昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星  68

2012年05月20日 | 日記

「ちょうどよかった、思うたんよ、私。小杉君には悪いけど」

伏せていた目を上げ、夏美さんは語り始めた。長くなりそうな予感がした。僕は、もう質問はしないことにした。夏美さんの目を見つめ、首だけを上下させた。

「店が赤字でねえ、困ってたんよ、実は。なんとなく、わかってたでしょ?」

確かに不思議だった。いつもほぼ同じ顔ぶれがカウンターに並び、ただジンライムをあおっているだけの店が続くはずはない。少し路地を入るとはいえ、河原町では家賃も安くはないはず。譲り受けた“おばちゃんの店”を住居として残したままでの“ディキシー”の経営が、暗礁に乗り上げていたとしてもおかしくはない。僕は大きく首を縦に振った。

「小杉君には言いにくいし、仲間を出入り禁止にするわけにもいかへんしなあ。どないしよう思うてたら、一週間前突然、“俺、ちょっと消えるわ。その方がええやろ、思うんや”言い出して、何言うても聞いてくれへんし。家にあるお金……20万くらいやったやろか、全部渡して送り出したんよ。その日のうちに。ほんでな…、あ!いらっしゃ~~い」

夏美さんはからりと表情を変え、カウンターから出ていく。スーツ姿の男が手を上げている。後ろから若い女性が腕にぶら下がっている。見かけたこともない光景だ。

「柳田です。よろしくお願いします」

振り向くと、紹介されたばかりのスタッフの顔があった。

「これ、僕からのサービスです」

ジンライムのグラスを差し出される。ケンちゃんよりもすべてが手慣れている。

「いつも来ていただいてるそうですね。これからもよろしく、お願いいたします」

自分用らしい小ぶりのグラスにジンライムが入っている。促されるように、受け取ったグラスを彼のグラスと合わせる。その一挙手一投足がすべて、実に堂に入っている。

「ママとは古いお知り合いなんですか?」

「いや、2ヶ月くらいのもんですよ」

問われて思い起こすと、僕が夏美さんのことを理解できるだけの時間があったとは思えない。この予定調和の匂いには、きっと夏美さんの意図が絡んでいるに違いない。そこには、小杉さんの意志は反映されていないのではないか、とさえ思えてくる。

「学生なんですか?……バイト?」

「そうなんですよ~~。4回生なんですが、卒業無理そうですねえ」

「4回生ですか!それは、失礼しました」

下げた頭を上げながらよく見ると、カールした長い前髪から覗く目が切れ長で涼やかだ。腰を屈めているが、伸ばすと180㎝はあるだろう。

「柳田さんは、いつからなんですか?この店」

「3日ですかねえ」

考える風情で顔を上げながら、僕を横に見る。その前髪の奥にある眼差しには、したたかな光を感じる。背は確実に180㎝を超えている。

「夏美さん……え~と、ママとは、古いお知り合いなんですか?」

「古いってほどやないけど…。大阪時代やからねえ、ママの」

柳田の言葉遣いが変化する。同じ学生としての親近感以上に、僕を組みしやすい男と計ってのことだろう。

「イタリアンの店、長かったんですか?」

「いや、2~3か月やろか。ここに来る直前やし、僕の一番新鮮な仕事かなあ、言うてみれば」

僕は、確信した。夏美さんは、小杉さんから柳田に乗り換えたのだ。いやひょっとすると、それさえ予定の行動で、何らかの事情があって、柳田を待たせていただけかもしれない。

「なんやのん。もうすっかりお友達やないの。柿本君、柳田君ってこうなんよ。すぐ、誰とでも友達になってまうのよ~~」

サラリーマンと言葉を交わし終えた夏美さんが、僕の横にやってくる。ふっと触れた肩への手に、夏美さんの変化を感じる。いや、変化ではないのかもしれない。僕は、身震いしてしまう。いっぱいの疑問と、急激に湧き上がり膨らむ怒りにじっとしていることもできない。

「まあまあ、ええやないの」

身震いと立ち上がろうとする気配を察した夏美さんの手が、僕を押える。僕はふと、あの看板を蹴破ったのは小杉さんではないかと思う。

「パトカー襲撃事件のこと、もっとちゃんと教えてくれませんか」

覚悟を決めてジンライムを飲み尽くし、煙草に火を付ける。こうなったら、じっくりと確かめようというつもりだ。

灰皿を持ってきた柳田の目が夏美さんを捉える。夏美さんは小さく顎で合図をする。

「もう一杯、おごりますよ。どうですか?」

柳田が片手をカーテンにかけたまま振り向く。見事なコンビネーションだ。

決してわずかの付き合いの仲ではない、と僕は思った。

つづきをお楽しみに~~。    Kakky(柿本)

第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/2ea266e04b4c9246727b796390e94b1f

第二章“とっちゃんの宵山” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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