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認知症事故無罪

2016年03月01日 | 時事
【認知症事故訴訟】長男「肩の荷が下りた」、遺族弁護団「画期的な判決」
逆転無罪ということで、大きな反響がありそうですね。

認知症の男性が目を離した隙に列車にひかれてしまい、列車遅延の賠償を求められたというもので、普通に考えてもJRがやり過ぎな気もしましたが、一審二審と有罪判決が出ていた上での最高裁判決が注目されていました。これ、もし現場が道路で自動車にはねられていたとしたら、いくら老人がふらふら飛び出したとしても100%車の運転手が悪いことになりますよね。最悪遺族側から運転手に損害賠償を求められるケースですが、何故列車事故になると逆に飛び出した方が賠償することになってしまうのでしょうか・・・

調べてみると、列車は基本的にフェンスや踏み切りなどで完全に仕切られているために過失が存在せず、進入してきた方が一方的に悪いことになってしまうそうです。確かに車校でも踏切に入る前はいくら見通しがよい場所でも必ず一時停止して左右確認するのを徹底させられますから、それだけ列車の優位性は高いのでしょう。もし人身事故などで遅れればその列車だけでなくその路線を通る後の便全てに大きな影響が出ますし、振替輸送などになるとやはり他社にそれなりの迷惑料を納めないといけないのでしょう。進入防止のためのコストも相当なものでしょうし、そうした損失が出る以上、相手に求めるのは至極当たり前、という見方は間違っていないのかもしれません。例えば自殺など、事後のそうした損害を被ることも想定した上で明らかに個人の意思で起こしたものなら、当然その責任は遺族に降りかかってしまうことでしょう。列車への投身自殺は非常に割に合わない死に方の一つなのです。

しかし、幼児や徘徊老人など、本人が危険性や損害が想像できない場合はやはりそこまで求めるのは厳しいのではないかと思います。誰だって望んで事故の被害者や加害者になりたいわけではありません。一般的に、未成年者なら保護者などの監督不行き届きが咎められるのかもしれませんが、不意に飛び出すことも含めて完全に防ぐには、それこそ犬用のリードをつけるくらいの厳戒態勢でいかないと不可能でしょう。今回のケースは、ある程度の徘徊防止策がとられ、また介護者本人も要介護1という老々介護状態だったことから「そこまで面倒を見切るのは酷」だと被告側の状況を十分加味された判決となりました。まあ一般化できるケースではないようなので、今後も同様の訴訟が頻発する可能性がありますね。
この問題の難しい所は、幼児なら段々とできることが増えていき、それを喜びの糧として面倒を見るわけですど、認知症というのは段々と進行していきますから、どんどん大変になってしまうことです。誰も面倒を見ないわけにはいきませんし、責任感から率先して介護に名乗り出た挙句、どうしようもなくなって最後には殺したり無理心中したりする事件も最近では後を絶ちません。介護から逃げた者が得をして、一生懸命やっていた者がバカを見る世の中では救いがなさ過ぎます。少子高齢化が進む中で、法律もやはり柔軟に変えていかないといけないでしょうね。訴訟費用もかかりますし、JRもこれまで通りの対応ではいけなくなっていくのではないでしょうか。
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