2011荒尾市議選 6期目挑戦19票差で落選 田中ひろはるブログ!

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中央行動記 二小ミニバスケットボールチームを声援

2009年03月31日 | 新社会党・労組会議・ユニオン
3月29日
13時50分の飛行機にはまだ時間があることから、第40回全国ミニバスケットボール大会の会場である代々木第一体育館に行ってきました。
教頭先生だけには伝えていましたので、私が突然に現れた時に保護者の方はビックリ。先生は、子ども達を立たせ、私は全員に対して挨拶をしなければならない羽目に。(こちとらは、させてくれなくても結構でしたが・・・。卒業式に参加できなかったことを謝ることは出来ました)
全国から勝ち上がってきた、男女それぞれのチーム47都道府県の代表が参加しての大会。
男女それぞれに優勝を目指して熱戦を展開。この前日から試合は行われており、すでに姿を消したチームもあってそんなに会場は満杯ということではありませんでしたね。開会式は、大変な人数だったと思います。
二小チームは1回目は11時40分から、2回目は16時から試合開始山口県・奈良県との3チームの中で勝ち上がりを賭けて対戦。子ども達には緊張感が漂い、先生が、保護者が子ども達をリラックスさせようと必死。その一生懸命が伝わってきました。
私は、飛行機の時間の関係上、逆算して11時にはこの会場を出なければ、間に合わないことで残念ながら試合は見ていません。結果を大牟田駅についてから聞いてみたら、1回目の奈良県椿井アキンズとの対戦では67:16で圧勝。2回目の山口県長府マジェスティクスとの試合では、一時は同点までいったが3点差の35:38で惜敗とのこと。山口県長府マジェスティクスがこの3チームの中で勝ち上がりとなったとのこと。
残念な結果でしたが、結果は結果として受け止め。
来年もこの大会に向けて頑張ってほしいものです。
『せっかく東京まで来たんだから、負けた翌日にはディズニーランドに行く』と言っていました。しっかりと思い出を作ってください。保護者の皆さんも。先生方は退任式のために帰られるとのこと。

中央行動記 最終日

2009年03月31日 | 新社会党・労組会議・ユニオン
3月29日本日はいよいよ自宅へ帰る日。
食を終え午前9時前。荷物をまとめながら、この5日間を回顧。
東京高裁判決、座り込み、駅頭チラシ配布、マイク情宣等々の活動。夕食は近所のイトーヨーカドーでの買出しがほとんどで、同じレジに毎回並び店員とも知り合いに。『レジ袋、要りません』のカードともに声も合わせて『要らないよ』。しかし、この店ではレジ袋を不必要としてもお金にははね返らないんですね。ポイントに加算される仕組みなのでしょうか。そこまでは、聞きませんでしたが。
また5日間寝泊りした部屋。展望大浴場。そして一階の朝食会場では、毎日、おかゆで通しました。パンよりもご飯。限定数で、焼きおにぎりなどもあったようですが、一度も食したことなく・・・。
東京での短いながらも不安を感じながらやってきましたが、イザ帰る時には一抹の寂しさも出てきて、最後に慣れた部屋の扉を閉める時には・・・・。アワーズイン阪急さんにはお世話になりました。
13時50分の飛行機にはまだ時間があり、約束はしていませんでしたが『時間があれば』ということで話しをしていた地元の二小ミニバスケットボールチームの応援に、大井町駅から品川駅乗換え、山の手線で原宿駅まで。第40回全国ミニバスケットボール大会の会場である代々木第一体育館に行ってきました。
この件については、別の記事として報告します。
会場を後に、・・・『続きを読む』でどうぞ 原宿駅から品川駅で京急に乗り換え羽田空港へ。何かしら急に気分が悪くなって大変。飛行機に乗ってもさえず、そして悪天候のため気体は揺れるし到着が15分送れるとのことで、散々な目に。飛行機は目的地まで早くに行けますが、こんな風に具合が悪くなった時は、どうにもこうにもいきません。こういったことが以前にもあって、そのことがトラウマになっていることもあり、飛行機には出来る限り、乗りたくありませんね。本当に、今回もまいりました。なぜ、急に気分が悪くなったんでしょう?
鹿児島本線で大牟田駅に到着。ここまできたら帰ってきた雰囲気になり、気分もすっきり。夜は自宅で、土産話を披露しながら第三のビールや焼酎がいけました。
今回の行動は、色々と支障はありましたが私にとってよかったと思います。中央の活動に影響を受けながら、これからの地元の活動にガンバリマス。大変お世話になりました。
4月2日まで行動されている皆さん、お体には気をつけて頑張ってください。 私も、議会報告の作成などたまっている仕事に取り組みます。

