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シーシェパード和解

2016年08月23日 | 時事
反捕鯨団体の妨害行為、永久禁止に 米連邦地裁で合意
簡単に言えば「金をやるから二度と妨害するな」という和解のようですね。

シーシェパード(SS)は捕鯨活動に反対する団体で、日本の調査捕鯨に対し船を衝突させるなどの暴力的な妨害行為を繰り返してきました。向こうは「鯨を守る」という正義のために行っていると考えられますが、だからと言って暴力で言うことを聞かせるのは良くないという典型的な事例ですね。一度はその行為で裁判にかけられ、妨害は違反だという判決が出たにも関わらず繰り返していたとかで、SS側が日本に3億円の賠償金を支払っていた模様です。今回の和解金はそこから出されるということで、日本としては取り分が多少減った程度で、今後永久的に妨害を禁止するという確約を得ることが出来たわけです。実質勝利と見て良いと思いますけど、何やら今回和解したアメリカSSといつも妨害しいてくるオーストラリアSSとは別団体のようです。今後資金の流れにも制限がかかるようですが、どこまで効果があるかはちょっと疑問ですな。

そもそも食文化に対する伝統や尊厳は、どの国であっても守られるべきです。日本の鯨食がそれを食べない海外の人に「残酷だ」と見られるのは仕方がないことのかもしれませんが、止めろという権利はどこにもありません。例えばフランス料理にはエスカルゴというカタツムリ食がありますし、フォアグラも動物虐待ではないかという話もあります。日本ではまず食べない昆虫を主食としている国も多いでしょうし、韓国では犬を食べるということが五輪中話題になっていましたね。SSの母国であるオーストラリアだってカンガルーを食べることに、日本人としては眉をしかめざるを得ません。しかし、それに対して「止めろ」というのは自国文化の押し付けであり、相手国の文化を下に見ている表れでもあります。自分が嫌なら自分だけ食べなければ済む話で、それを人にまで強いるのは最早宗教の域ですよね。
その国その地域の土地柄や伝統文化の中で培われた「食」について、ヨソモノがその国のことをろくに勉強もせずああだこうだ言う資格はありません。極端な話、もし世界基準で人類が食べて良い食材が限定されてしまったら、当然買い占めや売り渋りなどその食料に関する利権が問題になり、世界中があっという間に食糧難に陥ってしまうことでしょう。

日本人と鯨食は、縄文時代の遺跡からも骨が出土するほど長い付き合いがあります。稲作が伝来し、後にできる大和朝廷ではケガレ思想や後に伝来した仏教の思想から「獣の肉を食べる」こと自体が野蛮だとされ忌避されていた時代が長かったわけで、その頃は獣肉を食べるにしても「桜肉」「ボタン肉」などと言い換えてこっそり食べられていました。しかし鯨は当時の価値観で言うと海から取れる「巨大な魚」であり、貴重なタンパク源だったことでしょう。むしろ日本人が牛肉や豚肉を頻繁に食べるようになったのはここ200年ほどの文明開化後のごく最近だけの話で、鯨肉は2000年に渡って庶民食から高級食としても広く食べ親しまれてきたのです。
しかし戦争中は食糧難で再び獣食は少なくなり、代わりに鯨肉が重宝されすぎたため、戦後は「肉の代用品」というB級品扱いを受け、徐々に消費量が減ってきたそうです。そのうち商業捕鯨が禁止され、現在の日本で日常の食卓に上ることはほとんどなくなりましたが、「鯨の竜田揚げ」と聞くとどこか懐かしく感じるように、敢えて食べないけどあったら物珍しさに食べてもいいかくらいの存在になりつつあります。つまり、そこまで目くじらを立てて妨害されるほどの需要は国内にももうないのですね。鯨だけに(笑)

もちろん現状の消費量のままでは絶滅するまで食べ尽くしてしまうというのであれば、それは改善させなければいけません。ただ、鯨というのは海における生態系の頂点に君臨する生物であり、人間が食べる魚やイカなどの食材が見事に競合している、いわば「人類の競争相手」でもあります。鯨が絶滅すること自体は避けなければいけないが、増えすぎると海の資源そのものが減ってしまい、結果として鯨も人類も絶滅の徒に陥ってしまいます。そうならないよう「最適な個体数の維持管理」を目標としているのが調査捕鯨であり、結果的に淘汰された分の肉を有効活用する分には問題はないというのが日本の主張です。これはむしろ「モッタイナイ精神」であり、ぜひ各国にも浸透してほしい理念なのですが、これもある意味宗教的な概念に近いので、理解されることはないかも知れませんな。