ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日の兼題は〝短夜〟

2018年06月25日 | 俳句

 今日はどこも暑くて、関東の方では〝猛暑日〟と、35度を越すところもあったとか…

 ここ山口県も新聞では最高気温33度とありますが、宇部はそれほどではなく意外と涼しい。今日は風も吹いて洗濯物が良く乾きました。

 昨夜はもちろんワールドカップのセネガル戦です。見なくっちゃ!それも試合開始が夜中の0時からでしたから、終ったのは2時すぎ…。今日が句会ですからその準備も、だからブログ書くような余裕は全くありませんでした。

 二戦目のサッカーはハラハラドキドキの連続、〝あ~あー〟から〝やった~〟の繰り返しでした。でも2-2の引き分けです。日本は負けていませんよ。取られたら取り返すが出来ていたんですから。時間がもう少しあればどうなっていたか分かりませんもの。今度は28日のポーランド戦次第で決勝トーナメント進出が決まります。これは見逃せません。

 ところで、今日の兼題は〝短夜〟。もちろん夏の季語です。物理的に言うなら、夏至をさかいに夜が長くなっていくのですが、その短さを惜しむ心持ちに重きが置かれていて、ことに昔は後朝(きぬぎぬ)の歌として『万葉集』の時代から詠まれてきたものです。

  短夜や枕にちかき銀屏風    与謝蕪村

 これはやはり「後朝」を詠んだものでしょうか。江戸時代ですから当然一夜を共にするような状況というものはあったでしょう。とすれば「銀屏風」にも納得がいきますね。こんな時は余計夜が短く感じられるでしょうし、それはまた枕元にある慣れない銀屏風のせいかも…。

  余命いくばくかある夜短し   正岡子規

 明治三十年六月十六日、夏目漱石に宛てた書簡の末尾に、次のようにあったそうです。

 「病床殆ど手紙を認めたることなし。今朝無聊軽快に任せ、くり事申上候。けだし病床にありては親なと近くして心弱きことも申されねば、かへつて千里外の貴兄に向って思ふ事もらし候。乱筆のほど衰弱の度を御察被下たく候。巳上。

    明治三十年六月十六日

 漱石 盟台

   余命いくはくかある夜短し

   障子あけて病間あり薔薇を見る

    病中数句あり、平凡不足看一、二附記、叱正。」と。

 子規は明治35年に亡くなりましたので、いずれ助からない命だと言うことは自覚していても、このときはまだ自分の余命を確信的に悟っていたわけではないでしょう。ただ余りにも病状が悪化して耐えがたい時つい弱音を吐いたのかも。ある意味身近な人には言えないことでも遠くにいる心やすい漱石には本音が言えたのかも知れませんね。

 写真は最近のテン。もう歳なのか、怪我をしてから外に出しませんので、家でゴロゴロして寝てばかりです。でもこれ寝たふりなんですよ。憎たらしいでしょう?

 

 

 

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