ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

西瓜

2017年08月09日 | 俳句

 今日も朝から蒸し暑かったけど、結構風があってまあまあ凌ぎやすかったです。昼からはかなり雨が降ってきて、やっと地面が潤いホッとしました。

 私、今取りかかっていることがあって、他のことがすべて二の次になってしまうんですよ。だからブログも然り…

 と言っても〝俳句教室〟と〝添削指導〟は後回しには出来ませんから、殆ど自転車操業! どうにかこうにかクリアーしています。昨日の教室の兼題は、「西瓜」でした。以前テンプレートを替えたときに書きましたが、これは秋の季語です。

 一時種なし西瓜や四角い西瓜などが出回ったことがありましたが、今は殆ど見かけませんね。やはり西瓜と云えば、皮はあの縞々ので、スパッと割ったときは真っ赤な果肉に黒い種がなくっちゃ~ね、おいしそうじゃあないでしょう!でも、小玉西瓜は皮が薄いし、場所も取らない、値段も安いので人気がありますね。切るときの醍醐味はないけれど…

   刃に触れて罅(ひび)走りたる西瓜かな   長谷川櫂

 作者の長谷川櫂氏については、俳句をされる方はよくご存じでしょう。テレビや雑誌などによく出ておられますから。私は今、読売新聞を取っていますが、その2面の左隅にある詩歌コラム「四季」を書いていらっしゃるのが長谷川櫂氏です。中学時代から俳句を始められたようで、スゴイな~としか云いようがありません。1993年、39歳で俳句結社「古志」を創刊・主宰、2009年には当時31歳の大谷弘至氏にその主宰の座を譲り、現在は俳句だけでなくいろいろと多方面での文芸活動をされておられるようですが…私は詳しいことは知りません。上掲の句は、西瓜を割る瞬間を詠んだもの。包丁の刃が触れるやいなや…パリッと罅が走る…この瞬間はあの西瓜を切ったことがある人には無条件で頷けるでしょう。やはり新鮮な西瓜ほどみずみずしいので、弾けるように割れますよね。私もどうか罅が入りませんように…と思っても、アッという間です。この句「刃を入れて」とせず、「刃に触れて」としたところがその一瞬を想像させるんですね。

 教室では、〈包丁を吸い込み西瓜真つ二つ〉が最高点句でした。同じ西瓜を割っている場面ですが、こちらの句は、先程とは反対で、一発では割れずに、それで包丁を「吸い込み」といったところがポイント。とても面白いと思ったのですが、ただこのままだと私はちょっと気になりました。どこがかというと、「吸い込む」のは西瓜ということになります。自分からということはないでしょうからね。でも、確かに先程のようなすぐ割れる西瓜でなく、包丁が食い込んでなかなか取れずに困ったことが、私にもありました。その時は西瓜に包丁が吸い付いたようになっていて…だから、私だったら〈包丁の吸ひ付く西瓜…〉または〈包丁に西瓜吸ひ付き…〉とするかも。しかし、この日作者は欠席でしたので、詳しい状況が聞けませんでした。

 さあ~て、この西瓜はどちらで割れるでしょうか?

 

   

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今朝の秋(立秋)

2017年08月07日 | 俳句

 今日は〝立秋〟で、二十四節気の一つ。暦の上ではこの日から秋に入りますが、実際にはまだまだ暑さが厳しい頃。しかし、朝夕などには、秋の気配がどことなく感じられるようになります。その様子を平安時代の歌人・藤原敏行が、〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉(『古今集』)と詠んで以後、立秋になるとこの歌がすぐに引き合いに出されるようになりました。なお、もしこの日以降の暑さを俳句に詠みたいときは、「残暑」として用いましょう。

   みんみん蟬立秋吟じいでにけり    水原秋櫻子

 この句について、「馬酔木」の德田千鶴子主宰が『秋櫻子俳句365日』に、次のように書いておられます。「みんみん蟬は、体も声もたくましく、油蟬のジイジイ暑苦しい声とも違って、爽やかにミーンミーンと鳴く。別名、深山蟬とも言われる由縁である。

 八王子のように樹木の多い地では、蟬時雨を通り越す大合唱で、暑さも一段と増してしまう。立秋の朝、心なしか風も涼し気になったと思っていると、早速、桐の木で悠々と吟じるような、みんみんの鳴声が始まった。

 蟬とり名人秋櫻子が、捕えた蟬に器用に糸を結んで、渡してくれた。遊び飽いて枝にゆわえておいたその油蟬が、目の前で尾長鳥に啄まれた時のショック。忘れられない。」と。

 ところで、台風5号はここ山口を避けて四国沖を通り、今関西から関東へ向けて北上中…そちら方面の方はお気をつけ下さいね。今日の予定だった子供俳句教室は早々と延期しましたので、こんなに晴れた空を見てなんとも複雑な気持ちです。でも、風はまあまあ吹いたらしくて、朝見るとあちらこちらに柿の実や枝が折れて散らばっていました。もうこんなに大きくなっていたのに…勿体な~い!

