四国遍路の旅記録(平成17年)第2回 その6

9月30日     宿毛、延光寺へ

天候:晴れ後曇り一時雨
6:15 宿を出る。
国道321を10kほど歩くと、宿毛の町が見えてくる。
道の駅「すくも」に寄る。道の駅といっても、東京近郊のものとは様子が異なる。立派な建物などはない。広い敷地に数件のしもた屋風の売店がある、といった按配である。この方が周りの情景にはマッチしている。
アイスクリン博士としては、ここでも食わんわけにゃいくまい。3段重ねの「だんご3兄弟アイス」が120円たあ、安い。

松田川大橋を渡り、宿毛に入る。
10:00 今夜泊まる市内の旅館に到着。リュックを置かせてもらい、延光寺に向けて出発。
11:50 39番延光寺着。
境内には、大師の加持により湧き出したという目洗い井戸や赤亀が龍宮より背負ってきたという、銅鐘を由来を伝える亀の像がある。目洗い井戸の水を目に付けようか、と思ったが、おばあさんが後ろに控えていたので、「どうぞ、どうぞ」と譲り、そのまま退場。

 延光寺山門

延光寺

延光寺目洗井戸

雨が降ってきた。門前に大きな民宿が2軒。(3軒あったが1軒は廃業)
38番から打ち戻り、三原村を通ってきた遍路は多くこの門前で宿をとる。

 延光寺参道の地蔵
(実はこの地蔵尊の傍に三片に破断した茂兵衛道標(明治27年)が放置されていたのですが、
その時は気付いていない。)

戻り道のラーメン屋で昼食をとり、宿毛の街を歩く。
明治維新以来の著名人の居宅跡が多く残っている。あの吉田茂の実家がここだったてこと、初めて知りましたよ。
14:40 宿に帰る。
宿:岡本旅館。 宿泊は私ひとり。
夕食はカウンターでおかみさんと話しをしながら戴く。こういうのはエーもんだ。食堂でひとり食事は侘しい。品のいいおかみさん。「中国から引き揚げてきたのは小学校に入った年で・・・」に始まる昔話や政治のはなし、孫のはなし、取り留めない話が続く。

本日の歩行:42610歩     地図上の概算距離:25k

本日お参りした札所

第三十九番 赤亀山   寺山院      延光寺
本尊:薬師如来
宗派:真言宗智山派
開山:行基
延喜十一年に、境内の池に棲む亀が、龍宮から銅鐘を背負って帰ってきたという。山号の由来でもある。この銅鐘は、重要文化財。
日照りで困窮していた人のために、空海が加持して湧かせたと伝える「目洗い井戸」が本堂の横にある。



10月1日     観自在寺で会った遍路

天候:晴れ
7:00 宿を発つ。
今日は、松尾峠を越える遍路道を行く。おかみさんに書いていただいた地図を頼りに、遍路道の入り口に向う。目印は貝塚。

松尾峠遍路道の始まり

 遍路道途中の池

山道を行ったり、田畑の間を行ったり、登り下りして、松尾坂口番所跡に着く。
説明板がある。松尾峠を越える道は、昔、土佐と伊予を結ぶ重要な街道であったため、ここに番所が置かれていたとある。
本格的な登りに入ってすぐ「この右200m地蔵堂」の看板。子安地蔵堂(通夜堂)がある。結構広い。中はきれいに清掃されている。遍路の泊まりも多いであろう。
ノートが置かれている。インターネットのへんろサイトで知っているKさん(女性)の書き込みを発見。3日前に寄り休憩しておられる。Kさんは前回の遍路でも1日違いで同じ道を歩いた人。何とはなくうれしくなる。

子安地蔵地蔵堂

9:25 標高300mの松尾峠に着く。
「大師堂跡」と「大師堂一夜庵」の二つの立札。目の前に、2、3人は寝れそうな結構広いお堂がある。「はて、さて?」。後で地元の人に聞くと、最近、信心深い人がお金を募って、お堂を再建されたとのこと。
ここは、江戸時代には1日200から300人の旅人が通り、茶屋もあったと案内板にある。そういえば、山道ではあるがけっこう広く歩きやすかった。
ここは土佐と伊予の国境い、それを示す石柱が残っている。

松尾峠から宿毛を望む

国境の表示(是より西伊予の国宇和島藩支配地)

松尾峠を下る

峠を下り、伊予の国の南端の町、一本松に入る。
急に遍路のあいさつに答えてくれる人が増えたように感ずる。気のせいか。そうでもない。現に、辺りをキョロキョロしていると、「ハイハイハイ、おへんろさん、なにか?」と寄ってこられる。

