しばらく経って、店の中の変化がやっとわかってきた。以前はウェイターはいなかったのに、ウェイトレスらしき女の子が慣れた仕草で立ち働いている。お客も女性客が増えているようだ。カウンターからウェイトレスに次々とお酒や料理を渡している夏美さんの横顔には、以前は見たこともない輝きが感じられた。
カウンターから丸見えだったキッチンはカーテン一枚に遮られ、カーテンの向こうからは香ばしい匂いが漂ってきていた。溜まり場から店へ、“ディキシー”は健康的な変身を遂げていた。
集中したオーダーへの対応が落ち着くまで、僕はジンライムをお替りして待った。最も店に似つかわしくない客であることを自覚させられながら。
「どこに行ってたの?」
右耳近くで、突然夏美さんの声がする。
「え?!いや、別に。どこって……」
と、僕は夏美さんに顔を向ける。小杉さんがいつも座っていた左端の方に、我知らず身体が捻じれていたようだ。
「東京?」
「い、いや…」
隠す必要もないことだが、行動がすべて把握されているかのようでドギマギしてしまう。
「そうなんですけど。なんで知ってはるんですか?」
「想像力に決まってるやないの。人は、自分のことに関してはそんなにたくさんの情報は持ってないって、言ってたの、あんたやなかった?だから、重要そうなことだけ把握しておけば、その人の過去や今後のおおよそは想像がつく、っ」
「そんな生意気なこと言うたかなあ。ま、でも、当たりですわ」
よそよそしげに見えていた夏美さんの表情が以前に戻ったように思え、僕は肩の力が抜けた。そこにキッチンから声が掛かり、夏美さんはくるりと背を向ける。
「何かが抜けたような顔になってるわよ」
カーテンに手を掛けながら、夏美さんの悪戯っぽい目が振り返った。そうか、“小杉さん逃亡中”もきっと悪戯なんだと、思った。カウンターに頬杖を突き、夏美さんに問い質そうと僕は、にんまりしながら待った。
すぐにフライドポテトの皿を持った夏美さんの手がカーテンの蔭から現れる。
「あ、夏美さん……」
「柿本君、紹介……」
僕が声を掛けると同時に彼女の顔が現れ、その横から見知らぬ顔が出てきた。
「先に紹介させて。これ、柳田君。ケンちゃんの代わりに来てくれることになったんよ」
目鼻立ちの爽やかな顔がほほ笑み、軽く会釈をして、カーテンの向こうに消える。
「お待たせ。左奥の人やったなあ、確か。ちゃんとジャガイモ切って揚げてるから遅うなりました、言うてね」
と、フライドポテトの皿をウェイトレスに渡し、夏美さんは僕の前に両肘を突いた。
「彼、学生なんやけど、イタリア料理の店でずっと働いてはったらしいんよ。あんた確か、中華料理やったわね」
目の奥に晴れやかさを感じる。恋してるわけではなさそうだが。
「何か抜けたんは、夏美さん違いますか?」
僕は逆襲に打って出た。しかし、戸惑うどころか、夏美さんはあっさりと認めた。
「そう思う?そやろなあ。……そやもん。今はただただ軽うなって、正直ほっとしてるとこやもん」
「小杉さんの“逃亡中”いうのは…」
「あ、それ、ほんまよ~~。私から違うわよ、官憲からよ~~」
後半はまた声を潜めたが、深刻な色合いはない。少し混乱気味の頭を整理しようと、僕は矢継ぎ早に質問をした。時々大きくなる声を、夏美さんは必ず制した。
「小杉さんに、何があったんですか?」
「七条南で起きたパトカー襲撃事件、あんた知らへんの?東京では新聞出てへんかった?」
「東京では新聞見てませんもん、なんか忙しゅうて…」
「そやったんやろうなあ。そら、そうやわなあ…」
「小杉さんがやらはったんですか?」
「本人は違う言うんやけどな、えらい汚して帰って来たしなあ、事件の夜。靴片一方なかったし。私にはどうかわからへんなあ、本当のところは」
「ほんなら、なんで逃亡を……」
「上村君たちがやったんやと、私は思うてるんやけど。そう訊いたら、知らん言うし。じゃ、服が油で汚れてんのは、なんで?って訊くと、転んだんや言うし。靴もその時脱げてわからんようなった言うしなあ」
「で、なんで逃亡しはったんやろう?」
「リーダーやったから違う?それに……」
そこで、夏美さんはしばし黙りこくった。僕には、そこからの方に逃亡の真の理由があるように思えた。
つづきをお楽しみに~~。 Kakky(柿本)
第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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第二章“とっちゃんの宵山” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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