四国遍路の旅記録  三巡目 第3回 その1

昔の遍路道、今の遍路道

3巡目、第3回の遍路旅は、昨年秋、池山神社への道で転落、傷心と痛む肩をかかえて歩いた金剛頂寺下の不動岩がスタートです。
ここから須崎まで。札所としては27番神峰寺から36番青龍寺までお参りする予定です。
私は、札所と札所の間の道は基本的には自由だと思っています。昔からの遍路道であれば、それに越したことはありませんが、もしそうでなくても、いい道、心ときめく道があれば、その道を歩きたい。「それは邪道だよ・・!決められた遍路道を歩かなきゃ」とのご意見戴いたこともありますが、このことは譲れないでしょうね。
もっとも、今回の区切り区間では、神峰寺への道を除いて、歩く道を選ぶという所は殆どありません。既定の遍路道を坦々と歩く所ばかりです。

遍路日記も3巡目ともなれば、あまり書くことも無くなってきます。それにこの度は、例年より歩き遍路は少なかったのではないか・・。書き留めておくような出会いも少なかったように思います。
そこで、ちょっと工夫を。江戸時代に書かれた遍路日記や案内書の幾つかを引っ張りだしてきて、現在の道、霊場との対照を試みます。
遍路が殆ど行かない神社との感動の出会いも最後に控えていますが・・。

さてさて、どうなりますことやら・・。出発!





 緑の遍路道から     (平成22年3月16日)

室戸の海岸

3月も半ばを過ぎたというのに、それにしては、異常に寒い日。風も強く波も高い。
午後、バスを降り、金剛頂寺下の不動岩の前から歩き始め吉良川の街に入ります。この街には古い土蔵造りが多く残されています。風雨の強いこの地方独特の、水切り瓦を白壁に何段も付けた土蔵を見ます。
私はこういうものに目がない方ですが、残念ながらこの度は調査不足。
主道を外れた所に立派な土蔵があったようですが、多くを見落としてしまいました。

吉良川の街並

水切瓦のある土蔵

中山峠から見た羽根の街中から見た羽根の街 
中山峠から見た羽根の街


羽根から中山峠の道へ。私の好きな緑の遍路道がある所です。
上り坂で、道しるべを修理してまわっている、へんろ道保存協力会の方にお会いしました。
「ごくろうさまです・・」暫しの立ち話。
中山峠の道は複雑ですが、道しるべと遍路マークのお蔭で迷うことはありません。
でも、ちょっと考えました。この頃多い逆打ちの方のこと。
順打ち用の道しるべばかりで、果たして迷わず通行できるのか・・と。
地理音痴の私には、まず無理です。迷いに迷うことを覚悟しなければならないでしょう。逆打ちの方、ほんとに大丈夫なんでしょうか・・ね。

緑の遍路道、やはりいいですね。今日は海がはっきり見えます。心安らぐ道です。
下りきると御霊跡の大師堂前の海が唸りをあげていました。


緑の遍路道を下る

御霊跡の碑


御霊跡付近の海

今日の歩きは半日。奈半利までの海岸の道をゆっくり行き、田野の二十三士温泉に泊まります。
変わった名前の宿ですが、幕末の安芸郡勤皇党二十三人の志士に因んだ名前なのですね。
新しいきれいな施設で、何といっても温泉ですから・・。日帰り入浴客で賑わっています。

(追記)これまで書き落してきた一つの標石について追記しておきましょう。
奈半利から奈半利川を越えて田野町に入ります。遍路道は左折して旧道へ。旧地名芝の商店街入口に政吉の手指し道標があります。
「肥前五嶋福江 川のや政吉 此手四国中へ何百有 ミな へんろ道」
政吉の手指しとしては、珍しく多くの字が刻まれたもの。その配置からも独特のセンスが伺えるように思います。


田野町芝の道標
 



神ノ峰寺     (平成22年3月17日)

