KAMATA CYCLE

子供の時から自転車に乗り続けて現在でもMTBを中心に活動しています。

熊野古道・中辺路編 近露王子~熊野本宮大社

2010年10月31日 20時57分38秒 | OUTDOOR
 本当は土日で歩こうと思っていたが台風の影響で日曜日だけで歩くことにした。
いよいよ、順調に歩ければ今日で熊野本宮まで辿り着く。


 早朝6時前の熊野本宮大社は死の国に相応しい静かさを漂わせていた。
本宮大社前のバス停から6時20分に田辺行きのバスがあり、このバスで近露まで行く為に、もはや早朝と呼べない2時半に起きて3時に家を出た。


 近露までのバスの旅は苦痛だった・・・
バスが苦手な上に眠い・・・
寝たら田辺まで行きそうな感じだ。
バスには私ともう一人、伏拝から来た地元のハイカーも乗っていて近露バス停で一緒に降りて少し話をした。
わたしが今日は「本宮まで行きます。」と言うと「一緒やな、私も伏拝まで」と言っていた。
伏拝って本宮の手前3、4キロでは?と思いながら腹痛の私は即座にトイレに駆け込んだ。
7時半に歩きだして直ぐに近野小学校前を通る。校庭が芝生で珍しいなぁ。


 約一時間歩いて継桜王子に着く。
立派な杉の巨木が出迎えてくれた。
直ぐ側の、とがの木茶屋はまだ開いておらず残念だった。
ここで霧雨が振り出した・・・予報では昼までは・・・


 熊野古道に向かって小便をするとは大胆な


 幾つかの王子跡を通り湯川王子に辿り着く。
雨は杉林でも合羽を着る位の雨となった。
しかし、なぜだろうか、嫌な気持ちが無い。
熊野権現が南紀らしい天気も用意してくれたのだろう。


 三越峠には12時少し前に着く。
最初の予定では土曜日はここまで来て野営するつもりだったのに・・・
近くには立派な東屋と綺麗なトイレがあり野営には最適だったのになぁ。


 三越峠までの激しいアップダウンとは裏腹に緩やかなアップダウンのダウンが主流となり足取りも軽やかだ。
途中で若い女性二人組みとすれ違った。はやりの山おんなかな?
発心門王子に着く手前は少し急な登りだったが距離が短かったので難なく登りきり、本宮入り口の門を潜った。
これでまた一つ本宮に近づいたなぁ。


 腹減った・・・朝からすき屋の牛丼とおにぎり三個しか腹に入れていない・・・
しかし、食べ物は無し・・・発心門休憩所で休んでいたパーティの昼飯が羨ましかった。
後2,3時間の辛抱だと言い聞かせて物貰い発言は押し込んだ。
少し歩くとからくり人形が出向けてくれた。後ろの箱に水が溜まると倒れて引っ張りあげるというからくりだが、なかなか面白い。


 伏拝からは果無山脈が良く見えるのだが今日は全く・・・見えない。
伏拝王子からは再び未舗装路になる。
未舗装路が嫌いでは無いが石畳がこの靴では良くすべるので注意が必要となり余計な神経を使うので大変だった。
三軒茶屋跡には小辺路の合流があって石碑には右高野、右紀三井寺とたぶん書いているのだろう。


 本宮もいよいよ目と鼻の先となった。
ん?見晴台か良し行こう・・・やっぱ見えない
丸太の階段、石畳の階段を降りる。最後にこういう階段は疲れるなぁ。
ん?祓所王子に団体さんが一杯いる。雨も本降りになってるのに歩いている人が多いのは世界遺産に登録されたからだろう。
祓所王子を過ぎたら、いよいよ熊野本宮大社の鳥居が見えてくる。
長いようなでも案外短いような熊野古道の旅だった。
うわっ鳥居を潜るぞ!あっでもこっしーにはメールで知らせておこうっと。


