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(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

順番

2010年10月17日 | 心境
母方のイトコの結婚披露宴に行ってきました。

自分には父方と母方の兄弟にそれぞれ2人ずつ、合計4人のイトコがいます。うちも含めた3家族とも、うまい具合?にほぼ同時期に両性がそろっているわけですが、妹と父方のイトコ(♀)はすでに結婚し子どもも2人いるわけで、今回女子勢の最後の一人が嫁ぐことになったわけです。

あとは男子勢なんだけど・・・順番で言えば自分だなぁ・・・orz
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出産

2010年10月13日 | 心境
チリの33人救出作戦、間もなく開始
予定より早く全員救出される模様。良かったですね。

テレビで、脱出カプセルによる移送を、「出産」と表現していた人がいました。今か今かと待ちわびる姿、地上で喜ぶ人たち、まさにその通りだなあと思いました。
奇しくも今日、予定より早く妹の第二子が生まれ、仕事も放り出して5時に帰り、病院に会いに行ったわけですが、里帰り中に預けられた1人目の子も十分小さいと思っていたのに、さらに小さくて驚きました。

来週退院予定で、しばらく大きな行事もないので早く帰りたいと思います。あれ?全研?よく見えナイナー・・・
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心の支え

2010年08月21日 | 心境
大学のゼミの研究会も、今回で最後となる模様です。

簡単に説明すると、ゼミの教授の主催でゼミ生とOBが集まって昼は勉強会をし、夜はひたすら飲み、ゲームなどでグダグダになりながら翌日帰ると言う集まりです。発足当初は「定年までやる!」と話していた教授も、ここにきて大分偉くなったようで、仕事が大量に回って来るようになり、とても時間が取れないということと、同じような会を引き継ぎそちらの運営が大変ということで、昼の勉強会は今回でたたみたいと言う話でした。まあ夜の部は普通の飲み会としてそのまま続ける気みたいでしたがね。

自分はこの昼の部で毎回講演をしていて、この日も1学期にあった研究授業をネタにプレゼン発表を行いました。夏休みの終わりがけにあるため、資料の準備もそれほど苦しくなく、むしろ毎年の自分の実践や考えていることをまとめるために自ら率先して利用してきました。この研究会が始まってから特別支援学校に異動になったり、全研4回、校外研2回当たったりしてきましたが、心のどこかで「発表のネタができた」と喜んでいる自分がいました。また、最初の頃はOBの方から色々と勉強させてもらいましたし、ここ数年は後輩の発表が多くなったのでむしろ上の立場になり、自分の発言は専らご指導タイムだったのも、市内の学校に若い先生がいない現状を考えると、日頃味わえない貴重な経験でした。おそらくこの会を一番私物化していたのが自分だったと思います(笑)そんなわけで、心の支えが1つなくなるのは寂しいですが、10年ぐらいしたらまた復活するかもとも言っていたので、その日が来るのを夢見て、また実践を積み重ねていきたいと思います。

夜は7時から深夜1時までぶっ通し飲みました。学生気分で飲めるのも貴重ですね。来年からも夜は絶対参加しよう。個人的に集まって昼の部をやったりして・・・
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ウンチの話

2010年07月01日 | 心境
学校でうんこは恥ずかしくない! 「チーム」結成し悩み解決
あまりこういうネタを持ち出すべきではないかもしれませんが、特別支援学校にいるとき、一番困ったのが排便指導でした。

どうしたら便器でできるか。おしめを取った経験もない自分には永遠の課題のように思えました。本人によって厳格に定められた「ウンチはオムツにするもの」とルールを、どうやったら打破できるのか。そもそもウンチと粘土の区別のない子に何を教えられるのか。そこまで行かないにしても、「排便の後に紙で拭くこと」「おしりを出さずに排尿すること」「狙いを定めること」など、一般的にあまり表に出ないことですが、特別支援教育において排泄というのは食事・着替えなどに並ぶ重要な日常生活の指導なのだということがつくづく分かりました。