   

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〝天狗四手〟(てんぐしで)

2017年08月06日 | 俳句

 昨日は、山口は37度を超していたとか…私は、北広島町の〝天狗四手〟の吟行会でした。暑いのは一緒かも…でも出掛けると神経が他の方に働いて、それほど〝暑さ〟が気にならなくなるようです。

 10時広島の新幹線口集合。駅に降りてからびっくりしました。いつもと様子が違うんです…エエッ!どうなってるの? と思いながら出ると、仲間が待っていてくれましたので、迷わずにバスまで行くことができましたが。そう言えば、この新幹線側の出口は久し振りなんです。以前は何度も来ていましたので、迷うことはなかったのです…最近でも年に2,3度は広島に来るのですが、いつも在来線側の正面出入口でしたので、このように変っていたのを知らなかったのです。

 予定通り10時に出発。一路高速道(広島高速~中国自動車道~浜田道)を40分ほど走って、大朝ICで下り、そこから15分ぐらい走ると〝天狗の里〟です。そこの熊城山の東斜面、標高約650mぐらいに〝天狗四手〟の群落がありますので、〝天狗の森〟と呼ばれています。〝天狗の水〟という霊水(?)か名水(?)もありましたので、飲んでみましたが冷たくて美味しかったですよ。「木に登ると天狗に投げられる」とか「木を傷つければ天狗のたたりがある」など、天狗にまつわる逸話が多く残っていて、また、曲がった枝は天狗が寝泊まりするために作ったものとも言われているので、この木などはそのように見えませんか、どうですか?

 

 12時過ぎ、そこから5分ほどのところにある、〝田原温泉5000年風呂〟で、食事をしてその後句会です。

 この〝田原温泉5000年風呂〟というのは、かつての田原小学校が閉校になり、其の跡地の再利用ということで、1993年に開設されたものです。だから、校舎がそのまま利用されていて、私たちが食事したり句会をした宴会場はもとは講堂だったところでした。時間的に余裕がなかったので、ゆっくり見学もできなかったのですが、まあ教室や職員室もそのままで…という感じでしたね。また、なぜ〝5000年風呂〟というのかと聞くと、5000年の歴史があるというのではなく、5000年先までも長寿と健康を願うという意味で、名付けられたんだそうですよ。

 今日の参加者は27名。暑い時ですのでちょと少なめでした。時間の関係上2句投句の54句を互選ということで行いました。食べながら…ということなので、ホントに時間もなく、それでも良い句がたくさん出ていましたよ。句材が限られていて少ないぶん集中して作れたのでそうなるのかも知れません。句材が多いと逆に目移りして、また時間がたっぷりあるといろいろな句が出来て、その結果あれこれ迷った末の選句を間違って仕舞うのです。時間も句材も少なければ却って迷わずに、最初の印象だけで詠んでいますので、未完成ながらも新鮮な句が多かったですね。まだ、どの句も未発表で紹介はできませんが…ゴメンナサイ!

 これは先月下見に行かれた時の主宰の発表句です。また、発表されたら句を紹介しましょう。

   河鹿鳴く旧校舎いま出湯の里(かじかなくきゅうこうしゃいまでゆのさと)  工藤義夫 

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精霊螇蚸(しょうりょうばった)

2017年08月04日 | 俳句

 今日も暑かったのですが、結構風があって、さらっとした感じの暑さでした。これもきっと台風5号の影響だと思うんですが…と、そう思っていたところに、早速電話です。今度の7日(月)に予定されていた〝夏休み宿題大作戦〟の「俳句をつくっちゃおう」講座が、台風のため中止になったので、延期して欲しいとのこと。これは、3年前から頼まれて始めた小学生への取組みですが、やっぱり大人とは違って、子供たちの俳句をみるのは愉しいです。まあ、また済んだときにでもお話ししましょう。