 雨の熊野本宮大社は人も少なく静かな本殿を黙々と御参りする。
今まで以上に念入りに御礼と来週の試験の合格を祈願した。
何故だろうか、雨で二日の行程を一日で歩いて来たのに疲れが無い。
ただ単に歩き馴れただけかそれとも・・・
いやぁ、今回の企画はスケールがでかくなったので達成感も格別にある。


 歩いた記念に御朱印を書いてもらい交通安全のお守りを頂いて・・・あっ合格祈願忘れた・・・
JR西日本企画の「聖なる森 熊野古道を歩く」のスタンプラリーも中辺路で5個のスタンプを押した。
でも後5個も残っている。そう中辺路って新宮、本宮、那智の熊野三山を結ぶ熊野古道も中辺路なんだって。

熊野古道・中辺路編 滝尻王子~近露王子

2010年10月23日 16時14分05秒 | OUTDOOR
 日曜の朝ホテルで朝食を食べているとホテル前の公園のステージで野営をしているサイクリストを発見
昔の私も同じ事をしていたなぁ。でも今はホテルか・・・少し複雑
 紀伊田辺駅前を8時ジャストに出るバスに乗って滝尻王子に向かう。
熊野高校からは乗客は私一人で運転手が話しかけてきた。
何気ない会話だったが、ふと広告を見ると法令で運転手に話しかけるのを禁止していると書いていた。


 滝尻王子についてまずは飲料水の確保をして熊野古道がここから世界遺産との碑を前に記念写真を撮るとすると茶屋の主人が親切にも撮ってくれた。
でも全て石碑にピントが合っていて私はピンボケ・・・
わし写真撮るの上手いやって言っていたのに・・・GRⅢははやり所有者を選ぶんや。
 朝の滝尻は冷厳としていて心地よかった。
いよいよ世界遺産に登録された熊野古道を歩くんや、という期待と不安が入り混じり不安だったが滝尻王子で今日の無事完走を祈って熊野古道に入って行った。


 滝尻王子から怒涛の急登が待っていたが今までの行程で鍛えられた脚力はものともせず登って行く。
それとも熊野権現が後押ししているのかな?
尾根まで意外と簡単に着く。尾根に出たのでおにぎり1個とアミノ酸を補給。
すると滝尻王子からハイカーが一人登ってきた。
堺を出て今まで熊野0古道を歩く人とは出会わなかったがここでやっと会った。
歩き始めて90分で高原熊野神社に到着する。
屋根の苔と朱色が良い感じだ。


 高原熊野神社の直ぐ近くに高原霧の里休憩所がある。
ここは以前、中辺路でMTBレースがあった時にはダウンヒルレースのスタート地点だった。
あの時の事を色々と思い出すなぁ。
ここから道の駅までは自販機が無いので2本購入し進んだ。


 山中を歩くこと40分で大門王子に着く。
大門王子に着く少し前に先程のハイカーが休憩をしていたので話しかけた。
この人も私と同じく近露までの予定で近露に車を置いてバスで滝尻まで乗って歩いている。
そうか、こうしたら私みたいに何時発のバスに乗り遅れたらとか考えずに済むんや。
私の今日の予定は近露だがバスの関係で道の駅で終えるかもしれない。
ようはギリギリのタイムスケジュールで行程している。
話もそこそこに先を急ぐので歩き出した。


 十丈王子跡は石碑だけだが立派なトイレと水場があり広場もあるので野営できそうだった。
十丈王子を過ぎて登り坂が続き滝尻~本宮間で一番の標高となる。
ここでおにぎり1個とアミノ酸の補給をしていると先ほどのハイカーに抜かれる。
歩いていたら又私が抜くだろうとこの時は思っていた。
倒木に苔が自生し綺麗だったので夢中でシャッターを切りまくっていた。


 上多和茶屋跡はこんな山奥にも茶屋があったのか?と驚かされる場所にあった。
ここから道は下りに入り三体月鑑賞地の看板のあるところで最後のおにぎり1個とアミノ酸を補給し最後の頑張りだ。


