夕べブログ書こうと思いながらも、締切の俳句があったのでそれを考えていると…つい寝てしまいました。
最近は夜になると頭が働かなくなって、すぐ睡眠モードになってしまいます。それで朝早く目が覚めるのですが、やっぱり朝は頭の回転が違いますね。
先日ブログで、「ふるさと」の歌詞を〝うさぎ美味し~〟と、意味が分らずに歌っていたという話を紹介しましたが、それを読んだ先輩からメールが来ました。その内容を主人に話すと…エエッ、そういう意味やったんか~と、ビックリ!その時の二人の会話…
「『埴生の宿』の歌知ってる?」(私はうろ覚えで…歌詞が出てこない)「知ってるよ。」「じゃあ歌って…」(歌い出す)「はにゅう~のやど~もわが~や~ど、」「その続きは?」「確か…たまのよそ~いうら~やまじ~、じゃったかな?」「それ意味分かる?」「う~ん、〝たまのよそい〟は分からんじゃったが、〝裏山路〟は分かったよ」「わあ!あなたも…あれは〝羨まない〟という意味なんよ!」と。もうお分かりですね。ホントにこの歳にして知る!ですよ。ビックリポンでしょう。
他にも、「仰げば尊し」の、「思えばいと疾し」を「思えば愛おし」とか、「赤とんぼ」の「負われてみたのはいつの日か」を「追われて見たのは…」という意味で歌っていましたと書いてありました。
みなさんも思い当たることがありませんか?私はあの国歌「…ちよに~やちよにさざれ~いしの~」の、「さざれ石」を俳句を始めてやっと知ったんですから。私たちの子供の頃って素直だったと思いません?意味なんか分らなくっても教えられた通りに歌って、何も疑問を感じなかったような…。いい時代だったのでしょうね。
他の方のブログを拝見していて、これは成る程‼と思ったことがありますので、紹介させていただきます。お許しを!
飯田龍太がこんなことを書いていました…。
「作品の推敲とは、事実を追い求めることではなく、事実を選択して作品の真実に近づくことです」と。
芭蕉の句を例に
(初案) 象潟の雨や西施が合歓(ねむ)の花
(推敲句) 象潟や雨に西施がねぶの花
初案の方が表現はなめらかですが、比喩に比重がかかりすぎて内容を弱めています。これに対し、成案の「象潟や」の上句の切れは、大景を素手でとらえ、そこに合歓の花の華麗を鮮やかに現じた力強さがあります。芭蕉推敲の手法を証(あかし)する句のひとつといえます。…」
一口に推敲と言いますが、一文字や切れの場所によってもがらりと変る俳句、もう出来上がったと思わずにあれこれ深く考えてみることが肝心ですね。名人だってそうなんですから…。
写真は「フタマタイチゲ」です。先日のゴテチャのお宅で、「これ一輪草?」「いや、二輪草かも…」と、いろいろ話が出ましたが、奥さんから教えていただきました。
「フタマタイチゲ」は北国の湿った草原に咲く多年草。一見、掌のように深く裂けた葉と名前の通り葉腋から花茎が二股になって出る点が大きな特徴。季語としては「一輪草」の中に「一花草(いちげそう)」として、晩春にありますが、私の知っている「白山一花」は、高山植物なので晩夏。要するに一輪草や二輪草の仲間だと言うこと。
ここは北国でも高山でもないのに、よく手入れされるからでしょう、見事に咲いていました。奥さんへ拍手!