磐座から神峰寺へ
今日は、田野の宿を出て神峰寺にお参りします。
神峰寺への遍路道は、国道55号旧道の唐浜(とうのはま)からまっすぐ北上する3.4kの道を往復するのが通常。というか、そのように定められていると言った方が当たっているかもしれません。他の道で上るなんて普通考えませんね。
明治より前の札所や遍路道の状況はどうだったのでしょうか。文献を見ておくことにしましょう。
江戸時代の遍路の実態を記した文献は幾つかありますが、その中からお馴染みの三つを採りあげます。
①澄禅「四国遍路日記」(江戸初期1653年、以下「遍路日記」と呼ぶ)
②真念「四国遍路道指南」(江戸前期1687年、以下「道指南」(みちしるべ)と呼ぶ)
③寂本「四国遍礼霊場記」(江戸前期1689年、以下「霊場記」と呼ぶ)
ここでは更に④「南路志」を加えておきます。
澄禅「遍路日記」には次のようにあります。
「麓ノ浜ヨリ峰ヘ上ル五十丁一里也。・・本堂三間四面、本尊十一面観音也。・・峰ヨリ下ニ寺ハ麓ニ有・・」
真念「道指南」、寂本「霊場記」ともほぼ同様の記述で、寺には本堂、大師堂、鎮守があること。参道は一里の坂。麓に養心庵という庵があること。 (安田にあった少林山常行寺が神峯の別当代理を担ったこともあったようです。そして、その近くに有名な説話「くわづ貝」の存在が記されています。
古くからも、ほぼ現在と同じ道で参拝したようです。ただし、寺の本堂(観音堂)は今の神峰神社の本殿そのもの、または同所にあり、江戸初期には現存の本殿より一回り小さいお堂であったようです。
神峰神社にお参りすると気付くのですが、この本殿は神社の本殿ではなく、寺の本堂の様式で建てられいるように思えます。
明治初年の神仏分離令により神峰寺は廃寺、神社として残されます。
さて、「南路志」の竹林山神峯寺の項を見てみましょう。(意訳)「本堂十一面観音、秘仏作者不明、本堂四間四面、縁起では弘法大師の開基という。古くは現地より上にあったが、元和年間(江戸初期)に現地に移った。極月晦日(大晦日)の夜、龍燈来現之から柴燈護摩が行われていた。また、三社権現、地主権現、荒神、大師堂がある。なお寺は「退転」と表記されており、無住で参拝者も稀であったことが伺える。
江戸期の記録には明記されておらず不明の点が多いのですが、寺の始めは相当古く、寺の裏には磐座があり修行者が龍燈を挙げた跡が今も燈明磐として残されています。
明治に入り廃寺であった寺は、明治20年頃、やや下った昔の僧坊の跡に新たに再興されたということのようです。そういえば竹林山地蔵院という山号院号も何となく神峰寺とは違和感がありますね。茨城県の寺の寺格を移したものなのです。
今は参る人も殆ど無い神社、多くの参拝者で賑わう寺、何やら皮肉な巡り合わせを感じます。

                               (令和6年4月改記)

 四国遍礼霊場記「神峰寺」


麓にあったという養心庵、(その場所には今は薬師堂がありますが)昔の遍路は庵に荷を置いて寺に参ったそうです。
現在はその近くに 民宿があります。やはり多くの遍路は宿に荷を置いて山に上るのですね・・。
この「まっ縦」と呼ばれる急坂の参道。僅かな土道を脇道(遍路道)として残して、総てが舗装されています。この坂道を上ることは、肺気腫持ちの私にとっては厳しいことです。過去に二回も上ったことだし、他の道を上ってもお許しいただけるかも・・。
ということで、地形図を眺めながら見付けた、安田から神峰神社に直接上る尾根道を歩くことにしました。

