ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日は〝独歩忌〟

2018年06月23日 | 俳句

 今日は一日中曇…でも最高気温24度と、そんなに蒸し暑くもなくてまあまあ過ごしやすい日でした。

 今山口市では陸上・日本選手権兼アジア大会代表選考会が、22日より開催されています。

 先ほど注目の男子100メートルの決勝があり、「4強」と言われる桐生・ケンブリッジ飛鳥・多田選手を抑えて、山県亮太選手が見事大会タイ記録(10.05)で優勝しましたよ。

 ところで、6月23日は、詩人・小説家の国木田独歩の忌日、「独歩忌」なんです。歳時記を見ますと、次のように…

 明治4年(1871)千葉県に生まれ、東京専門学校に入学。在学中に洗礼を受け、クリスチャンになるが、学校改革を求めるストライキに関係して退学。明治27年、日清戦争従軍記者として「愛弟通信」を国民新聞に連載し、好評を博した。作風は浪漫主義から、後年、自然主義へと進む。代表作は『武蔵野』『忘れ得ぬ人々』など。文集『運命』により文壇的地位を確立した。死後、日記文学『欺かざるの記』が刊行された。明治41年(1908)没。36歳。

  独歩忌や入間郡は村一つ     牛山一庭人

  泉まで木々の影ふむ独歩の忌   三田きえ子

 まあ日本の近代文学史上必ず登場する人物ですから、皆さんよくご存じだと思いますが、彼が子供の頃は山口県と深~い繋がりがあったというのは知らない方が多いのでは…。

 私も宇部市が厚狭郡楠町と合併したときに行われた〝船木まち歩き〟のイベントに参加して初めて知りました。

 楠町にある船木地区というのは、江戸時代に山陽道の宿場町として栄え、1650年には船木宰判が設置され、以後大正時代まで厚狭郡の中心地となっていました。また、代官所や〝鉱区〟を与える役所などもあって、現在も家庭裁判所や簡易裁判所が残っています。

 そのまち歩きの時に、独歩の父、専八が裁判所主席書記として赴任した際二年間住んでいたという家を教えて貰いました。その頃のことが著書「欺かざるの記」に述懐されているそうです。

 独歩は5歳から16歳までを父親の転勤で山口県内から広島まで転々としています。だから、小学校も中学校も山口のどこかに通ったんですよ。ああ、中学は名門の山口中学でしたね。船木にいたのは何歳ごろか忘れましたが、確か腕白で喧嘩もよくしていて、負けそうになるとすぐに引っ掻くので、〝ガリ亀〟というあだ名が付いていたそうな。そういえば昔、柳井市に吟行したときも〝独歩旧居〟なるところに行った記憶があります。だから山口県には結構独歩の痕跡が残っているんですよ。

 写真は「梅の実」、キレイでしょう。忘れていたもう一本の梅の木にこんなに熟れて落ちていました。勿体ないのでまた拾ってきました。でもこれどうしましょう?生りすぎるのも困りものですね~。

 

コメント
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