昨日も句会でした。夜久し振りに友人と電話で話していると、だんだん昔の初心の頃の話になって尽きることがなく、気がつくと、アラ、もう11時過ぎよ…、というわけでブログを書く余裕がなく寝てしまいました。ゴメンナサイ!句会のことは後日にでも。
今日は〝父の日〟。もう主人にも私にもとっくの昔に父はいません。
生きていた頃何をプレゼントしたのかなあ…余り記憶がない!きっとシャツとか甚兵衛とか、何か着るものを上げていたような。でも自分が貰う歳になって、何がうれしかった?…と聞かれると、何だろう。あまり思い出せない!
貰ったときはみなそこそこ嬉しかったには違いないが、一生消えないような…すぐに思い出すようなものはありません。
母にはそれがありました。私が大学に入ってすぐの時、なけなしのお金で買って送った〝半衿〟…
母はいつも着物でしたから、私が買えたのはそれぐらいしかなかったのでしょう。高校まではお小遣いなどという決まったお金は貰っていませんでしたので、母に何かプレゼントするという機会はありませんでしたし…。
大学に入って初めて…でも余分なお金は貰っていませんでしたし、バイトも奨学金もまだ後のことで…。どうやって工面したのかしら?でも、母はその半衿を使っても、洗濯していつもアイロンをかけ大事に仕舞っていました。何かの時私に〝これあんたが大学の時送ってくれたもの…〟と、見せてくれたので、〝わあ、もう黄色くなってるじゃん!捨てんさいよ。また買ってあげるから…〟〝いいや、これでいい、捨てられんよ!〟と。
そういえば、去年の形見分けの時〝これ、ちわきさんが使うといいわ〟と言って、義姉が呉れた肩掛け…。〝わあ~これ私が大学…確か3、4年の時、編んで上げたものよ。まだきれいやね~〟〝そうよ、いつも寒い時はおばあちゃんこれ離さなかったから…〟
人生で我が子に初めて貰ったプレゼント…母のその嬉しかった思いが伝わってきます。兄たちはやはり男だからそういうことには気がつかなかっただろうし、また今のような時代でもなかったから。
それで、父は…というと全く記憶がないんです。私の父はサラリーマンではありませんでしたので、全てお金は自分で管理していました。母も私たちも父にお金を出して貰わない限りどうにも出来ませんでしたから、母は時たま内職を、私たちはバイトとかで自由になるお金を少し得ていました。そういうわけで父に頼ることはあっても、してあげるという意識がなかったのかも知れません。歳を取ってからはどこか温泉などへ連れて行ったり、食事に行ったり、またプレゼントもしたり…
今思えば、父は亭主関白でしたからその分寂しい思いをしたのかも知れません。この歳になってみると、父ととことん思いをぶっちゃけて話がしたかったなあ~と思います。子に親の心を伝えるのって難しいですよね。つい怒ったりして。反対に子の心を親に分かって貰うのも…。却って赤の他人の方が話しやすいことってたくさんあるでしょう?
私の句には父や母を詠んだのものが多いのですが、今回の句集『甘雨』にも…
硯洗ふ父の胆気を指先に
気短の父へ走り茶供へけり
七癖の六つまで父似豆の飯
因みに、性格から体型まで私が一番父似と言われていました。また、第一句集の『風聲』にも…
げんこつといふ菓子父の日なりけり
今父が生きていたらきっとこの句集を喜んでくれたでしょう。だからこれで許してね、お父さん! アリガトウ!(今見たら去年の父の日のブログタイトル…「げんこつといふ菓子」でしたので、変えました。スミマセン!)