昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星   45

2012年01月07日 | 日記

早朝の京都駅には、たくさんの表情があった。広い待合室の一隅にリュックを背負った若い一群。対角の一隅に旅途中の中・高年の一群。二つの人の群れの間に丸く腰掛けているスーツ姿が点在していた。奇妙に静かだった。

子供の泣き声に奥の片隅に目をやると、眠る子供を背中に、胸にした赤ん坊をあやしている母親の姿があった。生気が、その一点から待合室全体に漂っていくようだった。それを機に、近くに座っていたスーツ姿が一人、タバコを口に立ち上がる。片手にぶら下げたコーラが、小さく揺れていた。

酔いはもうなかったが、この空気の中にいたいと思い、僕はベンチに腰かけた。タバコを出そうと胸のポケットに指を入れると、折れたタバコにまみれた千円札に触れた。無事だった1本と一緒につまみ出し、四つに畳んでジーパンのポケットに入れた。

タバコを咥えたが、リュックの一群が動き始めたので、胸のポケットに戻した。電車の時間のようだ。行き先はわからないが、違う方向に多少遠くまで行っても千円あれば帰れると踏んで、僕は同年代と思しき一群に付いていくことにした。電車の中できっと活発になるであろう彼らの会話に耳を傾けてみたい衝動に駆られたからだった。

5mばかり後ろから付いていくと、彼らが乗ったのは三宮行きの快速だった。少しがっかりだった。茨木で乗り換えればすぐに千里丘だ。まるで、僕が早く帰るための電車を選んでもらったようなものだ。

電車に乗り込んで見ると、彼らは男女6人。三組のカップルで構成されたグループのようだった。窓をバタバタと開け放った後、「天気、もつやろか?」「大丈夫やて」「気持ちいいやろなあ、頂上は」などと言い合う内容から、やがて富士登山に向かう一行だと察することができた。二晩に亘って接してきた三組の学生運動カップルとの大いなる違いに、僕の頬は緩みっぱなしだった。中学卒業の記念に男女6人で自転車で湖に行ったことを思い出した。あれからわずか5年強が過ぎただけだなんて……。

ざわつく音に目を覚ました。斜め向かいのリュック軍団が降りていくのが見えた。緩んでいた口元を拳で拭い、駅名を確認した。新大阪だった。行き過ぎてはいるが、ほんのわずか引き返せばすむ。汗に貼り付いたシャツを身体から引き剥がし、しばらくホームにいうことにした。

初めての新大阪は、近未来都市のターミナルのように思えた。中学生の頃あれほど強く思った「東京には行きたくない。あちら側の人間になどなりたくない!」という思いが霞んでしまったかのように、あの“忌むべき場所”東京を近くに感じた。

新幹線の改札口まで行ってみた。電光掲示板にある“こだま”と“ひかり”の文字に、胸が高鳴った。不思議だった。気恥ずかしかった。友人を探すかのように、リュックの一群を目で探した。遠く、売店の前に彼らはたむろしていた。弁当を買っているようだった。

電光掲示板に目を転じると、京都駅の改札を抜けてくる奈緒子の無邪気な笑顔が浮かんだ。その瞬間、「東京に行ってみよう!」と思った。

僕はすぐに、千里丘に向かった。「学生運動や革命の話は、後回しや」と小さく呟いた後、「まずは、敵情視察や」と言ってみた。くるくると迷走していた意識が出口を見つけたような気分だった。

つづきをお楽しみに~~。

 

                                           Kakky(柿本)

第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/2ea266e04b4c9246727b796390e94b1f

第二章“とっちゃんの宵山” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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