2年間受け持った子は、2年目の春休みに親から「初めて家のトイレで成功しました!」と連絡があり、それから給食の後は毎回トイレに行っていましたが、結局ゲリ気味の時に一回できただけで、結果的には課題として残ってしまいました。しかし、その1回の時は、まさに月に初めて降り立った一歩と同等の価値のように喜びました。あれからもう3年が経っているので、もしかしたらもうできるようになっているのかもしれませんけど、その「初めの一歩」に立ち会えた瞬間は今でも忘れられません。

幼稚園ぐらいの頃、今は亡き祖父に、ウンチが出ると毎回見てもらっていた記憶があります。「いいウンチ」だと言われるのがとても嬉しかったので、自分でもウンチの形状に注目するようになりました。今から思えば、「ウンチは健康のバロメーター」だということを粛々と実践していたわけですな。
「おうちの人はみんな、あなたがウンチをして喜んできたのだよ」と、小学校に戻った今では子ども達に必ず伝えるようにします。高学年だと眉をしかめたりもするのですが、やはり大切なことだと思います。大人が喜ぶことで、子どもはそのものに価値を見出し、その通り実践しようと思うものです。トイレ指導に際しては、臭いものにフタではなく、教育現場でももっとオープンにしていくべきでしょうね。

ですが、トイレ自体の入り口の扉をなくすのはやりすぎだと思いますが(笑)
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脳死

2010年06月30日 | 心境
家族が脳死あなたなら? 提供決断に必要なもの
回復の可能性があるのが植物状態。ないのが脳死。その程度の知識は昔からありました。

しかし、いざ身近な人が「脳死」と宣告された場合、やはり一番に考えるのが回復の可能性でしょう。ないと言われても、奇跡を信じたい気持ちは痛いほど分かります。特にそれが幼い子だったとしたら尚更でしょう。
第一、脳死とはいえ、まだ(人工呼吸器による)呼吸があり、自己治癒力があり、脊椎反射があるのです。事故で受けた傷が治っていき、握った手を跳ね除けるという現象、いや事実を見て、親が「この子はまだ生きている」と判断するのを、我々は間違いだと言えるでしょうか。議論はあるにせよ、個人的には現時点で子どもからの臓器提供が認められていないのは救いだと思っています。

数月前にこの世を去った尊い命を想う度に、教師とは第二の親であるのだとつくづく感じます。
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長いトンネル

2010年06月12日 | 心境
やっと、長いトンネルを抜けた気分です。

今週は全校研究会に加え自分の研究授業もあり、超ハードな一週間でした。今年は研究主任という立場のため、講師の先生の日程調整やら違う学年部の話し合いにも参加して研究内容の調整やら、市教委への申請文書やら、裏方で回る仕事を大量に抱えることになり、タダでさえ忙しいわけですが、それに上乗せするように研究授業が降りかかってきたため、やる以上は指導案も作り、教科書を目を皿にして研究し、毎晩授業のアイデアを練るために悪戦苦闘の日々が続きました。4月も時間外100時間超えでしたが、6月は2週間弱で既に50時間を超えています。当然土日出勤はカウントされないわけで・・・本当、春に「人は生きてさえいれば幸せなのだ」だという悟りに至っていなければ壊れていましたね。まあ、それでも昨日は脱力感で仕事も手につかず、適当に切り上げて帰りましたけど、それでも8時って何・・・?

しかし、授業が終わっても既に次の全研の準備も始まっており、講師との折衝や事前研で神経をすり減らし、さらに情報のICT機器稼働率調査なんてのも相まって、全く休まる気配がありません。せめて土日ぐらいはゆっく知りたいのですが、何故か休日出勤帰りの自分がいます。

成績付けは来週末開始みたいなんだけど・・・その成績のソフトを全学級分今年度用に直すのも自分なのですよね・・・当分全力疾走かな。
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重い

2010年04月07日 | 心境
ここ数日、何をしても気が紛れません。

4月から4日しか仕事をしていないのに、早くもここまでの残業時間は25時間を超えました。先週は退校時刻が25時を回ったりもしました。土日はひたすら寝て、月曜も少し早く帰ってみたのですが、今日は日が変わるまで仕事でした。