中央行動記 靖国神社へ

2009年03月31日 | 新社会党・労組会議・ユニオン

反貧困フェスタ2009の会場であった一ツ橋中学校を後にして靖国神社へ。
日本武道館の横を通り抜け、そして靖国神社に近づくにつれ人が多くなり、自由には歩けないほどの混雑。午後からは天気もすっかりと快復し晴れ。桜まつりというのも開催されており、道の両側には露天商。人をかき分け、すき間を見つけながら歩かなければならないほどで、それはもう大変な混雑でしたよ。
それでも、やっとのことで到着。映画『靖国』でみた場面が甦ってきました。真のところでは、込み合うほどの混雑はなくなりましたが、それにしても、大変な参拝客です。ここも観光コースの一つとなっているんでしょうか。
神社となりにある遊就館では、中に入って目にするものが機関車と零式艦上戦闘機(ゼロ戦)。靖国神社創立140年遊就館特別展として、『矢弾丸(やだま)尽きるとも ~我レ生還ヲ期セズ~』が開催されており、・・・・『続きを読む』でどうぞ

これもまた大変な人出。見ながら涙する高齢者も。
戦争反対の取り組みをさらに強めていかなければと思いました。
東京裁判でのA級戦犯が合祀、また政教分離が謳われているにも関わらず政治が深く関与、そして公式参拝が行われることで、アジア各国からの非難抗議の声。
初めて訪れ、様々な問題を抱えている靖国神社に足を運ぶに当たってチョッとばかりの緊張がありました。
問題となっていますことに、あなたは、どう考えますか。


中央行動記 反貧困フェスタへ参加

2009年03月31日 | 新社会党・労組会議・ユニオン
3月28日。この日が、私にとって最終日の中央行動。
午前8時30分には現地集合なので、早朝に起床しホテルを出発。神保町駅から歩いて会場の一ツ橋中学校に到着。
本日の行動は、第2回となる反貧困フェスタ(事務局に湯浅誠さん)の準備と会場係。
準備といっても、テント設営はすでに終わっていたし、体育館内でのイス並べは準備係が大勢いたので、あっという間に終了。午前10時からの開会式まで1時間以上もあり、自由行動。それで学校周辺を歩いていたら江戸城跡地の看板を発見。再度の集合時間に間に合うように城址を散策。天守台や松の廊下跡、大奥跡など看板のところを見て回りましたが、その場所に在ったということだけで植栽以外には何もないところでしたが、都会の喧騒を忘れるには良いところでしたね。
して時間通りに会場に戻り、今度は会場係として活動。
国労闘争団はイカ焼き・きな粉もち・ホタテ焼きなどを無料配布。他のテントでもモツ煮込みを無料配布。長蛇の列が出来ていました。
実行委員の方にそれとなく聞いたら、『彼ら、彼女たちには独自の連絡網がある』とのこと。
しかし、無料配布といっても限りがあり、11時過ぎには完配。今日のこの場で5班の交流会をすることになっていましたが、私たちの食べるものも無くなってしまい、片づけをして12時前には解散となり、本日の行動は終了。私にとって行動最終日でしたが、あっけなく終わってしまいました。
解散後、多くの人たちはホテルへ帰宅。私は、午後2時ぐらいまでこの会場にいて、フェスタを楽しんできました。
死刑制度に反対するグループが行っていたクイズに誘われ、・・・『続きを読む』でどうぞ 挑戦。9問中全問正解で粗品進呈とありましたが、全問正解者が出なかったのでしょう。8問正解で粗品進呈と変更されていて、問題を見たら5問はわかりましたが、残り4問はまさしくカン。分かりません。それでも8問正解で粗品ゲット。『あなたはなぜ知っているんですか』と担当の方から聞かれたことにチョッと自慢気に『この5問はニュースなど、テレビを見ていたら分かる問題で、あとの問題は本当にカンですよ』と。以前にも、荒尾市の健康福祉祭りで介護保険導入によるクイズがあったのですが、10問中全問正解。『何で分かるんですか?あなたはいったい・・・』と言われた事を思い出し・・・。
【問】死刑執行の予定は、本人にいつ告げられるのでしょうか?
  ①死刑執行の直前  ②死刑執行の2日前  ③死刑執行の7日前
  ※答えは↓
午後1時から体育館での、雨宮処凛さんと湯浅 誠さん(写真は撮りましたが、肖像権の問題もありますので掲載しません。)も参加したパネルディスカッションを見学。年末年始にあった『派遣村』の取り組みを記録したDVD鑑賞から始まり、そして湯浅さんの挨拶。様々な意見が飛び交う中で、熱心に討議。
もっと聞こうとも思いましたが、東京は今日で最後。よって、そういえば昨年に『靖国』の映画を見たのを思い出し、一度行ってみようかなと思っていたので、九段下まではとなり駅だったので、後ろ髪を引かれる思いで会場を後に。日本武道館の横を通り靖国通りへ。大変な人出に・・・・。
答えは、①の死刑執行の直前です。狭山事件の石川一雄さんの話の中で、廊下に靴音が響き私がいる扉の近くになった時には体全体から汗が噴出し、心臓の鼓動が激しくなり、通り過ぎて行ったときにはどんなに安心したことかと、言われたのを思い出しました。

