昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星  66

2012年05月15日 | 日記

一瞬立ち止まり逡巡したが、僕は“ディキシー”を通り過ぎた。強く後ろ髪引かれる思いだったが、奈緒子に会う前の僕に引き戻される不安が先に立った。とにかく今は、アルバイト探しだ。

先を急ごうと歩を進めると、視界の端左側を“アルバイト募集中!”の文字がかすめる。“ディキシー”から10メートルばかりの距離は近すぎると思ったが、立ち止まった。地下へと続く階段の入り口に置かれた電飾看板に無造作に貼られた紙がひらひらと揺れていた。見え隠れする店名には覚えがあった。

“Big Boy”。口に出してみると、東京3人組が「京都で3番目に評価できるジャズ喫茶だな。1番は断然“ブルーノート”だけどさ」と言っていたのを思い出した。一緒に行くか?と誘われたが、聴き始めたばかりのジャズを、横から解説されるであろう嫌な予感に断ったのだった。

“Big Boy”がアルバイト募集とは!ジャズを聴きながらお金になるなんて!仕事だってウェイターに違いない。非の打ちどころのない、いい話に思えた。

条件を見て見ると、時間給180円。相場が200円台前半なのに比べるといかにも安いが、なにしろジャズを聴きながらの仕事だ。店の側もそれを意識しての、低条件に違いない。時間も午後5時から深夜0時まで。“きちんと学生をしたい”僕には好都合だ。急がねば、と僕は、階段を下りて行った。

分厚く重いドアを開けると、いきなりサックスの音が大音量で流れ出てきた。開店間もないのか、暗い店内に目を凝らすと、奥のコーナーで2人の学生らしき客が壁に背を持たれ、煙草をくゆらせている。カウンターからぎろりとこちらを窺う髭のおじさんが、どうもマスターらしい。ぺこりと頭を下げて近付いていく。

「バイトか?」「そうですが……」「いつから、来れる?」「え?!」「いつから来れるんや?!」「いつ頃から……」「いつから来れるんや?!言うてるんや」「はい。いつからでも…」「まあ、今日からいうわけにもいかんやろし。明日から来て!5時前に来るんやで」

話はあっさり決まった。「帰りに貼り紙取っといてくれ~」と言われたので、貼り紙を外してポケットに入れ、ふ~~と溜め息をついた。すると、ある考えが閃いた。頭の片隅で気になっていたことだった。

それは、奈緒子が京都に遊びに来た時、彼女をどこに泊めるかという大問題だった。下宿は女人禁制。女の子の知り合いも数少ない、という状況では、手立てがない。そこにもう一つ、今、悪条件が加わった。“Big Boy”でアルバイトをしている時だったら、夕方5時から深夜まで、奈緒子と過ごすこともできないのだ。しかし、近くにある“ディキシー”なら、奈緒子も楽しく過ごせるのではないか。僕も安心な上に、仕事が終了するや否や会うことができる。いい解決策ではないか。

そう思いついたのだった。となると、気になるのは看板に表れている何らかの異変だ。店の前で喧嘩があったくらいのことならいいのだが……。

すぐに“ディキシー”に行き、ドアノブに手を掛けてみた。鍵はしっかりとかかっている。閉店や休業に追い込まれるような事態ではなさそうだ。今夜にも訪ねてみようと決め、その場を離れた。2~30分の間に、すっかり肩の荷が下りた気分だった。

半月ぶりに訪れた“ディキシー”は、やや様子が変わっていた。淡く青い照明は相変わらず暗く、ビリヤードの台を中心とした店内のレイアウトも変わっていないのだが、以前よりも明るくなったように思えた。カウンターの中の夏美さんを見つけ「お久しぶりです」と挨拶をし、カウンターの出口寄りに腰掛けた。午後8時を回っているのに、小杉さんがいないことが不思議だった。

「あら?ちょっと見なかったわねえ」とジンライムを僕の前に置きながら、夏美さんは微笑んだ。その笑顔は変わりなかった。しかし、どこか落ち着かない。ジンライムを一口飲み、店内をぐるりと見回した。やはり、小杉さんの姿は見当たらない。

「小杉君?」。夏美さんの小さな声に振り返る。「珍しいですねえ、小杉さんが来てないなんて」と言うと、夏美さんは人差し指を口に当てた。小杉さんの名前はタブーのようだ。驚き、ジンライムをあおっていると、夏美さんの顔が近付いてきた。

「今ちょっと逃亡してるのよ、事件があってね」

やはり何か起きていたんだ、と思ったが、僕が心配したのはむしろ、奈緒子が過ごす場所がなくなってしまうことだった。しかし、逃亡とは?!

つづきをお楽しみに~~。    Kakky(柿本)

第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第二章“とっちゃんの宵山” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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