 急な下りで膝が痛み出した時に大坂本王子跡に着く。
ここまできたらもう一頑張りだぞ。
歩き出して10分で国道が見えた。
そしてバスも・・・
5分・・・たった5分・・・遅れた・・・
倒木の写真で時間を使い過ぎたか?
道の駅・熊野古道中辺路でスタンプと休憩を取り牛馬童子へ向かう。


 牛馬童子は中辺路のシンボルみたいな物で人気があって人も多かった。
多くは道の駅からか車道から来る人たちだ。
しかし、なんで牛と馬に跨ってるんやろ?
見るからに乗り難くそうだ。


 森を抜けると箸折峠だ。
ここからは近露の集落が見える。手前には日置川が流れている。
そして中辺路でMTBレースがあった時に3時間耐久レースの行われた会場が見える。
レースが開催されなくなって何年になるだろう。
日置川沿いに走ったが今は草ぼうぼうだった。


 麓に下りて橋を越えると近露王子に到着。
時刻は14時だったので、ひすいの湯で汗を流して国道沿いに出来た施設で小さい麦酒缶を飲んだ。
しかし飲み足りず350ml缶を買って日置川を眺めながら飲んだ。
そして15:19分のバスに乗った。


 バスは中々の賑わいだった。そして道の駅で多数の乗客が降りたのだが千円札の人が多く時間が掛かりバス停を出てから運転手が栗栖川での乗り継ぎに遅れるとの理由で一言「飛ばして行く。」と路線バスにはあり得ない一言。
うわぁ、本当に飛ばすなぁ。バス会社が違うけど一応乗り継ぎのバスなんやから待ってくれるのでは?と思うのだが、
もしもの事を考えると何も言えない。
 到着が4分遅れたが田辺行きのバスは待っていてくれた。
でもトイレに行きたい・・・
しかし、無常にも直ぐに出発するとの事・・・
鮎川を過ぎた辺りでうわぁ。って感じで早々に田辺に着くことをただひたすら祈るのみだ。
しかし、田辺市街地に入ると交通渋滞が行く手を阻む。
今降りてタクシーでとも思うがギリギリまで我慢しよう。
そんな状態なのに前の乗用車がウインカー無しにガソリンスタンドに入るため減速した。
私は「あっ!ぶつかる!」と思ったが急ブレーキで衝突は免れた。
しかし車内は女性の黄色い悲鳴が聞こえ私はイスの下にあったバケツが足にぶつかってきた。
全員無事だったのが救いだったが全く危ない運転する人やなぁ。
なんとか紀伊田辺駅に着き大慌てでトイレに急行し用を済ませで駅に入ると切符を買う行列が・・・
特急は13分後で普通は46分後だったので特急に乗ることにした。
熊野古道を歩き始めて初めての特急だ。
やっぱり家まで早いぞ。
でも値段が・・・

熊野古道・中辺路編 紀伊田辺駅~滝尻王子 後編

2010年10月20日 21時45分49秒 | OUTDOOR
 鮎川王子跡を出て橋を渡って対岸の道へ入る。
国道は対岸なので車の騒音も届き難く車の往来も少ないので滝尻王子を前に熊野について改めて考えてみた。
 私は今回の熊野古道を歩くきっかけとなったのは本厄となる今年に厄除祈願を熊野本宮大社で祈祷して欲しかったからだ。
しかし、情報が得られず延期している間に本厄に突入したこともあって厄除祈願は250TRのツーリングの時に祈祷してもらった。
でも折角なので近露から本宮まで歩こうかと、とある人に相談したら距離が短いと言われた。
それならばと滝尻王子からと思ったが滝尻からだと二日は厳しく三日間は必要だろう。
となると荷物も増えるし体力も必要だ。
となって近場をハイキングして体力をつけようとしていたら梅雨に入り決行出来ない、歩けないので体力落ちる。
となりもう一度体力作りも兼ねて堺市から歩くことにした。
とこれが私の経緯だった。