中央行動記 抗議の座り込み編

2009年03月30日 | 新社会党・労組会議・ユニオン
3月26日・27日
その昨日に東京高裁での不当判決。よって2日間の行動は、26日に横浜JR桜木町駅近くにある鉄道運輸機構本社前で、27日は政治的解決を求めるため、東京メトロ永田町駅頭で早朝よりのチラシ配布、その後、衆議院議員会館前で座り込み行動
本当に寒く、プチプチ(正式な名前は分かりませんが、皆がそういっていたので)を身体に巻きつけ、大変な中ではありましたが、怒りに満ちた面持ちでの座り込み。
司会進行により交代しながらマイクを握り、大きな声で訴え。来賓挨拶や闘争団からの訴えのなかで、先日出された東京高裁判決に涙ぐむ場面も。政治的解決を求め、シュプレヒコールでは語気を強め怒りを込め必死の訴え。途中、同じ国労九州ブロック議員団の方がマイクを持つ機会があり、そこで紹介がありましたが、その座り込み行動以外の動きはなく、午後4時過ぎには終了したので、その日の行動終了後に上野のアメヤ横丁のロンドンやジュエン(ここのスポーツ用品は安いですよ。サイズが合えばお買い得。以前から知っていました)にウインドブレーカーやインナ(ミズノブレスサーモやアシックスタイツなど)を買いに行ったところです。よって、27日は肌身に感じる冷たさがちょっとばかり違っていました。
27日には、参議院議員の有名人を何人か見かけ、衆議院と参議院の議員会館がそれぞれ現在ある場所の隣に新築工事中の音にも耐え、私には、マイクを握る機会もなく座り込みを続けてきました。
そして、午後6時30分から東銀座公園において全労連系組合による集会『夜の銀座デモ行進』に参加
不当解雇や派遣切りなど、・・・『続きを読む』でどうぞ

様々な労働裁判で闘っている原告や支持者の方より決意表明。09春闘勝利を高く掲げ、シュプレヒコール。会場には、20~30代の若い人たちが多く、気合いが入った集会で、音楽隊とバルーンを先頭に、銀座2丁目の新橋駅近くまでプラカードや幟旗を持ってのデモ行進。地方の集会とまったく違いますね。
まず音楽からで、私のイメージでは労働歌ですが、軽音楽と言うんですか?ノリの良い音楽を演奏しながら行進。以前からもこういったことにギャップを感じ、それでもニュースカーで訴えるところは訴え、若い人たちや関心が薄い人たちに抵抗感がないところから始めていくことも必要なのかな?と、感じました。
翌日の28日が、私にとって最後の行動日。ガンバリマス。



中央行動記 東京高裁判決編

2009年03月30日 | 新社会党・労組会議・ユニオン

3月25日の午前10時30分。
2005年9月15日の鉄建公団訴訟東京地裁判決(一審判決)から3年半。
60席の傍聴券を求め、355人が並んだ東京高等裁判所第17民事部(南裁判長)でのJR採用差別事件に関する控訴審で、一審判決を基本的に支持し、そしてまた不当判決を言い渡しました。
所属組合による不当な差別(不当労働行為)があったことは認めましたが、裁判にかかる弁護士費用として50万円の上積み(550万円)、処分歴などを理由に請求を棄却した一審判決を支持、そして本州にあるJR会社への広域採用されたものの辞退した者についても請求棄却。
1987年4月1日にJR不採用となってからの22年間。この間の苦痛が報われる判決とはほど遠く、問題の本質を理解せず形式的判断として、強い憤りを感じたところです。
南裁判長は、『この判決を機に、1047名の問題が早期に解決されることを望みます』と異例のコメントを付け加えましたが、・・・『続きを読む』でどうぞ

