(上掲写真は飯盛山ふもとの土産物屋に置かれていた自動販売機)
ただし、「朝敵」「賊軍」とされたことに対する会津の人々の怨念は、現在でも生き続けているらしい。飯盛山にある[白虎隊記念館]の展示では、新政府側は「官軍」ではなく「西軍」と称されている。鶴ヶ城の博物館にも「官軍」という言葉はなかった。この表現を使った時点で、それを敵として戦った会津は「賊軍」になってしまうからだろう。
しかしながら、これほど怨念が根深いものであるにもかかわらず、その向かう先はせいぜい新政府の中核となった薩長藩閥=「官」であり、それに権威を与えた「天朝」の責任が問われることはない。「会津は賊軍ではない」「朝敵の汚名を雪ぐ」と頻りに主張することは、「敵になりたくてなったんじゃない」というぼやきであり、結局 最初から恭順の姿勢を示している。
滅私奉公型の価値観を基本原則とした白虎隊を象徴・核とするということは、この国において、その基本原則の源泉として位置付けられた天皇制の構造に取り込まれ、入れ子の中に収まってしまうことを意味する。自らが従っていた基本原則・道徳律を解体し再構築するという痛みを伴う作業を行なわない限り、これを乗り越えることはできない。言い換えると、白虎隊を疑えない人々には、朝敵たることを自ら積極的に選択し、会津の人々に塗炭の苦しみを味わわせたものを、根本から問い直し覆す意志が生まれるはずがないのである。
だからこそ、イタリアやドイツの人々はネイションの敵に記念碑を贈るのだという認識を持たなかったのだろう。天皇制という支配システムの巧妙さ・周到さを思わずにはいられない。
ただし、「朝敵」「賊軍」とされたことに対する会津の人々の怨念は、現在でも生き続けているらしい。飯盛山にある[白虎隊記念館]の展示では、新政府側は「官軍」ではなく「西軍」と称されている。鶴ヶ城の博物館にも「官軍」という言葉はなかった。この表現を使った時点で、それを敵として戦った会津は「賊軍」になってしまうからだろう。
しかしながら、これほど怨念が根深いものであるにもかかわらず、その向かう先はせいぜい新政府の中核となった薩長藩閥=「官」であり、それに権威を与えた「天朝」の責任が問われることはない。「会津は賊軍ではない」「朝敵の汚名を雪ぐ」と頻りに主張することは、「敵になりたくてなったんじゃない」というぼやきであり、結局 最初から恭順の姿勢を示している。
滅私奉公型の価値観を基本原則とした白虎隊を象徴・核とするということは、この国において、その基本原則の源泉として位置付けられた天皇制の構造に取り込まれ、入れ子の中に収まってしまうことを意味する。自らが従っていた基本原則・道徳律を解体し再構築するという痛みを伴う作業を行なわない限り、これを乗り越えることはできない。言い換えると、白虎隊を疑えない人々には、朝敵たることを自ら積極的に選択し、会津の人々に塗炭の苦しみを味わわせたものを、根本から問い直し覆す意志が生まれるはずがないのである。
だからこそ、イタリアやドイツの人々はネイションの敵に記念碑を贈るのだという認識を持たなかったのだろう。天皇制という支配システムの巧妙さ・周到さを思わずにはいられない。