iPodでエクササイズ

iPodで、退屈なマシントレーニングを楽しいものに変えましょう!






文政元年、倉敷に着任した大草太郎右馬政郷は「大阪与力一件」を数日で解決した後、直ちに「児島海開拓問題」に着手します。

【児島海開拓一件】

「干拓地の所属」「国境」「農業用水」「沿岸民の漁業保証」「倉敷川の通船」………
数々の難題をかかえた児島海開拓は、郷土の大土木事業家「津田永忠」が調停に失敗し断念して以来、数度の失敗を繰り返しながら百数十年間も解決を見ないままでした。

大草政郷はその人柄と情熱と粘り強い交渉力により、山のように立ち塞がる困難な問題をひとつひとつクリアしてゆきました。
文政三年調停がまとまり、四年に着工の運びとなりました。
文政七年、めでたく興除新田が完成します。

へぇ~~~、興除新田の用水は、湛井十二ヶ郷用水と酒津からの八ヶ郷用水の両方から引いているのかぁ……
地図で見ると確かに、両方の用水が興除村で整然とした長方形の網の目状に合流しているわね。 両用水の余り水を貰うということだったらしいど、利権意識の強かった双方から水を貰えるなんて、並大抵の力量じゃないわ

用水問題ひとつとっても、大草代官の卓越した人物像が分かるというものです。



一体、どのような生い立ちが「名代官・大草太郎右馬政郷」を育んだのでしょうか?



つづく

コメント ( 2 ) Trackback ( 0 )