長府、土塀の印象














     下関市街地から東へ10k、今は下関に属する長府の町。戦国時代の末、その
     武勇、器量を謳われた毛利秀元が、関ヶ原の敗戦の後この地に入り、毛利藩の
     支藩、長府五万石を置いたその場所。幕末には、維新発祥の中心ともなり、
     高杉晋作、挙兵の地でもある。
     町の一画に、土塀に囲まれた、当時の街並みが残されている。しかし、所々に
     長屋門はあるが、土塀の中の主屋、武家屋敷は残されていないのだ。町屋も
     見られない。それは、この街が、生活の場として現在も住まわれているというこ
       とによるらしい。使い難い家は、取り壊され、近代的な住宅に替わったということ。
       ちょっと変わった風情の土塀の街なのである。

     (西に傾きかけた日差しが、土塀の間の石畳に影を落とす午後、この街の一画を
       歩いた。土塀は、立派で高く、その中の家の様子を伺うことはできないのです。
      電動車椅子のご婦人が、軽く頭を下げて通り過ぎて行きます。
      本来、住宅の境界を形作るべき土塀は、ここでは、あまりに雄弁なのです。
      歴史の重みを秘めた、不思議な長府の街でした。)
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