当時の中曽根元首相や橋本運輸大臣から、『所属組合による差別はしない』『JR不採用になった者に対し、一人も路頭に迷わせない』と、国会の付帯決議にもなったにもかかわらず反故にされ、今もなお路頭に迷わされ、そして1047名のうち52名が死亡。精神的・肉体的苦痛にも耐えながら頑張ってきた闘争団に対して、不当労働行為は認めたものの22年を穴埋めするには到底出来ない。
午後1時30分から飯田橋の東京しごとセンターで行われた東京高裁判決報告集会で、これからも解決に向けた要求として『雇用・年金・解決金』の3本柱を掲げていく事を堅持。2週間以内に最高裁へ上告するかどうかについては、今後の機関会議に委ねられましたが、『このままでは終わらせない』として、新たな闘いの場への闘志を一つに団結ガンバロウを三唱。
溢れんばかりの人だかりで、会場内は熱気に包まれていました。
この中央行動は、各地区から参加した闘争団員を6班にわけ、私は5班に所属。
行動には全体行動と班行動とがあり、5班はその日の午後6時から、金町駅頭で毎月1回のチラシ配布とマイクを使った宣伝行動(支援共闘主催)に参加。その場所で私は、今回はじめての街頭演説をしてきたところです。
労働者に対して冷酷に吹き抜ける寒風が吹き荒れ、本日出された判決内容に、怒りに震え、悶々とした思いで全員が床に付いたのではないでしょうか。この日の東京の夜は、労働者にとって辛すぎる夜となりました。

中央行動記 到着編

2009年03月30日 | 新社会党・労組会議・ユニオン

3月24日。
飛行機出発時間の1時間前には、搭乗手続きを済ませておかなくてはなりませんよね。
そのため、12時ちょうどのスカイマークエアーラインの飛行機に乗るために、JR大牟田駅9時2?分の特急に飛び乗り、いざ福岡空港へ。
自宅出発の前段には、火曜日ですので早朝から『週刊 新社会』の配布を済ませ、家に帰って荷物の準備。ここが失敗の元。
行くときは、これからの東京での行動に燃え、気持ちが高ぶっていたことと、荒尾は暖かだったことから春物着で出かけたところ、翌日からの期間中の東京は、寒いのなんのって。ときたま、雪が降ることもあってそれはもうという感じで、寒さに耐えかね、家にはあるものと同じようなものを買わなければ寒さを凌げず、現地で冬物着を買う羽目に(上野のアメ横で購入。4着)
天気予報とかのチェックなど、事前の準備はしとかなければならないと、痛感しましたね。
羽田空港について、私はその足で『永田町に来ます』と約束をしていたもんだから、急いでいたところ私の名前を呼んで引き止める声。
そこで、色んなやり取りはありましたが・・・・。京浜急行で品川まで行き、京浜東北線で大井町駅へ。宿泊宿のホテルに直行。今日から5日間、連泊でお世話になります。
夜に熊本からの行動参加者全員が集合し、明日の判決を前にし意思統一。
明日の判決に期待をしながら、そして話しは尽きることなく東京の夜にとっぷりと浸っていました。