国道55号に並行した旧道の安田川橋を渡って、安田の街を右折、安田八幡宮の前に。
街の人から声を戴きます。
「道を間違っちょうよ・・」「尾根道ゆくがか・・そんならええ・・」
八幡宮前に「神峯神社7.2k」の四国の道の道標があります。(この道も唐浜から上る遍路道も実は「四国の道」なのです。)
九十九折れの舗装の道を上がり一気に標高160mの尾根に。
安田川とそれを渡る新旧二つの橋が見事に見える眺望。
○○建設と書いた軽トラが追っかけてきて止まります。
「この道は遠いがー・・、行くがかー・・」
また、また・・。この人が神社までの道で出会った唯一の人。
3k地点、東島地区に拡がる田園とビニールハウスの群れ。


尾根道から見る安田川と橋


緑の田園とビニールハウスの群れ

丁石(五丁)

やがて道は山道に。
しかし相変わらず緩やかな勾配、四国の道特有のあの擬木の階段は1個所も無いのです。これは神社まで続きます。
5.5k地点。間下(まげ)への分岐の標示。(間下は安田川に沿い、尾根の東にある集落)
その先の道で神社への丁石(「手やり石」と呼ばれる)を見ます。この道は、中山、馬路といった安田川上流の地から神の峯への参道でもあったということでしょう。

神峰神社側近の舗装道、駐車場に着いたのは、安田八幡宮を出て2時間。唐浜から上る遍路道に比べると長さは2倍ですが、私のように登り坂に弱い者にとっては、最適の道ではないか・・と思ったりしました。

神峰神社にお参りします。人の気配はありません。立派な本殿と向き合います。(県有形文化財)前記のように、昔神峰寺の本堂であったことが首肯されるお堂です。
本殿の右上、坂を上がった所に燈明巌と呼ばれる巨岩があります。太古から夜半になると青白く光っていたとか、戦争や大震災が起こる前兆として光ったとか伝えられています。その面には多くの窟が穿かれた不思議な岩。まさに太古からの磐座(いわくら)に違いありません。
磐座から神社へ、そして寺へ、この地の霊的な系譜を想起させられます。


神峰神社

神峰神社本殿

 神峰神社本殿


燈明巌

神社から神の峯の頂上(標高570m)へは山道を通って200mほど。
頂上に建つ展望台からの眺望はまさに絶景。
太平洋に向って左手には、羽根岬、行当岬、そして室戸岬まで。右手は八流、手結岬、その向こうは高知の浜まで。


展望台からの眺め(室戸方面)

展望台からの眺め(安田方面)


展望台からの眺め(正面、安田、唐浜付近)

展望台からの眺め(高知方面)


神峰寺山門の遍路


神峰寺山門の遍路

27番札所神峰寺は山の中腹にあります。ここから高低差120mを下った所。
寺は遍路で賑わっています。納経所には、若く美しい女性が。何かお話しようと企んだだけで、ついつい止めました。

今夜は唐浜の民宿に泊まります。朝から何と20kも歩かないのです。
寺下の売店の前で、団体を引率する大先達さんと暫しお話をした後、遍路道をゆっくりゆっくり下ります。
道の傍の田圃の蓮華が、それはそれは美しかったのです。
猫さまに昼食のおにぎりを半分差し上げたりして、唐浜の松林も歩きました。

神峰寺参道の蓮華畑 



山桜

泊まりはひとり。昔家族が住んでいて今は無住の一軒家を独占です。
食事は国道沿いのレストランで。女将さんのおばあちゃん。
「寺までの道は、ほとんどうちの土地でなー。30年も前やったかなー、土地出して車が通れるよう道拡げたんよー・・。今は、自分がやったように言う人が多いけどねー・・」 
やさしい、面倒見のよさそうなおばあちゃんなのだが・・、いろいろ不満も多そう。民宿の後継ぎの問題も・・。
自慢の話はいいけど、不満の話にはちょっと悲しくなりますね。
この前の海の向こうを通る外国旅行の豪華船に乗るのが夢だそうだ。
皆んな、皆んな、日本のそれぞれの隅っこに住んで悩んでいるのだなー・・そんなことを思う独りの宿でした。