純粋に仕事が忙しいというのもありますが、実はそれとは別の所に本当の訳がありまして、とにかく何かをしないと押しつぶされそうな心境なのです。自分に非がなくとも責めずにいられないとか、脈絡なく何かできることがあったのではないかと考えを巡らせたりとか、そんな不安定な感情が続いています。基本的に自分は打算的というか、感情より理論を優先させる傾向にあるのですが、過去に前例のない出来事が気持ちの整理を全くつけさせてくれない状況です。

しかし、今日から新学期。切り替えていくしかないですね。気が重い・・・これが言葉通りの「命の重さ」なのかも。
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過去最悪の

2010年03月31日 | 心境
記録に残る残業が120時間を超えました。

それ以前に精神にかかる負荷が限界に達しようとしています。
まあ、今が人生最悪の瞬間だと思ってがんばりますが・・・
ため息と涙と鼻水が止まりません。後者は花粉症です。前者と中者はご想像にお任せすると言うことで。ちなみに異動はないようです。
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凹む

2009年01月21日 | 心境
自分的には、この日が人生最悪の日であったと思いたいところです。

詳細を載せる気はありませんが、ココから這い上がった時点で気持ちに余裕があれば改めて・・・
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疲れた

2009年01月17日 | 心境
4日しかなかったのに、2週間ぐらい働いたような気がした1週間でした。

長期休み明けは自分もサイクルが戻っていないし、子どもも退行しているしで大変です。今年は特に職種が変わっているので、さらに気疲れが大きい気がします。あと50日もないわけですが、高学年は行事が凝縮されていて、嵐のような日々が今後も続くと思うと、乗り切れるかどうかちょっと不安ですね。

といいつつキン肉マンを読み返す自分・・・
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手紙

2008年10月12日 | 心境
今日はNHK全国学校音楽コンクールを見ていました。いやあ、やっぱ合唱は良いですね。

自分の中学の頃は、荒れていましたが、唯一学年の誇りといえるものが合唱でした。毎月か隔月に1曲ぐらいずつ練習し、学期末にクラス対抗で発表会を行うという感じでした。自分は音楽が好きだったので、一生懸命歌っていたことを覚えています。今思えば、学級集団を育てる一実践だったわけですな。と言うことは、自分は教師の思うツボだったわけか・・・

ほぼ同時期に教師になりたいと志したので、合唱は今後中学に行ったら是非挑戦してみたい取り組みの1つです。そのため、このコンクールはコレまでもたまに見ていたわけですが、今回の中学生の部の主題歌「手紙-拝啓十五の君へ-」は、歌詞も曲も特にすばらしく、NHKもやたら力を入れていた気がしたので、課題曲が決まった頃からチェックし、今日も最初から最後まで、14回繰り返されたこの曲をずっと聞き続けていました。
15歳の頃というのは、本当に色々なことを想うものです。自分自身にも色々ありました。時には明日が訪れることに恐怖する日もありました。しかし、あれから15年近くが
経った今、全ての出来事の上に自分が立っている、という実感をもたずにはいられません。歌詞を借りるなら、「人生の全てに意味がある」と言った所でしょうね。ちょっと大げさかな?

自分も、さらに15年先に向けて頑張っていこうと思いました。
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親不孝

2008年06月19日 | 心境
昨日は両親の真珠婚でした。

少し前に、妹と相談して当日どこかへ食べに行こうかという話が出ていたのですが、予定より早く赤ちゃんが生まれたため、すっかりトンでしまいました。
この日は研修会があり午前授業でしたが、ケンカ1、スネ男1、捻挫1、プールカード忘れの電話対応1と濃密な午前中を過ごし、研修会の後戻って仕事をしていると電話が鳴りっ放しで全然仕事になりません。ようやく7時頃にケンカの報告をすると8時半に「相手から謝罪がないのはおかしい」などと言われ、30分対応。モンスターペアレントなんてお互いの意思疎通が図れない人達の言い訳だとばかり思っていましたが・・・明日もう一度事情を聞くと約束してとりあえず納得してもらい、それから日記とプリントに朱書きを入れ、10時半頃帰宅。親にグチリつつ、2時半ぐらいまで眠れませんでした。

