委員長になると、それからが大変で、授業が終わった後の黒板消しは担当が決まっていましたが学級委員長、先生からの呼び出しや先生からの連絡も学級委員長、体育の時間の準備も片付けも手伝ってくれる者もなく学級委員長、先生が職員室に教材を忘れたといっては学級委員長、自習時間にクラスが騒いでいると「学級委員長はどうした」と先生からは怒られ、何でもかんでも「学級委員長、学級委員長」と言われることに嫌気がさし、そして私は学校を休むようになり、1年生のときに7日、2年生のときには14日、3年生のときには30日学校を休みました。<o:p></o:p>

私も、そんな時に自殺というものを考えてみまして、自殺にならなかったのは、性格的に似通った友人がそばにいたこと、学校に行く目的に陸上競技というクラブ活動があったこと、学校を休むということで逃げ場があったということではなかったのかな、というふうに思っています。<o:p></o:p>

それで2年生の時に一度だけ、担任の先生に学級委員長を交代させてほしいという相談をいたしました。ところがクラスの反応は冷たく、そのまま続行というときには、もう本当に「だれも」という気持ちになっていたのは事実であります。<o:p></o:p>

高校3年間、日に日に自分の心がきつくなり、顔つきが変わっていったのも自分で分かりました。就職後も職場の雰囲気になじむことができなかったんですが、そんな私を救ってくれたのが、労働組合であり、労働組合とのかかわりの中で、自分自身が成長できましたし、今日の自分があるのも労働組合のおかげだと思っています。<o:p></o:p>

しかし今でも、そしてこの文章を書いていた時もそうですが、クラスメートが楽しく笑っている時に、私は笑えなかった、いや笑わせてもらえなかった、そういった恨みがあるのも事実です。<o:p></o:p>

「そんな昔のことを」と言われるかもしれませんが、その時に傷ついた心は簡単に消せるものではなく、怒りは時間がたてば消えていきますが、恨みというものは、そんなにたやすく消えるものではないということを、私自身がよく知っています。<o:p></o:p>

ですから、いじめに悩んでいる、自殺をする子どもたちの気持ちは痛いほどよく分かりますし、子どもの自殺により残された保護者の無念さもよく分かるつもりでいます。<o:p></o:p>

私のように変われるきっかけは、子どもたちにも必ずあります。自殺を選択するなら、学校に行くのが苦しくて辛いのなら、私は「逃げなさい」と声を大にして言います。私のような経験をさせない、自ら命を絶つという行為をさせない、学校は楽しく遊べ、学べるところ、辛い悲しい思い出よりも楽しい思い出をつくってあげられる、そんな学校づくり、いじめを生み出さない、そんな教育が求められていると思います。<o:p></o:p>

という前置きをして質問を行いました。<o:p></o:p>

『弱者いじめや差別など、絶対に認められないし許さない』。そういった思いが根底にありましたので、組合活動に自ら参加していくようになったと言う事です。<o:p></o:p>

【私自身にかけられた差別、所属組合に対する差別】<o:p></o:p>

最後に、国鉄労働組合に加入していることから、新会社JRに採用されなかった。所属組合による差別を受けたことの報告をしたいと思います。<o:p></o:p>

1986年、当時の中曽根首相をはじめとした自民党政府は、国民の財産である国鉄をJRへと民営化し、各会社に分割する、国鉄分割・民営化を強行しました。<o:p></o:p>

その目的は、中曽根元首相が雑誌のインタビューやNHKの番組でも発言していますが、『国労をつぶせば総評がつぶれる。総評がつぶれれば、日本社会党がつぶれる。だから、意図的に行った』と、国労をつぶし労働運動を排除することが目的だったと明言しています。<o:p></o:p>

国労は、分割民営化に対して反対を貫き、国民とともに闘いを展開しましたが、当時の国会の力関係では、圧倒的に自民党の保守勢力が強いことから、力不足のため分割・民営化(国鉄職員24万人を14万人に削減しJRへ移行。10万人の削減合理化)を止めることはできず、しかし野党の抵抗もあって、国会での付帯決議『一人の労働者も路頭に迷わせない。所属組合による差別はしない』との文言を勝ち取りましたが、1987年2月16日。<o:p></o:p>

その日は、新会社JRへの採用、不採用の振り分け発表の日で、不採用者は国鉄清算事業団行きとなり、まさに清算の対象者となる運命の日でした。<o:p></o:p>

結果は、労使協調路線の『分割・民営化』賛成組合の組合員の採用率はほぼ100%だったのに対し、反対をした国労組合員は37.5%、全動労組合員は約20%という、このような数字からみても採用差別があったことは明らかです。<o:p></o:p>

後に報告しますが、国労として全国の都道府県で闘った労働委員会闘争。北海道労働委員会では、元国鉄管理者(助役)が証言に立ち、『100点の持ち点があり、処分の回数等で減点し65点以上あればJR採用。しかし国労組合員には、更にマイナス20点を課した』と。<o:p></o:p>

JR不採用になったとき、『あそこの息子さんは採用されたのに、田中さん方は不採用。何か悪いことをしたんじゃろう』という声が家族の耳に入り、恥ずかしいやら情けないやらの思いをしたと亡くなった母から聞いたことがあります。<o:p></o:p>