(追記)金林寺薬師堂について
嘗て、奈半利川上流は豊富な森林資源の宝庫であった。それをを搬出するために、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道が開設された。その一部が通ずる安田川に沿った安田川線の中程、安芸郡馬路村にある金林寺について、ここで一言触れて置かなくてはならないでしょう。
この地方は、歴史的にみれば海岸に面した所に勝ったところも多く持った時代もあったように思われますが、江戸時代も過ぎれば、大道も遠く離れ四国八十八箇所霊場も存在せず、忘れられたような場所になってきたように思われます。しかし、金林寺には室町時代後期(以前)の驚くほど立派な御堂や仏像(薬師堂、不動明王、毘沙門天、いずれも国重文)が存在する。
桁行三間梁間四間の薬師堂は垂木を使用せず軒板が軒を支える独特な構法を採用する。
寺伝および「南路志」には「月光山手松院金林寺、金剛頂寺(西寺)の三つの末寺のひとつ、大同年間西寺建立の為、木材を得るため安田郷馬路山中に入り当地に薬師の像を刻み安置した。」「本尊阿弥陀如来、薬師堂、脇侍不動・毘沙門天、厨子脇広目天、増長天、開基大同二年、弘法大師一夜建立」とある。

金林寺薬師堂

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コメント
 
 
 
Unknown (koikeda)
2010-04-02 20:51:39
枯雑草様

お帰りなさい。
写真日記がさりげなく更新されていたので、お遍路に行ってらっしゃったとは迂闊にも気付きませんでした。続きが楽しみです。

神峯寺は最初の区切り打ちで涙を飲んだ札所。出直してお参りはしましたが、「まっ縦」の記憶がありません・・・次の区切り打ちで確かめたいと思います。

ところで、24番奥の院(四十寺)への道、やはり厳しいのでしょうか?余力があればチョイと・・・ってな心構えでは難しいのかしら?こちらで画像を拝見した限りでは魅力が薄いように思えてしまって躊躇しております。
 
 
 
koikedaさん (枯雑草)
2010-04-02 21:45:43
こんにちは。よーこそ。
今回の遍路、どっちかというと・・かな。
まっ縦通ってない??今回、私はまっ平を通りました。これは楽な道です。神社、展望台は是非行かれた方が。
四十寺、頂上の方がちょっと急ですが、310mほどの山ですから、koikedaさんの脚だとちょい、ちょい
ですよ。ただ、室戸岬が見える訳でもなく、無理して行くほどでは・・という気もします。道は、私の通った道は、その後ダメらしく、某談話室、極楽トンボさん、2008.5.6に詳しい。
 
 
 
Unknown (とっと)
2010-04-03 10:48:24
枯雑草様、ご無沙汰してます。

神峯神社は、私も昨年参拝しました。
参拝者が一人もいなく、静かな佇まいで、落ち着いてゆっくりお参りしたことが思い出されます。
ただその上に展望台があるのは看板で知ってはいたのですが、あまり気にかけずに降りてしまいました。
枯雑草様の写真を拝見して、その選択が間違いだったと気づきました(><)
次回は必ず上まで上がりたいですね。

宿泊された民宿も私が泊まったところと同じかと思います。元気なおばあちゃんでした。(ただし、軽トラの運転は怖かった。)

しかし、枯雑草様の写真はいつもきれいですね~
私も続きが楽しみです。
 
 
 
とっとさん (枯雑草)
2010-04-04 20:56:15
こんにちは。
すっかり御無沙汰しています。
私は尾根道を上がったので、自然に神社、
展望台に参りました。神社から燈明巖に上がると
そのまま展望台への道でもあります。展望台から
の眺望は・・これはすごい。ぜひ次回は。
宿、寺の下の売店もやってて、息子さんがおられ
ますね。札所の番号がついた宿ですね。
 
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