2011荒尾市議選 6期目挑戦19票差で落選 田中ひろはるブログ!

ひろげたい! みどりと 平和と みんなの笑顔を! 新社会党でがんばります!  

アディダス2点で50円

2008年01月31日 | その他
家には、ソフトボールユニフォームは4着、バドミントン関係、陸上競技関係シャツ、パンツ、夏用冬用ジャケット、ロングパンツなどなどトレーニングウェアーやユニフォームの類が数多くあります。
それで、普段の外出の際にもそういったものを着用しており、選挙のときもトレーニングウェアーで一週間通しました。
見てほしくなったら買うということで、実際には着用していないものも多数あります。
家人からは、着ないものはリサイクルに出せと小言を言われている始末で、それで先日に何でも買取のお店に持って行きましたね。
陳列されていた商品の中には、当時を懐かしく思い出させるものもあり、古着コーナーを見たときに写真と同じものが5000円として販売されていまして、『これは一着1000円ぐらいはなるのかな』との思いで査定をしてもらったところ、2点でナント50円!『どうせ要らないものなんでしょ』とばかりの査定金額と販売金額との差があまりにあったものだから『どうしようかなー』とは思いましたが、『また家に持って帰れば小言が待っている。しょんなか』とサインしました。
そのウェアーは、ポケットがついてなかったので、使い勝手がよくなかったものだからあまり着用せずに保管していたものでした。他のものも同じでしたね。これからも着ることは無い思いますので、欲しい方があったらどうぞの3R。(今は5Rや10Rとも言われています)
今でこそアディダス商品は、格安に手に入りますが当時は高嶺の花といった感じで、着ているだけでステータスを感じたものです。
まだまだ家には、アディダスのほかにナイキやアシックス、リーボック、コンバース、ミズノ、ヨネックス、ウィルソンなどなど各種メーカー衣類がたまに活躍していますが、多くが衣装ケースに眠っています。
活躍する場を作ることが体力向上になりますので、体に鞭打って使ってあげたいと思っています。

JR不採用事件 東京地裁判決 差別認定

2008年01月23日 | 新社会党・労組会議・ユニオン

2008年1月23日、国鉄『分割・民営化』でJRに採用されず、国鉄清算事業団を引き継いだ独立行政法人『鉄道建設・運輸施設整備支援機構』を訴えていた旧全動労組合員による裁判の判決が出され、『分割・民営化に反対した組合員に対する不利益な扱いは違法』と認定しました。
これは、2005年9月15日に出された東京地裁・鉄建公団訴訟と同様に、採用差別があっことは歴然としている事を認めたものです。
1987年4月1日、国鉄が民間会社JRに移行する際、同年2月16日に当事者とその家族の人生を大きく変えるJR採用に当たっての選別が行われ、労使協調路線の『分割・民営化』賛成組合の採用率は約90%だったのに対し、反対をした国労は37.5%、全動労は約20%でした。
時の首相である中曽根は、『組合による差別はしない』などの国会付帯決議があったにもかかわらず、この事を無視し、そしてこのような数字は明らかに差別があったことを物語っています。
まさに、国家的な不当労働行為です。
判決は、『組合の運動方針の違いを理由に異なる扱いをしたことは、国鉄の負う中立義務に反し、正当化するのは困難。公平にJRへの就職を果たす機会を奪い、多大な精神的打撃を与えた』と指摘しました。
1990年3月31日、国鉄清算事業団を解雇された1047名(私もその1人)のうち、現在までに46人もの方が志半ばでお亡くなりになっています。平均年齢は53歳になっています。
ILO国際労働機関は、政府にこの問題の解決について7回もの勧告をしています。
荒尾市議会の4回をはじめ、『不採用事件の早期解決を求める意見書』を様々な自治体議会で可決し、政府へ提出しています。地方議会=国民も解決を求めています。
『鉄道・運輸機構』側は、判決を不服として即日控訴。全動労側も控訴の方針と言われています。
採用差別発生から20年を越えようとしている今日、これ以上引き伸ばすことなく、『雇用・年金・解決金』について原告の主張を聞き、納得できる解決の道筋を政府が出すべきです。





