KAMATA CYCLE

子供の時から自転車に乗り続けて現在でもMTBを中心に活動しています。

久しぶりのMTB

2010年11月28日 18時07分36秒 | MTB

 今日は久しぶりにMTBにまたがった。

技術なんてどこかに置いてきたみたいに素人な走り・・・

情けないのやら・・・悲しいのやら・・・

こっしーとも久しぶりだったので走りよりも話に夢中だったのもあるし

前日はブリュッケで呑んでいたのでその話でも盛り上がっていたしなぁ。

次回はもう少し気合の入った走りが出来るようにするぞ。

 

 


11月15日 熊野古道・中辺路 請川~湯の峯

2010年11月21日 08時31分00秒 | OUTDOOR
今日は大阪に帰る前に天満~本宮と新宮~請川までのルートを歩いたと想定した時に天満-田辺-近露-本宮-那智-速玉と
一本の線で結ぶ為に請川~湯の峯までの6Km程を歩いて大阪に戻る予定にしている。

 前日に熊野本宮大社の近くの川原へ車を入れて眠りについた。
駐車場で寝るよりも川原は落ち着いて寝れるなぁ。
と・・・二日続けての寝坊・・・
今日は請川まではバスの予定だったので確実に予定が狂った。


 6:40 慌ててスタート地点の請川のトイレに向かいタオルと着替えを持って湯の峯を目指しスタートする。
6:56 よく利用する川湯木魂の里キャンプ場が現れた。でも今年はキャンプしてないなぁ。
昨日利用しても良かったなぁ。利用客もバイク一人とファミリー一組しかキャンプしていなかったから焚き火を囲みながらのんびり出来たのになぁ残念


 7:08 11月からは川湯温泉に仙人風呂といわれる野趣風呂が現れるがこちらも数人の方が入っているだけだった。
意外とぬるく外に出たとたんにブルブルしだすので一部ある熱い場所を確保するのがポイントだ。


 7:50 朝霧の中を歩き続けて湯の峯の駐車場に到着。
ここで一夜を明かした車内泊連中が一杯だ。良かった川原にしておいて
ふとトイレを見ると歯磨きしている人を見かけた。
私も大門坂のトイレで歯磨きをしたなぁ。
水を口にいれた時の変な味・・・違和感を感じながらも二日目の夕方も歯磨きをした。
そして気がついた
トイレで使う水が浄化槽を利用した循環型と書いていた。
これって・・・トイレで使う水全てを一箇所に集めて浄化して再利用?
それって・・・もしかして・・・うわっ考えたくねぇ。
という思い出がある。


 公衆浴場の前まで来た。温泉に入らなければ乗る予定にしていたバスがもう直ぐ来る。
でもなぁ、折角やし入りたいしと温泉玉子をつくる場所で考え悩んだ末に温泉に入ることにした。


 公衆浴場のくすり湯は誰もいない!独り占めだ。
しかも気持ちが良い。風呂の時間が短いが30分も入っていたなんて驚きだ。


 小栗半官もこの温泉で蘇生したといわれているが頷けるほど素晴らしい温質だった。
いやぁ、気持ちよかったなぁ。
疲れも吹き飛びそうだ。
 バスで請川に戻り本宮で三日間の御礼を御朱印を押してもらい、観光客に混じってバスガイドの説明を聞いて
久しぶりにイロハ国道で堺へと戻った。本宮10:00に出て堺の浜寺には13:20に着いた。
イロハにしては速いと思うがやっぱりイロハ国道は疲れる。。。

11月14日 熊野古道中辺路・大門坂~熊野速玉大社

2010年11月18日 20時56分20秒 | OUTDOOR
 携帯が鳴った・・・起きなければ・・・
そう思って起きたのは太陽が昇ってからだった。
慌てて車から出ると足がついてこない・・・うへぇ、腰砕けになってるやん。
昨日の大雲取越の疲れが脚全体を襲ってる。
ハイキングの準備を整え歩き始めたのは予定を1時間もオーバーした7:00だった。


 7:06 大門坂の分かれ道に着く、今日は、ここから那智を経由して新宮へ向かう予定だ。
補陀洛山寺まで5.3Km、80分か、フム1時間やな
市野々の街並みを見ながら歩く、川沿いなんで那智までは楽だろう。
那智に着く頃には脚も馴れてくるだろう。との思いもむなしく市野々を過ぎたら古道は山へ向かった。