私は、勤務時代に一度も事故を起こしたことがなく、踏み切りの安全を守る業務の際には、事故を未然に防ぐために、踏切は約25メートルの幅があることから、手押し車などで通っている高齢者を見かけたときには声をかけたり、手を取って一緒に歩いたこともあります。また、乳母車の車輪が線路の隙間に入り込んで取れないで困っている方がいましたが、そのときにもすばやい行動で対処し、そのことで大変に喜ばれたこともあります。目が不自由な方もいましたが、そのときにも手を携えて踏み切りを渡ったこともあります。<o:p></o:p>

また、誰かが病気等で勤務ができなくなったとき、休みの日を返上して勤務に就いたり、草取りが業務の際には、人よりも汗を流し頑張った自負があります。<o:p></o:p>

それでも、不採用となったのは国労に所属していたからという、差別に他なりません。<o:p></o:p>

新会社JR採用を希望していた、全国で7600名もの国鉄労働者が不採用の通知を受け、同年4月1日、華々しく発足したJRの陰でその間、100名を超える自殺者が生み出されました。<o:p></o:p>

不採用にされた者の多くが、国鉄清算事業団(のちに鉄建公団、現在は独立行政法人『鉄道建設・運輸施設整備支援機構』と名称変更)に送り込まれ、その3年後の1990年3月31日には全国で1047名の労働者が再度、解雇されました。<o:p></o:p>

【採用差別撤回の闘い。労働委員会闘争と裁判闘争。闘えば成果はある】<o:p></o:p>

国労が『JR不採用は所属組合による差別だ』として、全国で展開しました闘いに労働委員会闘争と裁判闘争があります。<o:p></o:p>

先ほど申し述べました元国鉄管理者の証言、さらには様々な証拠書類を突き付け、地労委闘争は全国で勝利命令を勝ち取り、ここ<st1:address ProductID="熊本県でも 0 0">熊本県</st1:address>でも、1989年4月25日にJR九州旅客鉄道株式会社は、採用を希望している組合員を、1987年4月1日付で社員に採用したものとして取り扱い、就労させなければならない。組合員が就労するまでの間、同人らが1987年4月1日に社員として採用されていたならば受けるはずの賃金相当額と、清算事業団において実際に支払われた賃金額との差額を、同人らに対して支払わなければならない、などの国労完全勝利の救済命令が出されました。<o:p></o:p>

私たちが、組合差別があったことを立証した事を深く受け止めたことによる救済命令でしたが、JR側は中央労働委員会に上申し、そのことから長い裁判闘争へとなっていきました。<o:p></o:p>

この地労委救済命令の履行を信じ、またJR採用に当たって組合差別による不当労働行為が行われてきたことは許されないとして立証してきた裁判において、2005年9月15日東京地裁判決(鉄建公団訴訟)、2008年1月23日東京地裁判決(鉄道運輸機構訴訟)、2009年3月25日東京高裁判決(鉄建公団訴訟)などでは、労働組合の主張を認め『分割・民営化に反対した組合員に対する不利益な扱いは違法』と認定し、判決は、『組合の運動方針の違いを理由に異なる扱いをしたことは、国鉄の負う中立義務に反し、正当化するのは困難。公平にJRへの就職を果たす機会を奪い、多大な精神的打撃を与えた』と指摘しています。<o:p></o:p>

『分割・民営化』以来、23年もの長い闘いの中で解雇された1047名のうち、現在までに60名を超える方が志半ばで死亡しており、平均年齢は55歳にもなっています。<o:p></o:p>

  荒尾駅時代のこと、清算事業団でのことが今でも思い出されますし、『分割・民営化』で、家族や同僚、友人との人間関係をズタズタにされてしまい、また私の人生を大きく変えられたことに今も怨みとしてあります。当時の管理職と会うことはありませんが、会ったときには感情を抑えきれない、怒りが込み上げてくると思います。<o:p></o:p>

当時、処分がありながらも国労を脱退しJR採用となった者、仕事を休まずまじめに働いてきた私とくらべて、私を採用しなかったのは、私が国労に所属していたからに他ならない事実です。思想信条の自由を憲法で保障されているにもかかわらず、公然と組合による差別扱いをしたことは明白であります。このことは絶対に許されません。<o:p></o:p>

【最高裁で和解。採用差別事件の全面解決を求めて】<o:p></o:p>

2009年8月30日の衆議院解散総選挙により、JR採用差別事件の解決を求めていた民主党を初めとした連立政権に変わったことで、2010年6月28日、最高裁判所において国労などの原告団と鉄道運輸機構との間で和解が成立しました。<o:p></o:p>

現段階においては、金銭面での解決に止まっていますが、前原国交省はJR<st1:address ProductID="北海道 0 0">北海道</st1:address>、九州、四国、貨物の各会社に対して、55歳以下の希望する200名程度の原告団の採用を要望しています。私も、JR九州の採用を要求しています。<o:p></o:p>

JR各社は頑なにその採用を拒否していますが、組合差別がなかったならば採用をされていたものとして、道義的責任をJRは持つべきです。<o:p></o:p>

雇用の面では未解決になっていますが、頑張り闘い続けたことで成果が表れています。<o:p></o:p>

JR不採用ということで、私に張られた不適格労働者としてのレッテルを剥がすために、キチンと雇用の責任を取らせるために、今後も頑張ります。<o:p></o:p>

【最後に】<o:p></o:p>

国労に所属をしていたから差別された。所属労働組合による差別がまかり通るならば、すべての差別がまかり通る事にもなります。泣き寝入りをせず、絶対に許してはなりません。<o:p></o:p>

私は、あらゆるすべての差別に対して絶対に許してはならない思いで、対岸の火事ではなく、差別も世間に広く訴え、そして自分のものとして考える事で、これからも頑張っていく所存です。<o:p></o:p>