ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

許六の十団子

2017年08月26日 | 俳句

 今日8月26日は、「許六忌」。勿論陰暦ですが…。蕉門十哲の一人、森川許六(きょりく)の忌日です。許六は近江彦根藩士の家に1656年に生まれ、漢詩や絵画など種々の芸事や武芸にも才を発揮し、六芸に通じたので芭蕉から「許六」の号を授けられたという。俳諧は初め貞門・談林俳諧を学び、元禄5年(1692)出府の折、芭蕉に入門した。詩画に優れ、芭蕉の絵の師ともなった。技巧的、絵画的な色彩感覚の句を得意とし、芭蕉晩年の教えを俳文集『本朝文選』や俳論『歴代滑稽伝』などで伝え、1715年60歳で没。

   十団子を軒に吊して許六の忌   栗原あい子

 ところで、なぜ急に許六のことをここに書いたかというと、先日〈十団子も小粒になりぬ秋の風〉という許六の句が、どこかの新聞(読売新聞ではない)のコラム蘭に取り上げられたらしく、この句についての解説を頼まれましたので、一応私の分る範囲で少し書いてみようと思ったのです。

 まずこの句には、「宇津の山を過ぐ」という前書があります。「宇津の山」とは、駿河国(今の静岡県の中央部)の岡部と丸子の宿の間にある宇津谷峠で、『伊勢物語』の東下りで知られる歌枕です。「十団子」はトオダゴまたはトオダンゴと読んで、麓の茶屋で売っていた団子ですが、室町時代からの名物で、初めは一杓子で10個ずつ掬って客に供する食べ物であったのが、近世に入ると、「大きさ赤小豆(あづき)ばかりにして、麻の緒」でつないだ数珠のようなものになり、食べ物ではなくなったそうです。調べてみると、今でもこの「十団子」は宇津谷名物(魔除けとして)として売られていて軒先に吊されているとか、また、和菓子としても箱入りの10個の団子があるそうですよ。

 句は、元禄5年7月江戸下りの折の吟で、同8月9日芭蕉に初見の時、5句を見せたところ、「うつの山の句大きに出来たり」と賞され、また、「この句しほりあり」とも評されたということが『去来抄』に記載されています。

 芭蕉のいう「しほり」とは、蕉風俳諧の根本理念の一つで、人間や自然を哀憐をもって眺める心から流露したものがおのずから句の姿に現れたものをいいます。ではこの句のどこが「しほり」かというと、「秋の風」と「十団子」という雅俗の取り合わせと、「小粒になりぬ」という凡庸な感想からくるしみじみとした感慨が、季節の移り変りと同時に世の移り変りをもしみじみと感じさせて、蕭条とした趣になることなんです。なんか難しげなことを書いてしまいましたが、要するに、秋風に吹かれてこの宇津谷峠まできたが、ここの名物十団子も何だか小さくなったように感じるなあ~と。

 そう言えば、世の中がだんだん不景気になって物価が上がりますよね…そんなある日店でスライスハムを買って帰り、それを食べるとき、エッこんなに薄かったかなあ~と、または、5枚入っていたものがいつの間にか4枚になっていたりと…、そんな経験、皆さんしたことありませんか?そういう時、秋風がいっそう身に沁みるでしょう?

 もう一つ、ついでにお教えしましょうか。今大河ドラマの舞台となっている井伊家菩提寺の「龍潭寺」には許六の描いたと言われる障壁画が多数あるとか…もし観光される時は心に留めておかれるといいかも。

 今日の夕方の空です。三日月が…そして、烏が次々とねぐらへ…秋風が…見えますか?(下方の白い点が三日月、上方の黒い点が烏)

 

 

 

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