鴨着く島

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「憧れの人は両親」

2023-03-18 01:21:53 | 日記
3月17日の新聞に意外な記事が掲載されていた。

去年の12月に行ったという少し古い調査だが、第一生命がインターネットで小学3年生から6年生、中学生、高校生男女合計3000人から回答を得た結果である。

よくある「なりたい職業」と「憧れの人」を聞いた結果、「憧れの人」としてトップに挙げられたのはどの児童生徒も一致して「両親」だったというのだ。

「なりたい職業」については、コロナ禍以前は男子だとプロスポーツ選手やITエンジニアなどが、また女子であればケーキ屋や手堅く公務員、看護師などが上位の常連だったのだが、コロナ禍に入ると会社員が上位に挙げられるようになり、面食らったものだ。

事実、この調査でも小学生の女子以外は、すべての学年で男女を問わず会社員が一位になっている。会社員とは大きな括りなのでその内容は千差万別だが、とにかくかつては「会社員(サラリーマン)じゃ夢がない」と言われて上位だったことはなかった。

それがコロナ禍になってから「リモートワーク」という制度(?)が普及し、子どもがそういう親の姿を間近に見るようになり、「会社員も悪くないな」という意識が強くなったのだろう。

そう思うようになったのは、やはり在宅勤務つまり親が身近にいるという寄り添いによる安心感が大きいからではないだろうか。

親が寄り添ってくれているというこの安心感は何にも代えがたいものである。特に小学校の低学年までの親への「寄り添い欲求」は強いものだし、それが自然感情というものである。(※このことは人類を頂点とする哺乳動物すべてに当てはまる。)

リモートワークによって在宅勤務が当たり前になれば、家庭が一種の事業所に見立てられ、通常の「両親がどちらもサラリーマンである共稼ぎスタイル」は無くなるということにいち早く気付いたのが子どもだったのだ。

このことと「憧れの人のトップは両親」とは矛盾しない。それどころか「自分のことを見守ってくれながら、パソコンを上手に操って仕事をしている親はかっこいい」と尊敬の眼差しすら向けるようになったに違いない。

「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ!」と歌ったのはスーダラ節の植木等だが、気楽な反面、職場での競争や残業、さらに社外での付き合いも多く、親、特に父親が家庭に寄り付けない時代が長かった。

そんな父や母の姿は子供にとってありがた迷惑で、そんなサラリーマンにはなりたくないという意識が植え付けられたのだろう。

ところが会社員の姿が、コロナ禍を境に大きく変わったのを子どもが鋭敏に捉えた結果が「憧れの人のトップは両親」ではないか。親にとっては「やったね!」というところだ。とにかく良いことには違いない。

それと連動するのかどうかは飛躍があるかもしれないが、前日にやや大きく取り上げられていた「高校生以下の児童生徒の自殺が初めて500人を超えた」という記事である。

というのは、子どもが一番大きく影響を受けるのが両親であり、一緒に生活を送る家庭であり、そこに不具合があったら子どもは非常につらい状況に追い込まれるからだ。

家庭無くして親子無し――で、家庭があって初めて親子の一体感が生まれ、安定した存在感が双方に育まれる。もしそれが不十分だと心理的に安定感の乏しい子ども時代を過ごすことになる。

自分の少年時代も両親共稼ぎの家庭で過ごしたから、その点については痛いほど分かる。親のうちでも、特に母親の寄り添いが少なかったことは生涯の悔恨である。

両親ともに教師でありながら、弟が中学2年の時に不登校に陥ったにもかかわらず、母親がそれに寄り添えなかった(寄り添わなかった)ことで精神的不安定が恒常的なものになり、弟はついに精神を病んでしまった。

精神を病むことで「病気だから仕方がない」という妙なお墨付き感が親に生まれたのかもしれないが、その原因を求めれば家庭の在り方にあったことは、自分も家庭を持ち子育てを経験してみてよく分かる。

子どもにとって「憧れの人」であるべき親に構ってもらえなかったり、寄り添ってもらえなかったら子どもの立つ瀬は無いのだ。