むかしは、草深く遠い土佐への道は厳しく、鬼の国として敬遠され、特に女性の遍路は阿波、讃岐、伊予の三国まわりを常としたという。土佐藩が入国者を厳しく取り締まったということもあるかもしれない。土佐の国と遍路の関係は、他の国に較べ薄かったようである。

一本松を過ぎると、札掛というところがある。むかしの遍路は月山神社に参らない場合、延光寺から篠山(ささやま)詣りをするしきたり、それを果たせなかった遍路はこの地に札を掛け、篠山を遥拝して去ったという。
このあたり、遍路地図にはない旧遍路道が多くある。その標示もある。私は迷いそうな予感がしたので、通らない。
僧都川に沿った道を行く。きれいな川で白鷺を多く見る。

一本松町の地蔵

僧都川、サギの群れ

14:05 40番観自在寺に着く。
般若心経を声を上げて読む。「・・・遠離一切顛倒夢想・・(・・オンリイッサイテンドームーソー:よこしまな拘りから解脱して・・)」どうしたことか声が震え、涙が流れてくる。不思議な体験。
納経所で会った白い顎鬚の遍路のこと、コラムに記す。

観自在寺

観自在寺の石仏

15:50 御荘の宿に入る。
宿:民宿磯屋
同宿は、愛知のYさん、宝塚のOさん。かわいい感じのやさしいおかみさんを交え、同年配4人の盛り上がった楽しい夕食となった。
Oさんは、建築士さん。
Yさんは、24番から前半は野宿でまわってきた。お寺で「ようこげちょるなー、日本人には見えん」と言われたという、自称クロコゲ入道の外見には意外な繊細な心の持ち主とお見受け。今日で打ち止め。明日はおかみさんの車で宇和島まで送ってもらい、帰るという。
後日、Yさんから、立派な「遍路記」を送られた。写真、カット、構成とも素人離れした出来栄え。海外のデザイン賞の受賞経験もある、どうもその筋の本職らしい。

追記:
Yさんは、その後自転車で四国遍路を続けておられる。時々、センス溢れるはがきを
いただく。懐かしい・・。必ずこの宿にお泊りのよう。魅力的な女将さんとともに、私に
とっても忘れされない宿となった。

本日の歩行:37697歩     地図上の概算距離:22k

本日お参りした札所

第四十番 平城山   薬師院      観自在寺
本尊:薬師如来
宗派:真言宗大覚寺派
開山:空海
平城天皇の勅願により空海が開基した。本尊脇に観音を安置したので、観自在寺と呼ぶ。

コラム「出会い」  1000日(修)行の遍路

観自在寺の納経所で納経をお願いしていると、隣りに白く長い顎鬚、70ぐらいの遍路さんが座っている。
「あー、足摺の道でお会いしましたよねー」。「足も悪いし、車に乗せてもらったりしながらここまで来たんです。こちらの観音堂で休ませてもらおう思うて。朝からなにも食うとらんのです。」
納経所の女性が「お供えものですが、そちらさんもどうぞ」と梨を出される。一切れいただく。「わたしは、歯がないけー 梨は食えん、おにぎりをもらえんかのー」
本堂前のベンチに移り、しばらくお話をする。
霞ケ関の某官庁で重要な地位を勤め、65歳まで働いた。その後、遍路していると言う。
「もう3年も家に帰っとらんのです。1000日修行を発心しましてな。一銭も金持たずに、皆さんの施し受けて遍路しとります。こんなこともありました。田舎を歩いておると、へんろさーんちゅうておばあさんが手招きする。臨月を迎えた孫娘のためにお経あげてくださらんかと。その頃は緑札でして、差し上げると、みどり子が生まれるちゅうて喜んでもらいました。今は観音経の勉強しとります。」
赤い納札をいただく。どうしたものか、ちょっと躊躇はあったが、「おにぎりでも」と、お金でお接待させていただく。

後に泊まった宿や寺で、この人に会ったという遍路に何人かお会いした。多くの人からは、「あれはちょっと・・」「お接待を強要しとるんじゃ・・」といった否定的な意見。ひょっとしたら、この人、時々噂に聞く「タカリ遍路」であるかもしれない。それはそれでも良いではないか。
それより、修行とはどういうことなのだろうか。何を得ようとしているのであろうか。私には俄かには判断できない。
足を引き摺りながら観音堂に行くこの人の背を何とも言えぬ思いで見送っていた。 

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