その時にやっと気づいたわけですが、時すでに遅し。日を改めて計画し直すか・・・
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命日

2008年06月08日 | 心境
今日は祖父の十七回忌でした。

亡くなった日のことは、今でも覚えています。球技大会が終わり、学年委員長をやっていた僕はその日初めて原稿を用意せずにアドリブで感想を述べました。当然気の利いたセリフの1つも浮かばず、そのことで担任に叱られ、しおれていた矢先の出来事でした。帰りの会前に生徒指導の先生に呼び出され、思ったより大事になったなぁとのん気に考えていました。・・・

母の車で病院まで行き、病室に着いた時にはすでに息を引き取っていました。父親はちゃんと死に目に会えたのだろうかと、自分のことよりそんな心配をしていたのを覚えています。癌で余命半年と言われ、東京にいた父は就職活動を蹴って岐阜へ戻り、その後結婚、僕と妹が生まれたわけです。自分の知っている祖父は、手術の大きな傷はあったものの小学校中学年ぐらいまでは健康そのものでしたし、医者の見込みに反し10数年も天寿を全うしたわけですから、大往生だったと言えるでしょう。

1週間ごとに法事があり、すっかりお経も覚えてしまいました。あの時は1週間が本当に長く感じましたが、今では「もう16年も経ったのか」という心境です。父は退職し、妹は今月中に第1子を出産する運びです。時は流れ、命は巡るものですね。

今日が忘れ得ぬ日となってしまった方々のご冥福を祈りつつ・・・
白昼の秋葉原で25歳男が凶行、18人に切りつけ7人死亡
犠牲者追悼、誓い新たに=池田小児童殺傷から7年-大阪
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同窓会

2008年04月03日 | 心境
小学校の同窓会の案内が来ていました。

自分の代は同窓会の巡りが悪いらしく、大学の科や少人数の友人で囲む会を除くと、今までで1回しか開かれませんでした。それも、小学校の体育館で成人式を行った後に集まった時のみです。普通ならココで連絡先を交換し、年1回ないしは数年毎に集まるよう段取りが組まれるものなのかもしれませんが、一人酔いつぶれたヤツを家まで送るため1次会で帰って以来、9年間一切誘いがありませんでした。
ひょっとしたら、そんなドサグサの間に仲間外れに・・・なんて思っていましたが、今回通知が来たことで、「この会は約10年ごとに行われるものなのだ」と言う認識をもつことができ、少しホッとした次第です(笑)

今回は、お世話になった恩師が昨年度をもって退職されたことを受けての会です。教員になって丸6年が経ち、小学校の頃の先生の約3分の1はもう現場にいないのではと思うほど、あっという間に月日が巡っていました。風の噂で殉職された先生もいらっしゃったと聞きます。教師と言うのは、目の前の子ども達しか教えることはできないけど、こうして意志を継いで教員になったり、自分の果たせなかった数々の夢を代わりに叶えてくれる子が出てくれることが、一番の醍醐味だと思います。成果が出るのは明日か、10年後か、100年後か・・・すぐに結果が出ないこそ、やりがいのある仕事なのです。

しかし・・・みんな結婚してたらどうしよう(爆
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あと2週間

2008年03月17日 | 心境
この学校に来るのも後2週間です。そろそろ教室の掲示物を外し、職員室の荷物整理も始めました。

この3年間で様々な研修や実践を積み、市の頂点に立つ論文を世に送り出すことまで叶い、特別支援教育の極意のようなものを得る域にまで達しました。それでも3年前の4月1日に感じた「本意ではない」という気持ちのまま、やっと3年が過ぎたといった感じです。

最近よく特別支援教育に関る団体からお誘いを受けていますけど、全て断りました。自分のスタートは3校目からだという決意を新たにし、それでもこの学校で得た経験だけは大切にしていこうと思っています。

あと、呼び出されたくないから引き継ぎをしっかりしないとね(笑)
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