 ※のごし橋を過ぎて古道は川沿いの細い道になる。蜘蛛の巣が至るところにあって落枝を拾って振りながら進む。

 熊野詣は12世紀がもっとも盛んだったといわれ、京都から熊野に至る熊野街道は参詣者であふれていて「蟻の熊野詣」と揶揄されるほどの賑わいだったそうだ。
これは、堺から歩いていても茶屋跡や旅籠跡の多さが当時の参詣者の多さを物語っている。
 当時の人は熊野詣の旅に出ると幾月もの長い期間を費やすことになってしまうが、それでも熊野に来ようとするほどの魅力はなんだったのだろう。
幾千、幾万の人が熊野を目指す。目指すには目的があるはずで当時の人は死者の国熊野で擬似の死を体験し来世の良く生きることを願う旅だったとか。
だから大斎原は熊野川の中洲に鎮座しており、山腹からみると川筋は女性が寝ている姿、中洲は女性器を現しているんだそうだ。


 ※対岸の国道には道の駅が見える。そして休憩所に道の駅ではお食事や休憩が出来ます。と書いている看板が建っている・・・どうやって向こう岸に渡るんや。

 高野山は真言宗の聖地、吉野山は修行道者の聖地、それぞれ弘法大師空海が高野山をひらき、役小角が吉野山をひらいた。
では熊野は
 私が北山川をカヌーしている時にそう感じただけかも知れませんが熊野に居るだけで癒されて精神が安定したのを感じた。
今風にいえばパワースポットと呼ばれる場所なんだろう。


 ※蕨尾橋の下を潜ったら、リスを発見。近づくとサッサと木の上へ逃げていった。そして直ぐにあった笹のトンネル。

 昔の人も他の場所とは違うと感じていたのでしょう。まず地元の人が熊野は聖地と知った、次に周辺の人が聖地と知った。
これらを繰り返して遠方まで熊野が聖地だと広まったのでは無いだろうか。


 ※富田川は大うなぎ生息の北限の川だそうだ。初めて知った。勉強になるなぁ。

 私は高野山や吉野山といった聖地は訪れた巡礼者に荘厳性、神秘性等を見せ付けて自らの権威を押し付けるような感じを受ける。
それは、巨大な仏像や建物といった建造物が物語っているように思う。
でも熊野は来る者は拒まず、全てを受け入れ癒して帰そう。という風に感じる。
これは辺境の熊野まで苦労して来た参詣者は老若男女のみならず、農民だろうと貴族だろうと罪深き者であろうと分け隔てなく受け入れてくれるだろう。
私が熊野に惹かれる根本はここにあると思う。


 ※北郡トンネルの上の古道を歩いていると二体の庚申さんが祀られていて、その横に日本ミツバチ巣があって周りをスズメバチ4匹程が巣を狙っていた。
しかし、日本ミツバチの防御は固く持久戦の様相を呈していた。

 私は別に気にしていないが、熊野の神は仏か新道か良くわからないときがある。
熊野本宮大社は昔は「熊野坐神社」といわれていて熊野権現が熊野の神だった。
熊野の神は大和朝廷系の神とは系統が違い別々の神話があったらしい。
その後、ん百年か後に熊野本宮の神にも大和朝廷系の神々の名が与えられた。
 修験道や仏教も熊野を重要視したため熊野三山にも変化をもたらし
一部では熊野権現は大日如来のもう一つの姿といわれているそうだ。


 ※北郡の集落を抜け国道を横断して、つり橋を渡る。(高くて怖いよ。)
川沿いの道を歩く事15分ほどで清姫の墓に到着。
直ぐ横にある清姫茶屋で二つ目のスタンプを押した。

 長々と熊野に関する本の助けも借りて書いてしまったが簡潔に、熊野は私の精神を癒してくれる大事な場所。
熊野に行けば川原でも山の中でも熊野権現は直ぐ側に感じるので熊野三山にわざわざ参拝する必要も無い。
とは言え、お礼も兼ねて参拝はするなぁ。


 あっ、色んな事を考えながら歩いていたらコース外れた・・・
国道をそのまま歩いたので滝尻王子までの所要時間がグッと縮まったぞ。
田辺行きのバスが15時41分に出るまで後20分しかないが急いで参拝し熊野地麦酒を購入。
なんやお店に麦酒売ってたんやったら、ここで野営でも良かったかな?


