昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星   13

2011年04月29日 | 日記

ともかく僕は、小杉さんと会ってみようと決めた。京子に小杉さんとのコンタクトを取り、朝10時半から11時半の間に店に電話をくれるよう依頼した。

京子からの電話を待つ間、店の仕事をしながら僕は、小杉さんとの想定問答を繰り返した。彼がどんな言辞を弄してセクトのメンバーを増やしていったのかは想像することさえできなかったが、想定問答の中での僕は、必ず怒っていた。

「おい!何ぼ~~っとしとんねん。手、止まってるやんけ!」

洗いものの手が止まると、すかさずコックに注意をされた。

「連れの彼女のこと考えてるんとちゃうか?」

と、小突かれたこともあった。

しかし、僕の頭を支配していたのは、僕は一体何を求めて大学生になったんだろう、という疑問だった。小杉さんとの想定問答は、僕自身の生き方に関する自問自答の繰り返しに収斂し、そこには大学生になったこと、大学生であること、が必ず大きく関わっていた。

答がうまく見つからない僕は、きっと小杉さんにこてんぱんに論破されるだろうと思った。そう思うと悔しく、彼の育ちのよさそうな容姿を思い出すと、憎しみさえ湧いてきた。

そんな2週間が過ぎた頃、京子から電話があった。

「一緒に嵐山の花火大会観に行かへんか?言うてはるんやけど……」

意気込んで受話器を取った僕は、出鼻をくじかれた思いだった。

「花火大会?……いつ~~?……小杉さんと?……3人で?」

京子はどのように伝えたのだろう?と思った。もし、僕が桑原君について話したがっている、と伝えたのであれば、巧みにはぐらかされたんだと思った。一度会っている僕がもう一度会って話したがっている、と言ったのであれば、先輩らしさを見せようとしているんだと決めつけた。

いずれにしろ、一度浮かび上り時には憎しみにさえ変異する小杉さんへの怒りは、また募った。

「じっくり話したい言うてくれた?……花火大会て……」

不服そうな僕を京子は、「初対面みたいなもんなんやから、一緒に花火を見ながらポツポツ話して、そこから次の手がかり見つけへん?そうしよう!」と、なだめた。

共同作業であることを匂わす言い方に、僕はあっさり折れた。そして、3日後の夜7時に会うことを承諾した。

「デートか?花火大会、ええやないか~。行っといで。休んでもかまへんで~~」

受話器を置くなり、コックが包丁の手を止めてにんまり笑いながら、声を掛けてきた。「違うんです」と説明しようとしたが、止めた。

 

3日後、熊野神社前の電停で京子と待ち合わせた。時間通りにやってきた京子は、手に小さな西瓜をぶら下げていた。

「西瓜持っておいで、言われたんよ、小杉さんに」と、僕に差し出す。

「嵐山まで持って行くの~~?なんで~~?大変やんか~?」

小杉さんの意図が僕にはわからない。人込みの中で西瓜を割って食べるなんてできそうもないのに……。

「嵐山には行かへんよ」

「え?意味わからへんな~~。嵐山の花火大会観に行くんちゃうの?」

京子は楽しい企みがある顔で笑っている。が、僕には、見当もつかない。

「吉田山に上がって、遠くから花火を観ようってことらしいんやわあ。…楽しそうや思わへん?」

「西瓜食べながら、っちゅうことかいな!」

「そうそう」

想定問答や自問自答を繰り返したのは一体なんだったのか、という思いが一瞬頭をかすめた。しかし、京子の言葉通り楽しそうな計画に思えた。

「ところで、3人だけ?」

「それはないわ。3人で西瓜持って、山上って、って、なんかおかしいやろ?他に10人位いてはるみたいよ」

そう聞くと、少し身構えてしまう。黒ヘルのメンバーの中に一人入るなんて、まるでオルグしてくれ、と言わんばかりではないか。

「え?!黒ヘル集会やないか~?」

「3~4人はそうかもしれへんけど、みんながそうちゃうから、心配せんかてええよ。ノンポリの人もいはるみたいやし」

「それ、俺、俺~~」と、自分の鼻を指差しながら、僕は少しほっとする。

「じゃ、行きましょう」

後から腰を押され、僕たちは歩き始めた。なんとも不思議な気分だった。

 

*月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

 2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)


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