今日は高野山の女人道コースをハイキングする。
ケーブルカーで昇ると白い物が・・・先週には無かった雪だ。
どうやら昨日は降ったらしい。
女人堂で御朱印をしてもらい8時半に歩き始めて先ずは984.5mの弁天岳を目指す。
谷上女人堂跡からは坂もきつくなり凍結した地面で滑りそうになる。
鳥居が見えて来ると弁天岳の頂上に到着だ。
山頂からは和泉山脈が望めるらしいが視界が悪くて見えず。
大門を目指し降っていると倒木から氷柱が出来ているのを発見、
今何℃かな?と確かめるとゼロのぎり上、1度あるかないか。
大門も人の気配が無いが日当たりが少しあって助かった。
ここで休憩するが三分も経つと震えてくるので慌てておにぎりを頬張り歩き始めた。
お助け地蔵尊は一言地蔵とも一願地蔵とも呼ばれている。
お助け地蔵から暫くアップダウンの少ない道だったが山肌一面が伐採されたところから急な坂となり、
はげ山のてっぺんからは皮肉にも展望は良かった。
相の浦口には小辺路の要所にあるお地蔵様があった。
小辺路はもう少し先の大滝口が始点だが相の浦口にも小辺路の文字があった。
そして少し歩くと946mのピークに着く。
此処からは南紀の山々が幾重にも重なり果てしないこの彼方に熊野本宮があるんだと思い。
昔の人は良く此処から本宮まで歩くなぁと感心した。
大滝口はろくろ峠にあり熊野古道の小辺路の始点として、
また、この先へ入れない女性が大塔や金堂を拝もうと首を伸ばしてみたことから轆轤峠とも言われている。
真別処分岐で小辺路と別れて降り始める。
降りも落ち着き始めた頃に円通律寺の入り口に着く。
ここは修行の場として一般の人は入ることが出来ない。
当然私も入れない・・・
高野山女人道七口の最後は奥の院の駐車場の直ぐ側にある東口(大峰口)は
弘法大師が高野山へ始めて入山したのもこの東口からだと言われている。
ここからは奥の院へ参拝する。
奥の院の五輪塔の中で一番大きなこの五輪塔は徳川二代将軍秀忠公の夫人(祟源院)の墓所。
五輪塔は一番上から頭、首、肩、胴、脚を現しており5つから成り立っているので五輪塔と呼ばれている。
徳川家康公の次男で結城秀康公の石廟。
豊臣一族の墓所。
高野山は徳川家の命を受けた豊臣家が高野山の修繕費用を捻出した武家であり
豊臣家の財力を減らそうとする徳川家の意図はともかく高野山では豊臣家の家紋や功績を多く称えている。
なんとあの織田信長公の墓所があった。
他の諸大名の墓と比べても高名な信長公としても小さいのは、やはり神仏に対しての行いの為なのかな?