小豆島霊場巡礼日記(その1)

四国遍路の道を歩かなくなってもう3年が経ちました。長い距離を歩くことは、もう私の足が許してくれなさそうです。
そんな時、小豆島霊場の道を1日15k以内で歩いてみようかと思い立ちました。実際には半日15k以内で2日の行程となりました。
小豆島八十八ヶ所霊場巡礼の旅のほんの一部ですが、簡単な日記に記しておきましょう。

(1日目)


新岡山港を後に

新岡山港からフェリーで小豆島土庄(とのしょう)港に着いたのは11時40分。宿に寄り遍路装束に替え歩き始めます。
最初は、霊場総本院。小豆島霊場協会本部があります。そこで納経帳を購入。

 霊場総本院

総本院より国道436号を300mほど、右手に土庄天神神社の鳥居が見えてきます。鳥居の前を左折し石段を上ると地蔵と鐘楼があり、上り切った先に本堂と大師堂。
第64番 松風(まつかぜ)庵、(本尊 地蔵菩薩、納経58番札所)。鄙びた素晴らしい雰囲気の霊場、最初の霊場として相応しいと思わせます。高台から土庄の街と三重塔が見渡せます。



松風庵

 地蔵

 松風庵本堂

国道から街中の迷路のような狭い道に入り300mほど。立派な山門をくぐると、第58番西光寺(本尊 千手観音)。ここで8ヶ所分のご朱印を戴く。
本堂横の岩山に立派な三重塔が聳えます。これが58番奥の院 誓願の塔(本尊 弘法大師、納経 58番)と呼ばれます。


西光寺


誓願の塔


塔と大師像

西光寺の向かいに自由律詩人尾崎放哉の記念館があります。大正15年、放哉41歳で没した南郷庵(みなんごあん)、その場所です。
誓願の塔がある丘を南東に下れば海岸の道。弁天島から中余島、大余島まで、引き潮時に現れる砂嘴の道「エンジェルロード」がある所。立派なホテルがあり、若い男女の二人組の姿が目立ちます。何となく遍路姿はミスマッチに思える世界です。
海岸の広い道を只管西へ。左は鹿島海水浴場の浜です。今はひとりの人も見掛けない・・

 鹿島海水浴場


浜辺

鹿島の街の丘の上、第59番甘露庵(本尊 阿弥陀如来、納経58番)。
街を抜けると新しい石道標(手指しが赤く塗られた石標。小豆島の札所の道に共通にみられるもの)が庵を案内します。その先には手指しと「へんろみち」と彫られた比較的古そうな石標も見られます。
石段の上にお堂。鐘楼越しに鹿島の沖の海が見渡せます。庵はほんとにいい場所に座っておられるのです。

 甘露庵への道


甘露庵への道


甘露庵

 甘露庵

 鹿島の海

庵を出て坂を下ると広い車道。
暫くして左手に見える美しい木立に誘われ道を間違えます。そこはオリーブ農園。作業場の中で集会が行われていました。江洞窟への道を聞きます。


オリーブ農園を望む

足尾神社の手前を左折、柳の集落を抜けると赤手指しの石標。
第60番江洞窟(本尊 弁財天、納経58番)。入口に赤い鳥居があり神仏混淆の霊場を思わせます。海岸に弘法大師像、洞窟内に弁財天を祀るお堂。左手の寺務所の中に玉のような大石、大日如来を示す「阿」の梵字。朝日が差し込むと洞窟内に光の輪が浮かぶと言います。大師像の前に置かれたポットからお茶を戴き暫し休憩。洞窟のある断崖の上部や海岸にも丸い石の形状が見られます。岩の節理の形状なのか・・何とも不思議の多い霊場ではあります。


江洞窟への道


海辺の大師像


江洞窟上の断崖

 洞窟の中


柳の海岸

トンネルを抜け、旧道へ分岐した所に大坂城石垣石切場跡。(島内所々にあるようです。)
千軒の集落、集会場の隣に千軒薬師庵。

 千軒薬師庵

戸形崎の高みから四国の屋島と五剣山の影が見えます。
御崎の下の浜にコンクリートの建物があります。旧戸形小学校(2005年廃校、今は戸形公民館)です。映画「八日目の蝉」で撮られたあの美しい浜と夕陽はここでのもの・・その時間の浜を想います。


屋島と五剣山の影


旧戸形小学校

小瀬の第61番浄土庵(本尊 阿弥陀如来、納経 58番)。お堂は地域の集会所を兼ねている様子。人の気配を感じます。
次の札所までは4.4kの道程。浜にいくつかの墓と立派な地蔵があります。その道で足早に歩く夫婦にお会いしました。「こんにちは・・」
私を追い抜きまた戻ってきます。

 浄土庵


墓と地蔵

土庄港のすぐ南、大木戸の高台に第62番大乗殿(本尊 阿弥陀三尊、納経 58番)、第63番蓮華庵(本尊 千手観音、納経 58番)が並んでいます。
札所への道は分かり難いけれど、丘に上る道を辿ればいつの間にか札所に。一段高い場所に荒神社。札所の堂前には石鎚神社、薬師堂、大師堂が並びます。
退路は電柱に貼られた矢印へんろシールに従って、北に下る急な石段を辿ります。石段の途中には手指し石標。手指しは上方を指しており、昔はこの道が行路でもあったと思わせます。

 大乗院、蓮華庵


大木戸の街


下りの石段

 石標

    
                                                                   (令和元年 10月)


 

 

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