インドを「グローバルサウス」の最大の国として5月に行われるG7広島サミットに招待すると伝達し、「開かれたインド太平洋」の同志国インドのモディ首相と会っていた岸田首相は、インドから日本に直行せず、秘密裏にウクライナを訪れるようだ。
このウクライナ訪問は首相官邸以外では、政治家及び閣僚のだれ一人にも知らすことなく、政府専用機のほかにチャーター機を飛ばしてインドに待機させ、インドから帰国すると見せかけて岸田首相がそれに乗り込んでウクライナの隣国ポーランドの空港に向かったという。
ポーランドからは車で鉄道駅に向かい、鉄道でウクライナの首都キーウに入るという。昼過ぎのスクープ映像ではその駅で鉄道車両に乗り込む岸田首相ほか政府要人数名が乗り込んだのを映していた。
列車に乗り込んだのは現地時間で夜中の1時頃というから、まさに忍者外交にふさわしい。
忍者外交で思い出されるのが、1971年7月、アメリカのニクソン政権下のキッシンジャー国務長官の北京電撃訪問だが、まさか50年後の日本で似たことが行われるとは思ってもみなかった。
キッシンジャーの忍者外交は翌1972年2月のニクソン訪中による「米中平和五原則合意」に結実し、前年に国連に加入した共産中国が国連において台湾政府に代わって「国連安全保障理事会常任理事国」に就任することへの強力な後押しになった。
最近のアメリカの対中敵視政策を見ると、まさに今昔の念に堪えない。
岸田総理のこのウクライナ電撃訪問を慫慂したのは、2月のアメリカバイデン大統領のウクライナ訪問だった。
G7の各国のうちウクライナを訪問していないのは1月の時点でアメリカと日本だけだったのだが、2月にバイデン大統領がついにウクライナ訪問を果たすと、あとは日本だけということになり、国際的には期待半分あきらめ半分だったのだ。
ところが今回の隠密裏のウクライナ訪問である。官邸の一部にしか知らされていなかったようで、当然各メディアも肩透かしを食った塩梅だ。
もっともバイデン大統領のウクライナ訪問も副大統領のハリス女史にさえ知らされていなかったと聞くから、この岸田総理の電撃訪問はその二番煎じだったわけで、やはり外交に関しては(防衛に関しても)アメリカファースト感は拭えない。
それはそれとして、ウクライナのゼレンスキー大統領との懇談が注目されるが、そもそも岸田総理がインドを訪問したのは5月に広島で開催されるG7への招請ということももちろんあった。
だがそれより大きいのが、3月2日に開かれたG20の外相会議に日本の外務大臣が参加しなかったため主催国のインド側が「日本の外相が来ないなんてあり得ない」と当惑したことへのちょっとした謝罪の念もあったに違いない。
3月2日の当時、日本では参議院の予算委員会だ開かれており、外務大臣を含む閣僚は全員参加であったため、物理的に外相のインド訪問は不可能だったので、外務副大臣を送ったのだが、インド側としては残念至極だったようである。
それに呼応するように日本としては5月のG7会合にインドを招待することにしたようだが、その序でと言っては語弊があるが、岸田総理のウクライナへの電撃訪問が隠密裏に企画されたのだろう。
日本の外交としては極めて異例の総理自身による外国訪問には違いない。
報道によれば「戦後紛争地域に出かけた初の総理」とのことである。
岸田首相がゼレンスキー大統領にはどのような支援策を申し出るか注目に値するところだ。
その場でベレンスキー大統領に「我が国の東部4州がロシアに奪われようとしているが、日本には同じように奪われた北方領土があり、共に連帯して返還させようではないか」などと声明を出してもらえたら「忍者外交」に花を添えること間違いない。
このウクライナ訪問は首相官邸以外では、政治家及び閣僚のだれ一人にも知らすことなく、政府専用機のほかにチャーター機を飛ばしてインドに待機させ、インドから帰国すると見せかけて岸田首相がそれに乗り込んでウクライナの隣国ポーランドの空港に向かったという。
ポーランドからは車で鉄道駅に向かい、鉄道でウクライナの首都キーウに入るという。昼過ぎのスクープ映像ではその駅で鉄道車両に乗り込む岸田首相ほか政府要人数名が乗り込んだのを映していた。
列車に乗り込んだのは現地時間で夜中の1時頃というから、まさに忍者外交にふさわしい。
忍者外交で思い出されるのが、1971年7月、アメリカのニクソン政権下のキッシンジャー国務長官の北京電撃訪問だが、まさか50年後の日本で似たことが行われるとは思ってもみなかった。
キッシンジャーの忍者外交は翌1972年2月のニクソン訪中による「米中平和五原則合意」に結実し、前年に国連に加入した共産中国が国連において台湾政府に代わって「国連安全保障理事会常任理事国」に就任することへの強力な後押しになった。
最近のアメリカの対中敵視政策を見ると、まさに今昔の念に堪えない。
岸田総理のこのウクライナ電撃訪問を慫慂したのは、2月のアメリカバイデン大統領のウクライナ訪問だった。
G7の各国のうちウクライナを訪問していないのは1月の時点でアメリカと日本だけだったのだが、2月にバイデン大統領がついにウクライナ訪問を果たすと、あとは日本だけということになり、国際的には期待半分あきらめ半分だったのだ。
ところが今回の隠密裏のウクライナ訪問である。官邸の一部にしか知らされていなかったようで、当然各メディアも肩透かしを食った塩梅だ。
もっともバイデン大統領のウクライナ訪問も副大統領のハリス女史にさえ知らされていなかったと聞くから、この岸田総理の電撃訪問はその二番煎じだったわけで、やはり外交に関しては(防衛に関しても)アメリカファースト感は拭えない。
それはそれとして、ウクライナのゼレンスキー大統領との懇談が注目されるが、そもそも岸田総理がインドを訪問したのは5月に広島で開催されるG7への招請ということももちろんあった。
だがそれより大きいのが、3月2日に開かれたG20の外相会議に日本の外務大臣が参加しなかったため主催国のインド側が「日本の外相が来ないなんてあり得ない」と当惑したことへのちょっとした謝罪の念もあったに違いない。
3月2日の当時、日本では参議院の予算委員会だ開かれており、外務大臣を含む閣僚は全員参加であったため、物理的に外相のインド訪問は不可能だったので、外務副大臣を送ったのだが、インド側としては残念至極だったようである。
それに呼応するように日本としては5月のG7会合にインドを招待することにしたようだが、その序でと言っては語弊があるが、岸田総理のウクライナへの電撃訪問が隠密裏に企画されたのだろう。
日本の外交としては極めて異例の総理自身による外国訪問には違いない。
報道によれば「戦後紛争地域に出かけた初の総理」とのことである。
岸田首相がゼレンスキー大統領にはどのような支援策を申し出るか注目に値するところだ。
その場でベレンスキー大統領に「我が国の東部4州がロシアに奪われようとしているが、日本には同じように奪われた北方領土があり、共に連帯して返還させようではないか」などと声明を出してもらえたら「忍者外交」に花を添えること間違いない。