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解体か保存か

2015年02月23日 | 震災
<南三陸防災庁舎>重い選択 揺れる心
震災遺構をどうするか、複雑な心もちをを感じる難しい問題ですね。

この建物は自分も震災1年後に慰問に訪れたのでよく覚えています。「天使の声」というフレーズとともに、今も多くの方が記憶に留めていることでしょう。しかし、もうあれから4年が経とうとしており、幼稚園児の甥や姪はもちろん、小学校低学年の子ども達ですらその東日本大震災自体が既に記憶にない世代であるわけです。当事者でない自分が思うには、そういう新しい世代のためにも、やはりあの震災の教訓を忘れないよう残して欲しいと言う気持ちが強いです。しかし地元の方にとっては、棲家を奪われ肉親や親しい友をも奪われたという忌まわしき記憶以外の何物でもなく、その瞬間生きる望みが絶たれたかに思えたあの惨状を思い出すことは、あれが存在するだけで耐えがたい苦痛になり得るでしょう。奇跡の一本松が思いの外早くサイボーグ化して観光資源となり得たのは、直接あの場所で亡くなった方がいなかったからという見方もできますが、防災庁舎は人の営みそのものですからね・・・。
4年が経ち、亀の歩みとはいえ徐々に復興しつつある中、遺構があることで「忘れてはならぬ」という気持ちと、まだ「忘れられぬ」と言う気持ちがせめぎ合っているのではないでしょうか。もう少し時間が経てば冷静になれるのかもしれませんが、心情的なものはどうしようもありません。取り壊してから「やっぱり残せばよかった」と思っても後の祭です。また言いにくいのですが震災の教訓と言いつつ、何も無くなった町の貴重な観光資源となっているのもまた事実です。南相馬市に行った時にも思いましたが、当事者意識と言うのは本当に当事者にならないと分からないものですし、これは最早外部の人間がどうこう言う問題ではない気がします。

記録に残すか、記憶に残すか。十分に議論したいものです。
コメント
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