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四国遍路1200年

2014年02月19日 | 時事
四国遍路の変化知って 県歴史文化博物館で企画展 愛媛
四国遍路ってそんなに長い歴史があるのですね。

まあ弘法大師と言われる空海は平安時代初期の嵯峨天皇の時代の人ですから、当たり前と言えばそれまでなのですけど。この辺にも美濃三弘法といって、弘法大師や四国霊場に縁のある寺がありますし、日本はつくづく歴史や文化を大切にする国であるなあと感じます。

四国は死国に通じ、山が多く、当時の主要生産品だった米が中々取れないことから、大和朝廷の頃からも中々歴史の表舞台になりにくい地域でした。京が歴史の中心だった頃は、島流しの地としても扱われてきました。遍路の衣装は死白装であり、笠や杖はそのまま卒塔婆となります。近代でも命ある限り遍路し続ける遍土という風習も残っているようです。空海もそんな神聖な場所を修行の地に見立てて回ったのでしょう。そういう意味で、江戸時代には伊勢講、富士講と同じように遍路も一般的に広まった模様です。
今ではマイカー遍路や区切り打ちバスツアーなども盛んに行われ、若干スタンプラリーのような印象を受けてしまっていますが、当然修行を目的とした歩き遍路の人気も高いそうです。

自分は3年前に四国へ行った時に、金毘羅宮の近くの75番札所にのみ参拝したことがありますが、たまたま寄ったココ善通寺は、後で知った情報によると空海その人が生まれ育った場所であり、88箇所中ピンポイントで重要寺を打ち当てたたと喜んでいました。まあ別にTシャツ姿で本堂で頭を下げただけで、納経をしたわけでもないですが、是非いずれはしっかり88箇所全てを歩きで巡礼してみたいものです。

確かにやたら立派な所だったなあ・・・