中央行動記 出発編

2009年03月29日 | 新社会党・労組会議・ユニオン
JR不採用問題の全面解決を求め、4者4団体(国労や闘争団をはじめとした各種団体)による09年3月23日~4月2日で実施されている3月統一行動の後半の闘い。
私は、その日程の中で3月24日~29日の期間、国労熊本闘争団として参加してきました。
こういった、東京に攻め上る中央行動に参加したのは2004年9月以来で、本当に久しぶり。
今回、5泊6日で参加したのは、熊本闘争団に前半(3月上旬)に5名、後半に5名の参加要請があったことで、その事にどう対応していくかを機関会議で検討したところ、前半は何とか確保できたが、後半の部分では『あと1名足りないことから是非とも田中君に参加を』ということで、私も色々な行事予定が入っていましたが、3月25日に鉄建公団訴訟東京高裁判決が出されるとの事を聞いたことから、参加してきたところです。
ちなみに、行事予定としては、3月25日に小学校卒業式(祝詞を二小に持っていきました)、3月26日に海達公子を偲ぶ会(二小元気会長に連絡済)、3月28日に岩中伸司後援会総会(党議員団の一人に挨拶をお願い)、3月29日には三小校区グラウンドゴルフ親愛会の桜花賞とお花見、境崎東区の隣組のお花見(これは急遽入ってきまして)、二小校区協議会のお花見、二小校区社教連主催の歩け歩け大会、女声合唱団『コーロ・エレガンテ』スプリングコンサートなど、他にも色々とありましたが、すべて欠席。
つれあいが参加できる分については行ってはきてくれましたが、私が行けず大変に失礼しました。
そういうことで、東京で参加してきました中央行動記を掻い摘んで報告いたしますので、宜しくお願いします。



平成21年度の万田坑周辺整備

2009年03月28日 | 荒尾市

平成21年度一般会計予算が可決し、その中で『万田坑周辺整備事業』も支出計上されていました。
よって今年度は、次のような事業が行われます。

★駐車場整備 万田坑ステーションに隣接する南側に整備。
★池整備 池の周りに遊歩道を整備。親水公園にする。池を渡る木製の橋の整備も検討。市民との協働で花しょうぶを植える。
★遊歩道整備 万田坑や史跡を遊歩道で結び、炭鉱の歴史や機能について学べる遊歩道の整備。
★広場整備 万田坑正門前広場は、今後に史跡公園化も考えられ、市民との協働で芝を貼ったり植樹を行ったり、市民参加型で整備を行う。イベント広場としても活用でき、市民の憩いの場としていく。

世界遺産暫定リスト入りを果たし、今後の登録活動を活発化させていくためには市民の盛り上がりが必要です。万田坑の周辺を整備し子ども達が、年齢を問わず老若男女が集う憩いの場になるよう、ご協力をお願いします。



DBOによる新浄水場 事業者グループが決定

2009年03月27日 | 荒尾市

平成24年の春に供用開始の、大牟田市・荒尾市による新浄水場設置に向けて、事業グループが決定しました。
経費削減のため、設計・施工・管理を一括に行うDBO方式(公設民営型)を取り入れ、総合評価一般競争入札により『メタウォーターグループ』が落札。
入札には5事業グループが申し込み、そのうち2グループが辞退され、3事業グループで事業内容をプレゼンを行い、5人のメンバーによる事業審査委員会が審査。総合評価が高かった事業グループとして、メタウォーターグループ(本社 東京、支社 福岡)に選定となりました。
予定価格88億1800万円(税抜き)に対し落札金額は76億1000万円(税抜き)。落札率は、86.3%。
平成21年度に、設計や地質調査を行い造成工事を開始となっています。
説明を受け、・・・『続きを読む』でどうぞ

私は色んな質問を行いましたがその中で、5人の審査員の平均点が記されてある資料に着目し、『その3グループの中で総合評価は一番に高かったが、安全面については一番に低い数字で表されてある。どのように理解したらよいのか。』

いよいよ4月以降、本格的に工事が行われていきます。76億円をかけて行うのですから、安全で事故がないようにと願っています。場所は、大牟田市臼井新町の炭鉱社宅跡地。有明工業用水の水利権を本市は22億円で取得。日量で荒尾市は8000トンを取水、大牟田市は20000トン。
各ご家庭や事業所等へ水道の安定供給に向け、本格始動です。

荒尾市に朗報

2009年03月25日 | 荒尾市

院長を先頭に医師確保に積極的な活動を展開、なかなか実現とまではいきませんでしたが、新年度の4月より3人の医師が就任されることが明らかとなりました。2人につきましては、昨年の11月には確定していましたが、新しく女性の医師が就任されることで、万歳です。よって、新年度は31名の医師体制でとなります。
平成16年度から導入された新研修医制度。この制度により全国地方の病院から医師が消え、そのため患者が来なくなり、ひいては赤字経営の引き金ともなりました。荒尾市民病院では、最高47名体制でしたのでこれからも活発な活動が求められています。
医師一人につき1億円の収入増が期待できると言いますから、3人で3億円となれば赤字体質であった市民病院にとって、まさに喜ばしいことです。
4月より、荒尾市民病院は地方公営企業法の全部適用でもって経営形態を代えていきます。変わる市民病に期待していただき、そしてご利用をお願いします。