鉄建公団訴訟陳述書をメールで送付

2008年01月16日 | 新社会党・労組会議・ユニオン

陳述書を書き上げて国労支部にメールで送りましたが、間違った送り方をしてしまったようですみませんでした。ワードで作ったものをコピーしてメールに貼り付けたものですから、相手先から添付という仕方を教えてもらって何とかうまく送れたようです。
メールなんてものはいつ使ったか分からないぐらい遠いことであり、それで仕方を忘れてしまい、そのことだけで大変な時間をかけてしまいました。

それにしても、陳述書を書いているときに当時の国鉄荒尾駅や国鉄清算事業団のことを思い出し、特に緒方駅長をはじめとした助役たち管理職の事を思い出すと怒りがこみ上げてきます。
もう、やがて21年前の話になりますが、その時の情景をいまでも覚えています。
朝の点呼の際には、必ずといってよいほど胸に着けている国労バッジについて『服務規程に違反をしている。はずしなさい』と言い、はずさないと『現認します』と言って立ち去り、そのことが毎日のように続いていました。
また人材活用センター職員として清掃作業中に怪我をした際、駅長からは『君のおかげで無事故記録が途絶えてしまった』とののしられ、数日後に鉄道管理局の担当課から事情聴取がなされ、そのときでした。緒方駅長から『治療代は支払うから公傷にしないほうがよい。公傷にすれば君の経歴に赤い文字で公傷と書かれる。赤い文字は処分と同じだ。君の将来を思って言っている』と。
ののしられた経緯があることから、無事故記録という自分の経歴に傷がつかないようにと思っていると直感として感じ、事故は事故として認めさせることが大事だと思い公傷にしました。
その赤い文字がいくつあるのかで、JR採用の合否が判断されるならば片足切断の事故を起こしても公傷扱いにするなということでは、第二、第三の事故者、犠牲者が出てきます。そういったことは大変に許しがたい行為です。
こんなこともありました。線路横断時に指差呼称の励行が急に始まり、人材活用センターのときに『何故しなければならないのですか。線路横断時には目で見て確認している』と指で確認することの理由を聞きましたが、緒方駅長が言いました。『私の命令に従え。私が法律だ』と。結局、理由は教えてもらえず、そして私の今日の業務は指差呼称だと指示し、炎天下の中で駅長室の前の線路にたたせ、ホームからの乗客から見える場所で指差呼称をさせられました。今日一日の仕事が指差呼称でしたから頑張っていましたが、1時間ほどで打ち切りとなり、草取りの業務に就けとのことでその指差呼称の仕事からはずれました。
分からないから聞いている、こんなことは現在の社会でもあります。
とにかく国鉄
『分割・民営化』で、家族や同僚、友人との人間関係をズタズタにされてしまい、また私の人生を大きく変えられたことに今も怨みとしてあります。当時の管理職と会うことはありませんが、会ったときにははらわたが煮えくりかえるような怒りが込み上げてくると思います。

そんなこんなを陳述書に書き、最後に『
裁判官の皆様方、どうか私の声を聞いていただき、そして誰が聞いてもおかしくない公正な司法判断をよろしくお願いします。』で締めくくりましたが、A4用紙5枚となりました。
東京地裁では、国鉄時代での不当労働行為があった事を認定しました。1987年2月16日、JRに採用されなかったのは組合差別が歴然としています。

今後の東京高裁での推移を注目してください。



蝋梅・・・?

2008年01月05日 | 地域活動

午前中、大変にお世話になっています先生のお宅に行く用事があって、その先生がたまたま偶然にも外で喫煙されていたことからお庭先で話しをしていたところ、蕾が膨らんで花が咲いている枝が目に入ってきたので尋ねてみました。『ろうばい』と言われて、その時にはピンと来ず『ろうばいとはどんな漢字を書くのですか?』『蝋燭の梅と書くんだよ』と。
初めて聞く名前に私は『こんな種類の梅があったですねー』『春はもうそこまで来ているんですね』とか言いながら、『♪ 梅は咲いたか~、桜はまだかいな』の感覚で温暖化で花が早くに咲くのかなと思い、昨日見たテレビ『地球温暖化』について話をしたところ、どうもこの梅は1月に花が咲くということだそうです。
知識の浅い私にとっての蝋梅の話であったので、温暖化と全くではなかったにしろあまり関係のない話しに狼狽してしまったところです。
蝋梅についてはこちらをどうぞ。
そういったこともありながら、大変に天気がよく温かかった今日も、午後からは議会報告配布に汗を流してきたところです。