昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 ⑲

2011年01月10日 | 日記

やけに静かになったとっちゃんを従え、御池通りを越える。河原町通りいっぱいに広がった人波は、まだ肩と肩がぶつかるほどではない。30以上と聞いている各町内で保存されている山鉾の一部でも見ようと先を急ぐ。何処に何があるかわかってはいないが、尋ね歩けば大丈夫だろうと高をくくっていた。

ずらりとぶら下げられた道路脇の提灯には灯が入り、これからのさらなる賑わいを予感させている。歩道に沿って並んだ屋台の一部はまだオープン準備中とはいえ、まだ残る夏の日差しに、冷やし飴の店の元気はいい。紙コップ1杯の涼を求めて数人が群がっている。

四条通りまで急ぎ、右折。西へ向かう。四条通りにも人波が広がっている。

大丸百貨店を通り過ぎたあたりから、筋を覗くようにしては、山鉾が展示されている場所を探す。なかなか、ここだという場所が見つからない。

ジーンズのループからとっちゃんの指が離れていることに気付いたのは、四条烏丸の手前だった。

少し慌てた。振り向き目を凝らして見るが、姿は見えない。忌々しさが焦りに拍車をかける。歩道を横歩きするように進みながら、四条通りにとっちゃんを探していると、歩道脇のガードに腰掛けているとっちゃんに出くわした。

「とっちゃ~~ん。何してんの~?」

掛ける声に、どうしても怒気が混ざる。そのまま置いて行きたい気分だ。

「ガキガキ~~~」

こちらを向いた顔は、心細さに歪んでいるかと思いきや、明るく楽しげに見える。

「とっちゃ……」

もう一度掛けようとしていた声が止まってしまう。一体、何があったというのだろう。

行き交う人たちの邪魔にならないよう、前に投げ出したとっちゃんの足先を軽く蹴り、横に並んで腰掛ける。すると、とっちゃんが顔を近付け話しかけてきた。

「きれいなネエチャンばっかりやなあ」

またそれか!と思いつつ、彼の目を睨みつけると、「ええ匂いがするんやなあ、きれいなネエチャンは。なあ、ガキガキ」

何か注意をしようと思うのだが、何を言えばいいのか思いつかず、顔を逸らす。

折悪しく、そこに数人の若い女性が通りかかった。いかにも楽しそうで晴れやかな姿に、僕は思わず目を足元に落とす。

と、とっちゃんが立ち上がった。彼女たちの後に付いていく。一瞬遅れて立ち上がり、追い付いてシャツの背中を掴むと、とっちゃんは上半身を女性たちの方に倒れるように向けたまま、くるりと顔を向けてきた。

「ええ匂いや~~」。鼻をひくつかせているように見えるその顔は、興奮に紅潮している。

僕は切れた。「とっちゃん!帰るで!帰ろう!」。シャツの背中を掴みなおし、引きずるようにすぐ近くの筋に連れ込もうとした。

「なんでや~~?ええやないか。なあ、ガキガキ~~」

とっちゃんの粘りつくような声の同じ台詞が繰り返され、次第に大きくなっていく。顔が恥ずかしさに紅潮していくのがわかる。指先に一層力を込め、僕はとっちゃんを引きずって行った。

 

とっちゃんが落ち着くのに、そう時間はかからなかった。だが、その執念は容易には消えず、人込みを避けて筋を北へ向かう間も、時々「なんでや~~?ええやないか。なあ、ガキガキ~~」と立ち止まった。

腕を掴んで離さないようにしながら、御池通りに出る。夕闇が迫ってきている御池通りを右折。河原町通りを北へと向かう。女性の浴衣姿が見える度に、腕を掴む指に力を込めていた。

100mも行かない時、しかし、とっちゃんは動かなくなった。

 

*月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)

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