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昨日、かたかごの会の龍子さん、文緒さん、KUNIさんらと「浅の川園遊会」に出かけた。
浅葱色の空に幟がはためき、川面に淡い花影が映る。
今年の園遊会は東山緑地に舞台が設けられて、
東の廓と主計町の芸妓衆の素囃子で幕が開き、宝生流の仕舞、
芸妓衆の踊りとお座敷太鼓、新派の女優・水谷八重子さんの水芸・滝の白糸などが
艶やかに披露されていった。
待ち合わせをしている時、
いつも八尾でお会いするN夫妻、諏訪町にお里のあるN谷の娘さん、
ぶらぶらと皆で歩いている時には、
出版社時代の上司で園遊会の実行委員をしているOさんとばったり。
ご縁のある人には不思議にシンクロニシティが働いて面白い。
Oさんには「余っているからあげるよ」と食券を頂き、
皆でありがたく使わせていただいた。
そのあと、ちょっと一服と知合いの骨董屋藍さんへ向うが、
一服のはずが2階で着物を見せていただいて延々。
龍子さんが綸子の袷と帯をお買物。
藍さんでも主計町緑地でのお茶席チケットをいただいて、
吉はしの主菓子とお薄でまったりと寛いだ。
そして東の廓に再び戻ってとんぼ玉のお店「じゃらじゃら」や
手拭の店「くるみや」などを覗いて再びお買物。
東の廓ではちょうど加賀火消しの伝統を伝える梯子上りも行われ、
演じられる妙技に拍手喝さい。
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食べてばかり、遊んでばかり、花はどうしたと言われそうだが、
我々の面子ではやっぱり花より団子。
よく食べ、ついでによく愛でて……。
皆と別れた帰りのバスのなか、
隣に腰掛けたおじいさんから「今日はお茶会でもあったのですか」と声をかけられる。
着物を着ているとこのように話しかけられることもしばしばで、
着物はコミュニケ―ションツールだなあと思う。
園遊会にも、とりどりの着物の花が咲いていて、
こちらもまた愛でて楽しかった。
来年もまた、花に会いたい。
京の風情には及びませんが、ほどほどに文化があり、
おまけに写真映りのいい街ですね。
連休はどうお過ごしですか?
また会えるといいな。
京都の鴨川かと思いましたわ。
ほんとすてき。
つまり、私に流れている金沢三輪家の血は、1/4っていうわけ。
祖母も母も、法的には結婚しなかったから、苗字だけは残りました。私は結婚していますが、苗字にはいくらか執着があって、戸籍筆頭者なので三輪。
もしかしたら、金沢には今も親戚がいるのかもしれませんね。たまに好奇心が湧きます。
嘘か誠か、うちは海賊の末裔です(苦笑)
母の話ですと三輪家は老中で、禄高は七千五百石。
昭和20年代に、母は金沢にルーツ探しにいきました。一千石以上の家の墓がある寺は一つしかなく、そこに三輪志摩守という大きな墓石があったんだとか。
お寺では過去帳を調べてくれるといったそうですが、それ以上わかったらややこしいことになるので逃げてきたそうです。
親戚に三輪姓をもつ男性が一人いますが、子供時代、母親の期待過剰が重かったものですから、親に関わるものにはすべてアレルギーがあるようです。だから、祖先の話も聞いていないでしょう。
系図も焼失したし、私には子供ができなかったので、400年の三輪家の歴史も、私でお終い。
もしかしたら映さんのご先祖ってこの方かしら?
「三輪(志摩守)長好」役職は家老。
利家の側近だったご様子ですよ。脈々と続いてきた遥かな血脈を感じさせます。
下記の一番下の項目利家・利長の主な家臣のところ、ご参照を♪
http://www.geocities.jp/yuujirou8/siro/Gallery-10-14-5.html
維新のとき、武士の商法で没落した典型。北海道から青森に流れ、昭和20年の戦災で家系図も焼け、きれいさっぱりなんにもなし。
残っているのは、母から聞いた上記の話と、苗字だけ。あはは。
邦楽会館ができたり、素囃子の子供塾なども開かれたりと、ここ数年、金沢のまちはそういうカラーがより色濃くなって、それが町の元気にもなっているような気もします。機会がありましたら、ゆっくりとどうぞ。
◎映さま
金沢にご縁があったのですね~。ご先祖さまに興味津々。
そういえば、江戸時代の300年間、私の先祖は金沢に住んでいたそうです。
何だか、金沢の底力を垣間見させて頂いたような気がします。
能登の帰りにも、白山を望む街に猛烈に惹かれましたが、今回は立ち寄ることも出来ず。
いつかゆっくりと歩いてみたいです。