 7:42 短い登りと墓地の中を抜けて尼将軍供養塔に着く。尼将軍とは源頼朝の妻・北条政子のこと。
ここから古道は竹林の中を降り川関に出る。たしか川関か井関の集落には湧き出る温泉で野菜等を洗っている場所があると聞いたことがある。
人が入浴するためでは無いので施設等は無いが温泉マニアの女性が入っているのを映像で見たか本で見たかしたことがある。


 8:20 補陀洛山に到着。このお寺は補陀洛渡海で有名な寺だ。
南方にあるとされる観音浄土を目指し、板戸で四方を囲い、さらに鳥居で四方を囲った小船に乗って那智の浜から旅立って行かれた。
お寺には868年~1722年の間に補陀洛渡海をされた25人の御方の名前が書かれた石碑がある。
大体は、補陀洛山寺の住職が最後の苦行で渡海されたそうだが石碑には平維盛と武将の名もあった。
平維盛は源氏との戦いで敗走を続け那智の海で入水したとされている。
もうこの世では平家の居場所が無かったのか観音浄土を目指し旅立ったのだろう。


 8:50 補陀洛渡海の小船が旅立って行った那智の浜を眺める。
現在は海水浴場となっており施設も充実していて海水浴には便利がよさそうだ。
沖には岩礁があり動力の無い渡海船はここまで舟に曳航してもらってこの岩礁で綱を切り観音浄土へ旅立ったそうだ。
皆が無事に観音浄土へ辿り着いたと信じ長い時間眺めていた。


 道の駅でトイレを済ませ国道を歩く。
路側帯の狭い国道は恐ろしい・・・
熊野古道も国道まで整備できないのかデンジャラス過ぎる。
狗子ノ川交差点に来るとガイドの地図では旧国道へ向かうが国道の道標は別のルートを書いている。
迷ったがガイドの方を選ぶ、国道の方は階段って着ていたからね。


 交差点から少し進むといきなり三叉路に出る・・・道標も無い・・・
戻るか三つの道のどれかに進むか選択は四つ、で私は矢印の道を選んで進む。
しかし、ガイドの地図とは少し違うみたいだ。
でも道は国道のトンネル上方へ伸びているので国道の道標にあったルートに合流する可能性を信じ進んだ。
すると思惑通り熊野古道の道標を発見した。


 9:30 大狗子峠に到着。荒れ果てた峠だ、熊野古道も有名なルートはハイカーも多いがそれ以外は荒れ放題な古道が多い。
たいした峠でも無いのでさっさと降りる。


 9:50 小狗子峠に到着。入り口は感じよかったのに峠は大狗子峠よりも更に荒れ果てている。
しかも峠付近に「くくりわなを仕掛けているから注意しろ」の看板がある。ハイカーの歩く付近に罠を仕掛けるか普通


 1.小狗子峠を下って来て地道から舗装路に出た所の交差点を左折。
 2.20Mほどの突き当たりを右折。
 3.30Mほどで看板があるので左折。
 4.少し歩くと自動車教習所の門があるのでわき道の方へ行き踏み切りを渡って国道へ。
全く、街中での迷走はこれで何回目だろう。自治体によっては酷いところもあったが
ここは一つ自治体が頑張って熊野古道を盛り上げて欲しいものだ。

しばらく国道沿いに歩くと又歩道が無くなる・・・今回は路側帯が広いので安心か?
いや違う通過する車のスピードは先ほどとは全然だ。
歩行者の脇をブツブツつぶやきながら進んでいるとコンビニを発見。
昼飯には早いがおでんでも食べようと店内に入るがおでんが準備中とのことで食べれない。
しかたないのでおにぎりを食べた。


 佐野王子跡は大型ショッピングセンターの片隅にひっそりと建っている。
そこで昼飯を食べて海浜公園みたいな中を歩いて行く。
ガイドの地図では黒潮公園の途中で街中へ入って行くのだが肝心の道標も無くたぶんロストするんだろうと思った。
するとやはり黒潮公園の端まで歩いたよ。
海と線路に挟まれているので方向音痴で無い限り大丈夫だろうとそのまま先に進んだ。
ちなみに矢印の道に入り突き当たりを右折し直進して突き当たりを左折しその道を進むとルートに戻る。

 11:30 JR線路を越え国道に出る手前に熊野古道の道標を見つける。
ここ?家庭菜園に見えるが・・・古道はどれ?どれも菜園への道にみえる。
悩んでいると他の人も悩んでいたのかマジックで「熊野古道は川沿いを進む。」と書いていた。
なるほどねと、なるのだが肝心の川が判らない?川?どこ?ってあの用水路みたいな・・・
確かに歩けそうだが・・・不安を抱き進むと高野坂案内板があって安心する。