海達公子ブロンズ像

2009年03月23日 | インポート

1981年(昭和56年)9月
    詩碑およびブロンズ像 建立

製作者 中〇〇〇〇  田〇〇〇

設置場所 荒尾第二小学校前庭
        (旧 荒尾北尋常小学校)

詩碑 夕日
   赤い鳥 大正13年9月号に掲載
      荒尾北尋常小学校2年生の時の詩

除幕式 荒尾市文化連合会



定額給付金、本市もいよいよ

2009年03月21日 | 荒尾市
荒尾市は、定額給付金の申請書を19日に発送しました。来週には、各世帯主の皆さんへ郵便により届くようです。
それで、各世帯からの郵送による受け付けは25日からで、給付は4月中旬からのようです。郵送ではなく直接に窓口での受け付けは4月1日から12日までで、市役所11号会議室に臨時窓口を設置して対応するようです。
本市世帯数は、約23000世帯。発送先の確認、世帯構成人員の申請書の作成など、事務的に大変だったと思います。
この定額給付金により、地域経済の浮揚になるのか甚だ疑問です。生活必需品の購入や預金に回すのであれば、何の効果も期待できません。しかし、そういった方々が多いと見られていて、私もそう思います。普段にできない贅沢品の購入や遊興費に回すなど、そういった発想になることなんて難しいですよね。
国民の7割は、景気対策にならないと考えています。まさに、選挙対策のバラマキとしか思えません。皆さんは、どんな風に使いますか?

第4回海達公子まつりオープン

2009年03月20日 | 地域活動

午前10時から始まった、二小元気会主催によ第4回海達公子顕彰事業『海達公子まつり』
オープニングセレモニーでは、習字・自由詩・図画・写真を募集したところ、北は大牟田市内から、南は熊本市内から応募総数430点あり、その中から厳正なる審査の結果、それぞれの部門において表彰状が授与されました。
その後、国際グリム賞を受賞された鳥越 信先生によるご講演『海達公子と赤い鳥』のテーマであり、そして表彰された自由詩の朗読会などがありました。
自由詩は小学生による作品
で、季節や日常風景を詠んだものが多かったのですが、中にはいまの世相(不景気)を読んだものもありました。どれもこれも自分が感じた思いを詠み、会場にいる参加者の共感を得るものばかりでした。
公子の作品、・・・『続きを読む』でどうぞ 短いながらもそのときの情景が浮かぶもので、そのときに感じたことを詩にする思いは、私たちが忘れているものではなかったのかと思いました。感動を言葉で伝える、簡単なようで難しいものです。子どもには、日常の生活の中で忘れないで欲しいものです。
開式当初、参加者はとても多かったのですが、表彰式が終わり講演が始まるとちらほらと退席され、式典が終わったら潮が引いたように駐車場はガラガラ。
これから25日までの期間、荒尾市大正町のメディア交流館において、海達公子の足跡、作品、公募作品などを展示していますので、是非とものご来場を心よりお待ち申し上げます。
ちなみに私は、3月22日(日)の午後3時頃から2階のホールにて、会場係として午後6時までいます。


第4回海達公子まつり 明日から開催

2009年03月19日 | きなっせ荒尾へ イベント案内

いよいよ明日から、第4回目となる海達公子まつりが始まります。
その準備のために午後1時からメディア交流館に缶詰め。イスやテーブルの設置、展示物の配置など準備者が少なかったものですから、それはもう大変でした。それでも何とかできたというところで私は、まだ細々した点はありましたが退散。明日も早くからの集合となっています。
明日の初日は、10時から式典と講演会があります。展示は常時。
児童文学研究家の鳥越 信先生の講演『海達公子と赤い鳥』、
公子が書いた詩や図画、書道などを展示しています。公子の作品に触れることで、そのすばらしさが分かっていただけるものと思います。この機会に、是非とものご来場をお願いします。
最終日は、3月25日の午後6時までです。
駐車場は、メディア交流館に十数台は駐車できますが、よろしければプロローグ広場をご利用ください。2時間までは無料。以後1時間ごとに50円になっています。8時間駐車で300円。それ以上は上がらず12時間駐車でも300円です。それ以後はまた最初に戻っての計算となります。広場からメディア交流館まで、直線で200mぐらいだと思います。