 時間ぴったりにバスが来た。
そして車内でブシュッ
清涼飲料水とは明らかに違う開けたときの音
運転手さんが鏡越しにチラッ
しかし、歩いた後の麦酒は格別に美味い。
止めれませんなぁ。これがしたいから車では無く電車なんやから許してね。

 バスの苦手な私・・・田辺に着く前に気を失う・・・
そして起こされる・・・
紀伊田辺駅の一つ手前で下車したかったが文句も言えず・・・
ホテルに向かう途中のどさん子ラーメンの店に入りみそバターラーメンの大盛を注文。
丁度、阪神巨人の野球をしていてテレビに見とれていた。
あれ?まだ出来んのか?と思いみると店主も野球観戦しもってラーメンを作っている。
当然のように麺は死んだ麺でフニャフニャな麺だった。
コンビニでおにぎり二個と麦酒とおつまみを買ってホテルへ入った。
ホテルの部屋で今朝もらったスタンプラリーの詳しい内容を見ていると愕然とした。
中辺路を歩くからスタンプを集めて中辺路コースを完走しようと思っていた。
ところが中辺路って田辺~本宮以外にも赤木越えコースや本宮~新宮~那智k~本宮とまだまだあった・・・

熊野古道・中辺路編 紀伊田辺駅~滝尻王子 前編

2010年10月18日 23時03分23秒 | OUTDOOR
 土曜の朝4時半に起きて始発に乗るため徒歩で上野芝駅へ向かう。もはやバスも運行前だ。
和歌山行きの普通列車に乗って和歌山駅で紀伊田辺行きの普通列車に乗る。


 今回の記事から画像hサムネイル方式に変更したのでクリックで大きい画像が出ます。
8時38分に紀伊田辺駅に着く、実に3時間の各駅停車の旅だ・・・


 前回、岩代から歩き紀伊田辺駅から帰る時に「“聖なる森”熊野古道を歩くスタンプラリー」というキャンペーンの存在を知った。
10月~12月の期間中に紀伊路、中辺路、大辺路の各コースに設置しているスタンプを収集するというものだが私が気になったのは25コース分のハイキングマップだ。
とはいえ、折角なので中辺路でも制覇しようかと思ってスタンプと木札も集めることにした。


 須佐神社前の道は高速道で熊野に向かう時に車で良く通った。そうか、この道も熊野古道やったんやなぁ。なんか縁を感じる。
須佐神社で今日の無事を願い鳥居を出て数歩・・・耳朶を虫に刺された
いきなりやなぁ・・・
 炎症で真っ赤になった耳朶をさすりながらスタンプ設置場所のVショップ下三栖店を訪れ最初のスタンプと木札を手に入れた。


 Vショップ下三栖店を出て山裾の未舗装路へ入って少し歩くと三栖王子跡に着く。
そこから熊野古道は下三栖のトンネル越えをするのだが道が荒れていて危ないとコースマップに記載があって新岡坂トンネルを通る迂回ルートを推奨していたので迂回することにした。
 八上王子跡を経て稲葉根王子跡へ向かって歩いていると右斜め上方より飛来する物体を発見
あっという間に頭に衝突でっかいスズメバチだった・・・


 稲葉根王子は五体王子の一つであるだけに遠くからでも見つけやすい。
予定していた到着時刻よりも30分早くついたのでここで休憩。
紀伊路からそうだったが小休憩は座らないと決めていた。
座ると立ち上がり難くなりそうだからだ。
唯一座ったのは脱水症状が出た鹿ヶ瀬峠のみだ。


 稲葉根王子の横を流れる富田川の河川敷で穢れを落とした巡礼者が稲葉根王子を詣でる禊の場であったそうだ。
富田川は上流から下流までダムが無いとこっしーが言っていた。
その為か、川は美しく生命力に溢れている。
年間降水量の多い南紀には、こんな川が何本もある。


