2011荒尾市議選 6期目挑戦19票差で落選 田中ひろはるブログ!

ひろげたい! みどりと 平和と みんなの笑顔を! 新社会党でがんばります!  

9月議会開幕 質問者は8人?

2010年08月30日 | 荒尾市議会

第4回荒尾市議会定例会(9月議会)がスタートしました。
以下、議会日程と私の質問項目を報告しておきます。お時間があられる方は傍聴をよろしくお願いします。
第4回市議会定例会(9月議会)会期17日間
8月30日 開会・提案理由説明
9月6・7・8日 
質問戦(8人が登壇)
田中浩治の質問項目 ・・・・『続きを読む』でどうぞ
9・10日 常任委員会審査
15日 
常任委員長報告、討論、評決、閉会


先の6月議会では、13人が質問戦に登壇しましたが今回は8人。
私が議員になった頃は、与党・野党が競い合って登壇、閉会日での議案に対する討論もお互いに負けるかの想いで活発に論戦を繰り返していましたが、・・・・・。

発言通告書(  質疑    一般質問  <o:p></o:p>

件名<o:p></o:p>

要旨<o:p></o:p>

短期自主健全化計画、あり方検討会提言に基づく荒尾競馬事業について<o:p></o:p>

 市民の関心事ですが、事業運営や再建計画の進捗状況、収支決算の状況、将来等については競馬組合議会がありますので、質問することができないようになっているようです。<o:p></o:p>

1.        新聞等で出走手当の削減云々が取りざたされていますが、13億円の貸付金はどうなっているのでしょうか。収益事業。<o:p></o:p>

  監査委員としては、指摘すべきことはないのでしょうか。<o:p></o:p>

2.        出走手当の動向により、雇用問題が危惧されます。市としての特別な対策がなされるのでしょうか。雇用問題が絡むことから、市は競馬組合へ競馬運営を構成する方々への説明をするよう、求めても良いのではないでしょうか。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

3.        市が行ったあり方検討会。その提言『計画の途中であっても廃止も視野に』の存廃判断は、競馬組合なのでしょうか。<o:p></o:p>

4.        市においても、財政上の負担は免れないことから対策についての検討状況は。20億円の基金積み立て。市としての全般的な対策は。<o:p></o:p>

5.        市長選挙において、市民への公約として競馬事業をどう考えられていられるのでしょうか。<o:p></o:p>

6.        別件にて、とも思いましたが、荒炎祭について、特に露店を出された方より不満の声が寄せられました。競馬組合へのメリットがあったのでしょうか。総括はどうでしょう。<o:p></o:p>

 産交バスへの補助金の動向、交通弱者対策について<o:p></o:p>

平成20年度決算が4000万円、そして21年度決算が4860万8000円。<o:p></o:p>

これは一過性のもの、あるいはバス離れなのでしょうか。<o:p></o:p>

5月にダイヤ改正に伴い路線の見直し、バス停設置の見直しがなされましたが、このことにより補助金削減への効果を図ることはできるのでしょうか。<o:p></o:p>

予算5000万円を22年度決算が超えた場合、交通弱者の『足』をどう守られるのでしょうか。特に、必要と言われる地域への対策は。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

以上通告します<o:p></o:p>

平成 22  8  30 <o:p></o:p>

市議会議長  島田  <o:p></o:p>

市議会議員  田中浩治


完成しました 国労熊本闘争団史

2010年08月30日 | その他
『ああでもない。こうでもない』といった度重なる編集会議をおこない、そしてようやくこの度、国労熊本闘争団史が完成しました。
6月28日、最高裁判所において鉄建公団:鉄道運輸機構との和解協議が整い、すべてのかかる裁判を取り下げ金銭面での解決をみたことで、中間的な総括としての記録史を発刊することにより、これまでにご支持をいただいた政党や労働組合、民主団体などに対して、お礼の意味を込めて差し上げるものです。
まだ中間なのは、雇用問題が解決をしていないことからであり、希望する闘争団員は183名。前原国交省によるJR各会社への雇用をはたさなければなりません。
今後もご支援をお願いします。
闘争団史は56ページからなっており、当時の写真もふんだんに使い読みやすい、当事者でなくても理解しやすい内容となっています。
23年間(1987年~2010年)の記録を費用の関係から凝縮することは大変なことでしたが、そこは事務局長がしっかりしていたことが特筆です。お疲れ様でした。
皆さんの目に触れる機会があるかどうか分かりませんが、23年の闘いの意義や意味をご理解いただければ幸いです。