鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

矢田のジロザミさ。

2010-10-04 | サワサワ茅葺き
邑知潟をはさんで東往来、西往来と呼ばれる旧道沿いには、トタンをかぶってはいますが今も茅葺き民家が数軒残っています。
そば処上杉をあとにして七尾へ向かうのに、西往来を通っていくことにしました。私はおいで祭りや旧道にある小田中親王塚の取材で何度も来たことのある道ですが、意外にも金沢工大で建築を教えているNKさんが初めて。町の風情や屋並にいたく感心していました。

お訪ねするMさんのお宅は城山のふもと、すこしわかりにくい場所にあるため、地図をコピーして持っていきました。が、茅文研のSさんが「この道おもしろそう」と脇道へハンドルを切るものだから、そこから道に迷うこと30分・・・・・・。そして「オレ、方向音痴なんや」。そんな人がなぜ脇道に行こうって言うのだ!? 
疲れ果てたころに見覚えのある景色が広がってきたので、ここは右、ここはそのまままっすぐ、左へ曲がってと後部座席からウムを言わさず指示を飛ばして、ようやく到着です。

門の前に植えられたシイや桜が、茅葺き屋根を隠すくらいに育っています。母屋の脇の家からお嫁さんが出てこられ、ご挨拶をしてご当主をお呼びいただきました。
まもなく横の畑からご当主。三年前と変らずお元気そうで安心しました。
挨拶もそこそこにさっそく家の前で屋根のお話。「見てもらうとわかると思うけど、桐が生えてきたり、穴があいて茅が凹んできたんや」見上げると平入りの正面右ににょきっと50センチくらいに育った植物が確かに。そこから1メートルほど左には10センチほどに丸く茅が凹んでもいます。

初めは七尾市教育委員会に相談してみたようですが、けっきょくいつも屋根を修理してもらっている柳田のKさんにご当主が修理を依頼し、10月半ばに挿し茅で直すことに決めたそうです。屋根全体を見るために、家の周りをまわって蚊の猛襲を受けながら(涙)、一通り確認。七尾湾に向いた屋根が潮風のせいか劣化が大きいように見えました。

SさんとNKさんがご当主と話している間、私はお嫁さんとお話。お父さんも今は元気だけどもし何かあったらこの屋根を私が維持して行かなくちゃいけないので・・・と。石川には茅葺き職人の方ももういないに等しいからとおっしゃるので、確かに石川はそうですがと前置きし、先般の五箇山であった茅葺きフォーラム、全国では新しい考えをもった若い職人さんが増え活動しているのですよとお話するととても驚かれたご様子でした。

以前のヒアリングの時、文禄から続く家とおっしゃっていました。今回私たちが訪ねた意図の一つに、このお宅を地域の財産として七尾市の文化財指定に持ち込めないものかということがありました。
文化財には国指定と市町村の指定するものがありますが、実は国は指定だけでほとんど補助がつかず、市町村の指定だと修理存続の補助がいくばくか出るのです。その指定を受けるのに何か実証できる文献はないかとお尋ねしたのですが、残念ながら特別なものはないらしく、とりあえずと持ち出してこられたのは過去帳。
見せていただくと明治時代に調べたものに現在まで追記してあり、その書き出しの最初が文禄でした。その元になったお寺の過去帳の写真もあり、それは見る限りかなり古い。

文献の確証というところではまだ弱いですが、一般の農家よりもかなり裕福で、格のあったことを家自体の造りが物語っています。
例えば玄関。これが3つもあります。1つは土間に続くもので家の方や小作の方が出入りしたのでしょう。2つ目はオエの間に直接上がれる玄関。そして3つ目は僧侶と神主用の仏間の前、前の間に上がる玄関。この仏間、前の間の畳の敷き方も独特です。庭も今は荒れていますがシイと柊の古木、庭石もなかなか。
ご当主のお話によると七尾の日吉神社に頼まれて庭の五葉松を寄進したこともあったとか。
「『矢田のジロザミさ』と言ったら、知らない人はおらんかった」そう懐かしむご当主。代々の当主が名乗られた治良左エ門という名前を、土地の方々はそう親しみをもって呼んでいたそうです。



まだこのほかにも色々なお話を伺えたのは収穫でした。
文献やこの家と関わりのあった神社やお寺を調べれば、外堀からもう少し確かな情報を集められ、申請にも弾みをつけられそうです。
またそれ以上の大きな収穫は、この茅葺き屋根を守っていこうという気持ちをお嫁さんからお聞きできたこと。ご主人が生きていらっしゃるときに、この家での想い出話もされていたのでしょうね。
ゆくゆくは今、熊本で循環型農業の活動をされている息子さんに受け継がせたいとおっしゃるので、茅葺きは農の営みの一つであるから、ぜひともそうしてくださいとお伝えしました。

またご当主にはこの家の語り部としてご活躍いただきたい旨や、お宅を茅葺きのワークショップ、茅葺き職人の育成などの拠点にできればといったお話もさせていただいたところ、お許しをいただけました。
まだ入り口に立ったばかりですが、「地域の財産」としてこの家を活かし、守っていくお手伝いを微力ながらなし遂げていきたいと思います。


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2 コメント

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Unknown (とりごえ蕎麦 相滝)
2010-10-04 22:45:36
初めまして。
いつも古民家のお話、楽しく拝見させていただいております。先日、もろみ蔵で「かたかご庵」さんのことをお聞きしました。鳥越で大野のお醤油を使って蕎麦屋を営んでおります。お店は、鳥越の農家の古民家です。古いものも大好きです!
また、是非お伺いしたいと思っております。
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Unknown (kakyo)
2010-10-05 20:38:01
○とりごえ蕎麦相滝さま
コメントありがとうございます。
いつか時間を作ってお訪ねしたいと思います。
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