 明日は、前に書きました北広島町の「天狗四手」の吟行会です。一応天気予報は晴れのち曇でしたので、まあ大丈夫かな…と思っていますが。

 今回初めて行くところですので、ちょっとワクワク…でも、この暑さではどうなることやら。

 ところで、この「天狗四手」とは、イヌシデ(落葉高木)の一種で、突然変異により幹が曲がりくねり、枝がしなだれた特徴的な形をしている。普通は、このような突然変異で生まれた生物は一代で終わるのが殆どだが、このように代々受け継がれているものは、世界的にも珍しく貴重なものだそうです。だから平成12年には国の天然記念物に指定されています。大きいものは10m以上あり、樹齢も140年にもなるものがあると。それが、ここだけに100本以上群生しているのです。明日写真を撮ってくるつもりですが…上手く撮れるかどうか心配です。 

 上の写真は〝螇蚸〟(ばった)、秋の季語です。一般的にバッタは直翅(ちょくし)目バッタ科およびその近縁の科の昆虫の総称ですので、多くの種類があって、言い方もいろいろです。このバッタは恐らく〝ショウリョウバッタ〟でしょう。お盆が近くなりますのであちらこちらに飛び回り、キチキチと翅を鳴らすので、〝きちきち〟といっても季語になっていますよ。

   しづかなる力満ちゆき螇蚸とぶ   加藤楸邨

 

 

 

 

 

 

 

 

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猩々草(しょうじょうそう)

2017年08月02日 | 俳句

 昨日は何ともやり切れない暑さでした。体にベトッとまとわりついて離れない暑さ、これこそが前に書いた季語、〝溽暑〟(じょくしょ)そのものなんです。やはりニュースでも最高気温が35度を上回っていたと報道していましたね。

 今日は少しいいみたいですが…

 昨夜のこと、弟からの電話で電話料の話になり、Wi-Fiにつないだら安くなっていいよと言われ、よく分らなかったので旦那にその操作を頼みました。しばらくしてどうにか接続できたから使えるよと…じゃあPCへ撮った写真を送ろうとしたところ、今度はインターネットが繋がりませんでした。エエッ!困るう~何もできないの?…というわけで、結局ブログもお休みでした。ゴメンナサイ!

 ところで、いつもお盆供養の読経をあげに広島からご住職が来られるんですが、昨日がその日でした。それで朝早くから母の家に。昼からは句会でしたので、少しバタバタしましたが、無事終わりました。そのときの話です。前のご住職(今の住職の父)は昨年急逝されて、私たちもびっくりしたのですが、その時の様子を聞くと、早朝起きて一人で新聞を読んでいるとき心筋梗塞(脳梗塞?)でソファーに掛けたまま亡くなっていたということでした。「やはり遺されたものからすると残念ですね。せめて少しでも看取りをする時間があったら…」と。確かに遺族からするとお別れをする心の準備ができないまま見送るというのは心残りでしょうね。私の父は1ヶ月、母は3日でしたが、それなりにお別れができましたもの。かといって、長く患って治る見込みもないまま、看病で家族が疲れ果てるというのも辛いものがあります。要するにほどほどがいいですよね…と話していたら、95歳の母が「そんなに都合よく死なれんよね~」と。「いやいや、お母さんは元気だからまだまだ大丈夫ですよ」と慌ててご住職も…(笑)

 何事も〝中庸〟が一番!分っていてもなかなか難しいことです。『論語』に「中庸ノ徳タルヤ、ソレ至レルカナ」とあるように、儒教では最高の徳目とされるものなんですから。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とも。これも『論語』からです。

 この花は「猩々草」(しょうじょうそう)といい、北アメリカ原産、トウダイグサ科ユーフォルビア属の一年草。クリスマスシーズンのポインセチアも同じ仲間ですので、この花は別名〝サマーポインセチア〟といわれています。以前貰ってきて植えたのですが、夏でしたので何度植えてもとうとう根付かずに諦めていたんですよ。するとある日、アラッ!といつの間にか生えていてびっくりしました。一度根付くとそのこぼれ種で勝手に生えてきて、とても繁殖力の強い植物です。

 〝猩々〟というのは、中国の想像上の怪獣。体は狗(いぬ)や猿の如く、声は小児の如く、毛は長く朱紅色で、面貌人に類し、よく人語を解し、酒を好むと、広辞苑にありました。その朱紅色からその名が付けられたらしい。ちなみにポインセチアは冬の季語で、〝猩々木〟(しょうじょうぼく)といわれています。

 

 

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