 11:43 案内板があったのできつい登りかと思ったが意外とあっさり展望台への分岐に来た。
分岐で展望台へ向かうか悩んだ。岬からの景色なんて同じようなものだろう、時間の無駄になる可能性もある。
でも二度と来ないかも知れないし行くか!
で結果は・・・


 12:15 高野坂から王子浜へ降りる途中に王子浜を見下ろせる場所があり展望台よりも・・・


 先ほどの場所から少し降りると道が二手に分かれいた。
左は沢に入るがですが、そのままでも古道に戻れる。


 高野坂を降りるとJR線路沿いに出る。ここでデジイチを持って撮影している鉄女を見かけた、最近駅のホームでもカメラを構えた鉄女を見かけるがこんな場所にもいるんだ。
王子浜に出るためJR線路の下を潜る、その手前には綺麗なトイレがある。
王子浜は砂浜では無く小石の海岸だが長い・・・歩き難いぞ意外と・・・
 同じ日なのに那智湾では穏やかだった海が王子浜では荒々しい。
浜に入る前に注意書きに波打ち際には近づかないように書いていたのがうなずける。


 歩き難い海岸から堤防を歩き進む。
ガイドのルートではJRが海岸から離れ道路が変わりに来る交差する場所を通っている。
だが・・・そこに行くにはここを降りて線路脇を歩き工事している中を突破しなければならない。
意を決し突破すると今度は道が二手に分かれている。
地図を見た感じで左側の道に入ると浜王子へ辿り着いた。


 13:35 熊野古道は新宮の街中を進みながら速玉へ向かう。
でもその前に明治時代に独立するまで熊野速玉大社の摂社だった阿須賀神社へ参拝した。
ここには阿須賀王子跡のほか徐福之宮等がある。
秦の始皇帝の命で不老不死の霊薬を探す旅をしていた徐福の上陸地とされているが熊野古道沿いに上陸するとはある意味で正解だったのだろうと思う。


 14:00 ついに熊野速玉大社に到着する。
早速参拝し熊野速玉大神と熊野夫須美大神に無事到着の御礼をした。
今日は天気がよくない予報だったが雨も降らなかったし意外と天気が良かった。
しかも速玉を参拝中に雨でもないのに空に虹がうっすらと描かれていて不思議な力を感じた。
虹に気づいたのは観光客のおばちゃんのざわめきだったが・・・
後は神倉神社へ参拝して大門坂へ戻る予定だったが
このままでは今日歩いてここに来た記念が無いなぁ。と思い御朱印帳を速玉で購入し御朱印を押してもらった。
こうなると人間、那智大社と那智山青岸渡寺の御朱印も欲しくなる訳で・・・
急いで那智山に向かうことになった。


 権現前を14:34に発車のバスに乗り那智駅で乗り換え15:30に両方の御朱印と二日続いての参拝を済ませ
16:05に熊野那智大社の別宮である飛瀧神社へ参拝した。那智山信仰の起源の大瀧が目の前にあり迫力がある。
 大門坂入り口で杖を借りて坂を下りていたら杖のコツンという音に反応したのか大きなスズメバチが歯をガチガチ鳴らして接近してきた。
直ぐに「ごめんなさい、もう驚かさないから許して」と言いながら杖で迎え撃つ準備をした。
ふふふっ中学、高校と体育の授業で習った剣道が役にたつ日が来たか!
ふっスズメバチめ恐れて離れ行きよったわ・・・ふう助かったよ。


 16:35 またも誰もいない大門坂を歩き暗くなり始めた頃に大門坂を抜けた。
今日は高低差はあまり無かったが距離があったので疲れた。
駐車場へ戻り、これから本宮へ向うべく準備をし那智駅で知り合った山ガールが無事に大門坂駐車場に来たのを確認し本宮を目指した。


11月13日 熊野古道中辺路・大門坂~小口

2010年11月15日 21時58分36秒 | OUTDOOR
 人間、焦ると碌な事が無い
前日の夕方のんびりと出発する予定だったが高速道が20時から通行止めの情報を得て
仕事が終わって速攻で帰宅し慌てて準備して出てきた。
おかげで通行止めになる前に通過でき喜んでいたが途中でハッ!と思った。
あれ?スタンプ帳・・・あれ?容れた覚えが・・・
本宮まで歩いたのに未だ歩くのは中辺路のスタンプを集めるためだったのに・・・
まぁ、忘れたものは仕方が無い、記録には残らないが記憶には残ると気を取り直し那智へ向かった。
通行止めが無ければ・・・引返していたかもしれん。とか思いながら22時に大門坂駐車場に着きそのまま就寝。