 稲葉根王子を過ぎて直ぐの若者広場にはコスモスが一面に咲き誇っていた。
これはチャンスだ!新しく購入したGRⅢの接写性能を見る機会が来た。


 デジイチみたいにピントを合わせ難いが何枚も撮っていると幾枚かはお気に入りの画が撮れる。
コンデジはぼかし絵が苦手だが流石F1.9のGRレンズだ。キレ味鋭い絵が得られる。


 橋を渡り一ノ瀬王子へ向かう。ここであぜ道と川沿いの二手の道があり私はあぜ道を選んだ。
あぜ道には我が社の耕運機が多数あった。
複数見ることなんて珍しいなぁ。


 一ノ瀬王子を出て河川敷で、さんま寿しを食べる。
川面を眺めていると生き物みたいで楽しい。
特に綺麗な川では見惚れてしまう。
ハッ!いかん滝尻王子まで行かれへんぞ。


 熊野古道は川沿いを歩くにしても洪水等を考慮して山の中腹を行くことが多い。
現在は川沿いに国道が走っているが当時は山肌がむき出しだったのだろう。
ここを越えるのに登ることになるのでが先の方で道が国道に合流しているのが判るのになぁ。


 あっでも登った甲斐はあったかなぁ。
良い感じの熊野古道の風景だ。
昔人も味わったんだろう爽やかな心地よい風が気持ち良い。


 山の中腹から国道に戻って鮎川王子跡に着く。
ここで橋を渡って対岸へと向かう。って簡単に書くけど当時の人はどうして渡ったんやろ。
やっぱ渡船かなぁ。

西高野街道 大小路~千早口駅

2010年10月11日 15時34分17秒 | OUTDOOR
 予定ではこの三連休で熊野本宮にたどり着く予定だったが天気も体調も悪くあきらめた。
でも体育の日は体調も良くなったので早朝から西高野街道を歩くことにした。
ホントに誰に風邪を移されたんやろなぁ。


まずは西高野街道の起点である堺市の大小路に向かう。
朝五時半とあって薄暗く石碑の撮影に苦労する。
来週は大小路で堺祭りが開催される。


堺東で朝食を食べ腹ごしらえをし三国ヶ丘で竹内街道と別れる。
竹内街道も歩かんなあかんな。
白鷺公園で休んでいると西高野街道をトレールランニングしている集団に抜かれる
。最近の流行りはランニングかぁ。


 岩室を少し南下したところで天野街道との分岐に出る。
右に天野街道、左に高野。
街道の秋祭りは一昨日と昨日だったらしく街道のいたる箇所で地車や祭の後片付けをしていた。


 ここで中高野街道と合流する。
もうへとへとだぁ。
本宮に着くまでは体力を落とせないから歩いたが病み上がりには・・・


 河内長野駅手前で道が不明瞭となったがしばらく歩くと懐かしいプラザ阪下が見えた。
懐かしいなぁ。あそこでよくMTBのレースがあったなぁ。
6時間耐久レースなんか参加人数が多くてスタートの号砲が聞こえない程だったのに・・・
MTBも人気無くなったなぁ。
 駅を過ぎて少し歩くと酒屋があった。
入り口には「蔵元限定 生原酒 販売」の文字があった。
こっしーに買ってあげたら喜ぶかな?でも・・・荷物やし・・・なぁ。


 左の写真が三日市町駅を過ぎて新町橋の信号を過ぎてから右斜めに入る道。
 右が写真が高架の橋を越えて少し入った所の分岐。


 美加の台駅を過ぎたあたりで街道は国道に沿うのだが車の往来が激しくもう一本線路よりの静かな道を歩いた。


 西高野街道を歩くことになったのには理由がある。
歩く気もなかった頃に竹内街道をTRで散策していた時にどこかのコンビニでてにいれた地図。
これが無かったら歩くことはなかっただろう。