昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 ⑱

2011年01月07日 | 日記

祇園祭の山鉾巡行は、四条烏丸から四条通り、河原町通り、御池通りと曲がって行き、烏丸通りを下る一周コース。だから、宵山の日の夕方にはコースにある市電の架線は外される。市電で行くのは止めた方がいい……。と、カズさんから忠告を受け、僕たちは鴨川の堤防を三条大橋まで下っていくことにした。

「よろしゅう頼むで~~」という“おっちゃん”の大きな声に押されるように北山通りに出て賀茂川の堤防の上に着くと、「川べり行かへん?」と、とっちゃん。声は弾み、足取りは軽い。

土手の上を歩くよりも河川敷を歩く方が、確かに心地よい。しかし、いつもとは明らかに景色が異なる。浴衣姿のカップルや、数人の女の子のグループが、こぞって川下の方へと向かっている。いつもにはない華やかな賑わいが、香ってくるようだ。夕方の日差しに伸びた人影も、どこか楽しげな動きを見せている。

さっさと河川敷に降りていくとっちゃんをゆっくりと追いながら、じわりと湧き起ってくる惨めな寂しさに、僕はしゃがみこみたい気分だった。

一瞬立ち止まると、振り向き近付いたとっちゃんが手を握ってくる。

「何してんの!早う」と引っ張られる右手を振り払い、「わかってるって!」とついつい語気荒く言ってしまう。土手の上を行く犬の散歩の人を羨ましく目で追い、深呼吸をして気持ちを引き締める。油断してはいけない。人に迷惑をかけてはならない。まだまだスタート地点に付いたばかりだ。

出雲路橋、葵橋と無難に過ぎ、出町柳で賀茂大橋を渡る。全身が巨大な眼になったかのようだったとっちゃんも、橋を渡る頃にはやや落ち着きを取り戻したようだった。

「えらい人やろなあ。川べりであんなんやもんなあ」

まだ明るい河原町通りを歩き始めると、初めてとっちゃんの弱気が顔を出す。「大勢の人がいる所に行ったことない子やからなあ。びっくりするかもしれんなあ」という“おばちゃん”の心配を思い出す。

「絶対離れたらあかんで。迷子になったら、自分で帰りや。とっちゃん、もう大人なんやから。な」

肩を掴み顔を覗き込んで念を押す。「もう~~。ガキガキも、わしのこと、大人や言うたり……」。不満げなとっちゃんの目が動く。その先を追うと、道路反対側の少女三人連れ。中学生と思しき三人の浴衣姿は、ひと際眩しい。

「とっちゃん!きょろきょろして、僕を見失わんようにな!」

もう一度強く言い聞かせ、シャツの袖を引っ張るようにして道を急いだ。

 

市電の架線が外された河原町通りの景色は、遠目にも開放的に見えた。道路の真ん中を走る架線とそれを支えるために道路脇から伸びたバーが頭上から与えていた圧迫感は、それらがなくなってみて、やっと大きかったのだと分かる。でもなぜか、同時に間が抜けた感じがしなくもない。

御池通りが見える辺りからは、もう人の波。歩行者天国の準備のためか、多くの警官の姿も見える。屋台もちらほら出ている。

ふと気付くと、とっちゃんのことを忘れ去り、頬が熱くなってきていることに気付く。人混みは、それ自体が人を興奮させるもののようだ。

とっちゃんが、僕のジーンズのループを握っている。不安が伝わってくる。

「大丈夫だよ、とっちゃん。離れないでね」

父親が子供に不意に使うような標準語で声を掛けると、こくんと頷いた。

 

*月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)


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