 5:30 起床し闇夜の中を準備し6:10に歩き始めた。
大門坂は熊野古道でも有名な場所で訪れる人も桁違いだが6:20の大門坂はひっそりと静まり死の国への入り道のようだ。


 6:50 熊野那智大社に参拝をする。
今日の無事走破を祈願して那智山青岸渡寺へ向かう。
どう行くのかわからず右往左往し、わずか10秒で青岸渡寺に行けるのに10分も掛けて行った。


 青岸渡寺では坊の人と少し話をする。今日は小口まで歩くと説明すると「私達も本宮に用事がある時は大雲、小雲を越えて一日で歩くので今からなら本宮まで歩けますよ。」と言う。
いやぁ、無理でしょ私には・・・
これまでの行程を話すと大峯奥駈道を進められる。修験道者の修練の場なのでこれも無理のような気が・・・
7:15 話も終わりいよいよ大雲取越に挑戦する。


 大雲取越は急な階段が最初から続く。
延々と続くのかと思う果てしない登り坂。


 8:45 舟見茶屋跡に着く。
ここからは那智湾や太地町が見えるのだが今日は季節外れな黄砂の為に視界が悪い。
ここまでのルートは階段が多く久しぶりに座って休憩をした。


 9:15 八丁の堀割に着く。
やっと下りも混じり険しさが一息ついている。
道標の下方には「この先熊野古道が通行止めの為に林道を迂回してください。」との看板を発見。


 9:35 古道上に水が被り川の用になっている。
ノース・フェイスの靴はこういう場面の苔でよく滑る。ビブラムソールだったか?このソールが滑るのか?
再び林道に合流し次の古道へお入り口にはまたしても通行止めと書いていた。
しかも理由が台風19号の影響でって・・・何時の年の台風やねん。


 10:00に地蔵茶屋休憩所に到着。ここまで那智山から2時間と45分。良いペースだ。
ガイドの他のルートで標準歩行時間が短い人でも大雲取越のルートは6,7時間掛かると多々あるブログに書いていたので
最悪な状況を考慮してキャンプ道具を担いで来たが杞憂に終わりそうだ。
なぜなら私は大雲取越ルートでも他と一緒で標準歩行時間が所要時間だからだ。
キャンプ道具を担いでいても脚は快調で天狗になった気分だ。
 

 この小屋は自販機もあり中も綺麗で昼食や休憩にはとても便利だろう。
小屋の中でNHKの番組であった、街道てくてく旅で熊野古道を歩いていた森上亜希子さんの記帳を発見した。
私も記帳したが・・・毛筆ムズイ


 休憩をしたら後半戦のスタートだ。
大雲取越は所々に丸い石が居座っている。なんで卵みたいな石になるんだろう?不思議だ。


 10:28 きつい登りを登りきり石倉峠に到着。
思わず「大雲取越とったどぉー」と叫んだが、これが勘違いだったと後に思い知る。


 10:49 越前峠に到着、今度こそ本当に「大雲取越とったどぉー」と今度は地味に叫ぶ。
越前峠には熊野川小学校の○○年卒業遠足のプレートがいくつもあった。
卒業生も大変やなぁ。と思ったが先生の方が大変なのかな?


 11:02 GRⅢのマクロ撮影のテストを兼ねて撮影していたら小口方面から女性二人が登って来た。
先行していた女性が私に「今日はどちらから?」と言うので答えると「何時に出発ですか?」と聞いてきた。
私がそれらに答えると日没までに那智山まで辿り着けるか思案しているみたいだった。
私の脚でも15時に着けるかな?のはず、後方の女性はもうすでに疲れ切っている様子を見ると間に合わないんじゃないのか?


 越前峠から怒涛の降り、降り、降り。重い荷物が膝に負担を掛ける。
12:04 円座石に着く。この石の上で熊野の神様方が坐り談笑したんだとか、奇遇やなぁ、私の膝も笑ってる。


 12:30 那智山を出て5時間15分で小口の集落に着く。歩いている時間も距離も少ないがハードなコースだった。
一日で小雲取越も歩く予定をたてなかったことに感謝する。
バスは小和瀬を13:34分に発車するので約50分もあるのでバス代節約の為に日足に向けて少しでも歩くことにした。
しかし、小口に着いた気の緩みか安心感か一気に疲れが押し寄せてきたのでバスを待って車のある大門坂駐車場へ向かった。